「Compromise」華氏119 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
Compromise
マイケル・ムーアが中間選挙前になんとか完成させて上映したかったという今作、確かにその思いが爆発するほどの情報量の多い演出となっているノンフィクションのジャンルである。
情報量の過剰さと、話と話をつなぐブリッジの力が弱いせいか、正直散漫さは否めない。一つ一つの話は大変大事な内容で、その映像演出も凝ってはいるし、何よりそのメッセージ性の重大さは手に取るように分る
しかしだ、如何せん、洪水のように襲ってくるその一つ一つの問題にじっくりと思考できる間も持たせず、頭の整理が出来ぬ儘、ドンドン展開を進めて行き、結局、この世界はどうにも問題は解決できないんだと、無力感を味わわせられる羽目に陥る。それは実際問題と、自分の理解能力の欠如と、まるで無関係のものがシェークされ、渾然一体となってしまうことを意味する。
ま、結論とすれば、“世界の希少な連中等の為にその他大勢の人間は犠牲を強いらされているんだぞ それでいいのか、もう妥協は必要ないんじゃないか”というメッセージなんだろうけどね。右も左もウンザリしているのが大多数の市民なんだろうけど、行動を起こさない市民も又、同罪であり、その犠牲は益々マイノリティに重くのし掛る。その警報を鳴らすことがテーマであることは十二分に伝わった。
さて、その先である。その先を提示できないのも又、人間の限界なのである。これを観て自分で考えてね、というラストは、まぁ、ジャンルとしては定石なのだが、それならばいっそ、アンチテーゼをぶつけた方がよっぽどインパクトが強かったのではないだろうか。“もう我々は問題を解決する能力は一切失っているんだよ もう一度綺麗サッパリ全て無くす他に・・・”なんてね。。。
トランプ“ケンシロウ”がアメリカの秘孔を突いて、「お前(民主主義)はもう死んでいる」と言いながらポーズを決める未来を否応なしに世界は経験してしまうんだろうね、中間選挙で。
PS:マイケル・ムーアは中間層の分断が民主主義の危機だと作品中に描いているが、もっと言えば、中間層にいる人達の中の真面目だけど欲や知恵がない人達が、それでも学歴社会の中で何とか踏みとどまっている生活水準から転げ落ちた時、端的に言えば“ハシゴを外された”時に民主主義は瓦解するのだと思う。才能やタイミング、運や縁などは不平等だ。それを叡智で人間は様々な方向でなるべく平等に推し並べることで、幸福感と連帯感を持てる社会を実現したいと願うのだと思う。
ただ、この実現への願望は今、後退しつつある。ならばいっそ、その不平等さをもっと原始的に追求すればよい。『ウホウホ』の時代まで、猿のようにだ。猿にまで退化すれば、殆どの社会問題は無くなるのだがねw