「目が見えるというハンディもある」津軽のカマリ fuhgetsuさんの映画レビュー(感想・評価)
目が見えるというハンディもある
高橋竹山。
この名を知らないわけではないけど、ちゃんときいてたわけでもないし、よく知らないのだけど、この機会にちゃんときいてみたい、知りたいという欲求でドキュメンタリー映画を観にいきました。
#津軽のカマリ。
監督はあの、「スケッチ・オブ・ミャーク」の大西功一氏。
宮古島に行ったことがあるけど、あのドキュメンタリーには度肝を抜いた。
今回は津軽だが、そのメッセージを確かめる意味でも観ておきたかった。
凄まじい人生の中で三味線の感性が研ぎ澄まされていく半生を、本人の語り、お弟子さんやお孫さんらの証言で浮かび上がらせていく。
当然、メインの主人公は初代の高橋竹山なのだが、大西監督の中では二代目高橋竹山が主人公だったようだ。
竹山さんの妻も、夫婦揃って盲目。
昔は目の見えない男は三味線を、女はイタコになるしか生きる道がなかった。
過酷な人生の中で、目に見えない天才的な才能が彼らを助ける。
たしかに初代の圧倒的な演奏力にかなうものはいない。
何人かのお弟子さんたちの演奏もすごかったけど、なぜあの二代目が二代目を襲名することになったのか。
地元青森では二代目として認められなかったという。
初代は目が不自由であることが世の中でハンディとなり、三味線の世界へ命がけで入っていった。
そのことを、目が見える二代目は絶えず気にしてたように感じた。
風や鳥と話ができる初代。
そして三味線の演奏。
もしかしたら、それらを修得するのに目が見えることがハンディとなるのかもしれない。
終盤のシーンで、二代目が青森で公演するとき、目をつむってひたすら演奏する姿に、初代とは違う演奏かもしれないけど、初代に似せようとか客にきかせようとかではなく、ただ魂から演奏していたのがわかる。
そこから発せられるエネルギーのような音楽が、二代目にふさわしい高橋竹山だった気がしました。
名古屋上映での映画館は、名演小劇場でした。
ここに久しぶりに来れてよかった。
ここでも昔、初代高橋竹山が演奏したことがあるそうです。