楽園(2019)のレビュー・感想・評価
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田舎の怖さを私は知らない
予告を観て想像していたストーリーとは違う話だった。若干のネタバレになるが実話の村八分事件を彷彿とさせる展開でその片鱗が見える村の住人の態度の変化はゾッとするものがあった。
村で権力を持ってる爺さん連中の演技が最高にリアルだと感じたのだが、私は比較的都会の産まれなのであのような世界は体感した事が無く「知らない」からとても怖く感じていた。
よそ者はいつまでたってもよそ者で、仲間意識は田舎を出ても付いて回ってくるという。田舎って何なんだ。。。
ところで、内容とは関係ありませんが、私はイケイケの綾野剛よりも今回のような困り顔の過酷な綾野剛がとても好きなので個人的に良いものが見れました!
多分、原作を読むと面白さが跳ね上がると思うので読んでみたいと思う。
条件が揃うと現れる人間の思い込み、裏と表の顔
特報の時から気になっていたので鑑賞。
◯物語
ある夏の日、青田に囲まれたY字路で少女誘拐事件が起こる。事件は解決されないまま、直前まで被害者と一緒にいた親友・紡は心に深い傷を負う。それから12年後、かつてと同じY字路で再び少女が行方不明になり、町営住宅で暮らす孤独な男・豪士が犯人として疑われる。追い詰められた豪士は街へと逃れ、そこである行動に出る。さらに1年後、Y字路に続く限界集落で愛犬と暮らす養蜂家の善次郎は、村おこし事業を巡る話のこじれから村八分にされてしまう。追い込まれた善次郎は、ある事件を起こす。
原作未読なので、原作について調べると、「吉田修一『犯罪小説集』」の「青田Y字路」「万屋善次郎」の2作を併せて映画化したとのことでした。
映画鑑賞後、2作について調べるとまさにその通りで、忠実な再現だったんだと思います。
一緒にいれば友達は死ななかったと罪悪感を抱く紡。12年後に起きた事件で、孤独などの理由から疑われていまう豪士。話のイザコザから村八分になった善次郎。
例えば、今の現代社会においてネットでの誹謗中傷などはその人を精神的にダメージを与えて自分は正義を貫いたと勝手に思う第3者がいる。
それと同じように、この話でも村という小さな世界で人間の思い込みなどが多発する。
人間の思い込みは正しい方向に導く時と悪の方に導く時がある。
これがこの物語では、思い込みがどう働くかは劇場で見るべきであるがいろんな感情を思うと思う。
最後に:最初の方は話が淡々と進んでいく感じでつまらなかったが途中から回復していい作品だと思った。あと、叫んだり泣いたりではっきりセリフが聞き取れなかったところも何箇所かあるました。これは、個人の問題だと思いますが。
楽園
楽園とは、もしすべての事件が解決して犯人が
見つかったとしても、それに重要に関わる家族にはなんらかわりない。失ったことの方が大きいから
最近の映画は、分かりやすく共感したりキュンキュンできる映画が、番宣も含め、出演者の人気にあやかりヒットするのが普通化している、内容を見るとふざけた内容、映画を真剣に愛する役者さんが
心削って作り上げてる感じがない
だったらレンタルでも良い気がする
この楽園は、綾野剛さん佐藤浩市さんの身が削られながら再現されていて、そこへ杉咲花さんが
植本さんに、生きているだけで幸せ、未来へ希望を持っていると感じていて、本人に話しているが、
残された家族と同じように、事件直前まで一緒だった杉咲花さんにとり、生きている絶望を感じながらも
生きるしかない、笑いや忘れるなんて、こともできないことへ共感して見ていました
あの事件さえなかったら、普通に楽しく生きていたのに
どこか、現実社会に似た
震災や天災や不慮の事故を、人間誰しもなる絶望感
親族じゃなく、友達だから別に忘れてもよいのに
自分を責めている内容にしっかり
瀬々監督は、見ているかたに感じて欲しいと思い
この楽園を撮影されたと私は思っています
その杉咲花さんの感情を代弁するように
主題歌の一縷があって
ごく普通の生活がいかに大変か、
きれいごとにするんじゃなく、リアルな映画だと
私は思って見てました
村上虹郎さんが、なんでもない普通の青年だったら杉咲花さんは、心を許してなかったと思うし
苦しい、死と向きあっているから
そこに寄り添い、ほんのちょっとでも愛になり
生きる希望を作る役柄になっていると思います
どの映画も、基本、興行収入ありきで作品が公開されていて
興行収入なくても良い。観た方の人生が何か?今までよりも大切に考え、言葉の暴力、行動の暴力になると事件に関わるみんなが、壊れるんだよって
改めて伝えている映画だと思いしました
キレイごとだけでは、生きられない
この作品が、存在するだけで、1人1人大切に思う気持ちが現社会において足りないから
楽園は公開され、そして私も観て強く思った作品
共感や楽しさや、つじつまがある作品は、ドラマなどで十分できる
映画だからこそ、リアルなこと
相手に答えをもとめることが、できる作品が
この世に生まれると私は、思います
辛いのは当たり前、だって生きるしかないから
その辛さに寄り添うための映画だと私は思いしました
2019-93
はい。
『ジョーカー』とは違う部類のしんどさ。
似てるのは『三度目の殺人』かな。
でも一番わからない。
どこに行ったって楽園なんてない、それでも生きていくしかない、これを伝えたかったのかな?
