劇場公開日 2018年11月10日

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マンディ 地獄のロード・ウォリアー : 映画評論・批評

2018年10月30日更新

2018年11月10日より新宿シネマカリテほかにてロードショー

一瞬たりとも“正気”を感じさせない、ねっとり絡みつくような極上の悪夢

とんでもない悪夢を見た――と、形容するしかないのが異色のバイオレンス映画「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」の鑑賞体験だ。嫌な思いをして後悔しているのではない。なんとも魅惑的で、それでいて禍々しく、ねっとり絡みつくような極上の悪夢が121分の上映時間ずっと持続するのである。

ストーリーは単純で、「愛する人を奪った狂った悪魔を狩る!」とチラシにも載っている。妻を失ったニコラス・ケイジが、復讐の鬼と化してたった一人で立ち向かう。付け加えることがあるとすれば、“狂った悪魔”は本物の悪魔じゃなくて、カルト教団とその教祖ですよ、というくらいだ。

「B級映画」とほとんどの人が思うだろう。イメージだけで言うとニコラス・ケイジならそんなジャンル映画に10本か20本は出ていそうだ。「地獄のロード・ウォリアー」という副題も安っぽさを助長しているが、おそらく確信犯的に付けたのだろう。本作の魅力をどう説明しようとしても、作品の本質から遠ざかるばかりで、威勢のいいジャンル映画に見えた方がまだいい、という苦渋の判断だったのではないか。

キング・クリムゾンの幻惑的な「スターレス」が流れるオープニングから、悪いクスリでブッ飛んだとしか思えないサイケな映像が流れ、一瞬たりとも“常識”だとか“正気”を感じさせることはない。「1983年」と時代設定が説明されるが、現実の1983年というより、パノス・コスマトス監督の脳内で生み出されたダークファンタジーの世界と呼んだ方がいい。

そう、あらゆる描写が現実と切り離されているという意味で、これはファンタジー映画だ。悪魔に愛妻を奪われたウォリアー(戦士)は、復讐の旅に出る前に、まず鍛冶場で武器を作る。その形状はスイスの極悪メタルバンド、セルティック・フロストのロゴを模しているのだが、斧のような剣のようなオリジナルの武器であり、悪魔に打ち勝つために自ら邪神となる儀式なのだ。

ウォリアーの前に立ちふさがるバイカー軍団も、もはや人間の体をなしていないモンスターばかり。「でも1983年のアメリカが舞台でしょう?」という常識の声はコスマトス監督にもニコラス・ケイジにも届かない。本作はあらゆるシーンがダークな詩篇であり、ポエムであるからこそ、アンタッチャブルな孤高のパワーで観る者の脳を侵食するのである。

何を言ってるかわからないって? 同感です。でも、この映画を観てまともなことが言える人なんて絶対にいない。ここまでの文章を全削除する代わりに、最後に3ワードでまとめておく。「なんだこりゃ、すげえな、オイ!」

村山章

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