あほなりに思うことをただ徒然に書いてみます。
村社会の人間関係が強く描かれてますが、会社や学校内、ネット社会のいじめだって同じですよね。
社会に殺された人はたくさんいます。
なんで生きなきゃいけないの?と、苦しんでいる人に聞かれて、仮に自分なりの答えがあったとしても、ぶつけられるでしょうか。
生きてれば楽しいことはたくさんある。
でもつらいことも山ほどあります。
たくさんの楽しいことが、一つのつらいことにかき消されてしまう日だってある。
それでも生きていくことの意味。
いつかは別れがくるとわかってて、人を好きになること。
自分より長生きできないとわかってて、動物を愛し、飼うこと。
それでも、誰かを愛し、傷つきながら生きていく。
私がいなくなったら、この人は悲しむと言える人と両親がいて、
ご飯も食べられないし、生きていけない愛犬がいてくれる。
このために出会ったのかな、と。
自分だけの楽園、自分が好きな人にとっての楽園がみんなにありますように。
なんだか暗くなってしまいましたが、私は幸せです。
たまにはふざけないレビューもいいかな。
支離滅裂だけど、こんなことをエンドロールから自宅まで考えてました。
それにしても令和元年後期は、わんちゃんムービーがすごいな!
そうそうたる役者陣の迫真の演技の中、またわんちゃんが一番いいとこをかっさらっていった。
どこへいってもおなじ絶望と、少しの希望
出てくる前までは、あちら側は広い世界だ、楽園だ、と思っていたのに、どこに行っても同じだった。
みんなの負の感情が寄り集まって、また悪人と呼ばれる人が出来上がる。そうやって負の感情をなんとか処理しないとみんな生きていけないのだと…
そんな絶望を突きつけられるのですが、そんな中でそれを抱えながら強く、昔からの呪いを振り払って生きていってほしい、という杉咲花ちゃんをはじめとした若者への愛のようなものも感じました。
悲劇の先に楽園はあるのだろうか?
まるで幸せになることを許さないような限界集落。嫌になるほどの閉塞感、魔女狩り、村八分。壊れなくてもよい人間が壊れていく。
そしてクソったれな東京。どこにも楽園などなかった。
深い傷を負いボロボロになっても生きる杉咲花が希望だ。彼女だからこそ作れる楽園があるのではと……。
切ないほどの悲劇なのに落ちきることはなく、何故か心地よくさえあった。あっという間の129分だった。好きな作品と言える。
4はつけてあげたい。
人間というものを良くも悪くも解釈次第でよく描かれています。これらは演技する人の力が大きいと思いました。何か結論を求めたりする人やハッキリとした結末が欲しい人にはちょっと微妙な評価だと、、、個人的には4です。爽快感が欲しい時に見ていたら3ですね、、。
消化不良によるテーマの不在
エンディングに流れる音楽の歌詞の内容が全く入ってこなかったことがとても印象的でした。ストーリーが進む原動力となっているものが「Y字路」しかなくて、全部が唐突に変化する。きっかけや予兆無く爆発する感情がときに複雑でときに素直で気持ち悪い。私はこっち側の人間なんだろう。
良い点:画面のトーン、役者、風景
悪い点:焦点がわからない
原作を読んでから鑑賞しました。 2つの話がどう繋がるのか、膨らむの...
原作を読んでから鑑賞しました。
2つの話がどう繋がるのか、膨らむのか楽しみにしつつ観ましたが、原作を読んでいてもさらに楽しめました。
Y字路は、事件が生まれた分かれ目とあの集落に生きる人々の心も表していたのかな?とも思いました。
自分がここにいる意味。誰かに認めてもらいたい。受け入れてもらいたいという願い。
誰もが持っているはずなのに、他人のは無視してしまう時がある。不安だから、結果を欲しがる気持ち。その先にあるのは、正解とは限らないのに、正解と思い込ませる気持ち。
人は優しいだけじゃない。キレイなだけじゃない。怖くて、醜い姿を持っているんだとあらためて感じた作品でした。
綾野剛、佐藤浩市、杉崎花だけではなく、演じる方々の演技もよかったです。
残された者たち
生きる場所を楽園にするか地獄にするかは、その環境とその人次第。
誰も彼もが腹に一物持っていて、それをどの方向に向けるかはその環境とその人次第。
少女失踪事件を中心に置き、取り残された者たちの傷と人生を、淀んだモノをたっぷりと含ませて描く作品。
サスペンスフルな構成のわりに、事の真実には特に重きを置かず、むしろ中途半端に匂わせて投げてくる脚本には少しモヤモヤが残る。
起こる大きな出来事はもちろん、かなり細かい所にまで「嫌だな」と思わせるポイントが散りばめてある。
排他的な老人たちとムラの性質、後味の悪い集団心理、些細な言葉から滲み出る差別的な思考。
青果市場で小言をくらう紡と、善次郎の足元に頭を埋めた久子の好きはその最もたるシーンだった。私にとっては。
さりげなく存在していた愛華の弟にも地味に不穏を感じた。本人めちゃくちゃ元気で拍子抜けしたけど。
多くの人が無意識に持っている、人間の「イヤさ」を徹底的に目の前に広げられて、心がズンと沈むようだった。
大袈裟に見せるわけではなく、あくまでも淡々とそのまま置いていくトーンが地味にしんどい。
誰が何をしていてもどこかスリリングで、ピリッとした空気が流れる。
わりと衝撃的なことを唐突にスルッと見せてくる、そのテンションに戸惑った。
日常の延長線に事件があることを示されているように感じたけれど、もう少しドラマチックに味わいたかったかな。
登場人物は魅力的なのに、辛気臭い空気にメリハリが付くでもなく最底辺に落ち込むこともなく、ドヨーンとしているだけに思えてしまう。
嫌〜なことばかり起きる中で、紡を慕う広呂の存在が癒しだった。
広呂の存在は最初から紡の中で大きかったと思う。
あんなふうにまっすぐに想われるってどんな感じなんだろう。少しうざったい気もするけど、なんせイケメンだったしなあ…。
リアルで生々しいタッチの中に、どこかファンタジックで映画的な表現が混ざるシーンがとても印象的だった。
「楽園」という日常ではあまり使わない言葉が少し浮いていて、そのちょっとした違和感も嫌いじゃない。
スッキリする真実なんて以ての外、重々しく暗く沈む真実も得られず物足りない気もするけど、この映画のつくりや雰囲気は好き。
友達、家族、愛する人、時代、様々なものに取り残された人間の、どうしようもなく生きる様を観られただけでも良かった。私は何があっても生きていきたい。
息苦しー
聞いたことあるような事件(実際の事件が元ネタとか)の裏側を描いた、すごく重い話。
スティーブン・キングも真っ青の限界集落の重苦しい人間関係。観てるこっちも息苦しさを覚えるくらい。人間の猜疑心て怖いね。
綾野剛の苦悩する演技も上手いけど、佐藤浩一の鬱々と溜まっていく演技が上手くて怖いです。
☆☆☆★★★ 原作読了済み。簡単に。 原作は5本の短編集の話。 「...
☆☆☆★★★
原作読了済み。簡単に。
原作は5本の短編集の話。
「青田Y字路」
「曼殊姫午睡」
「百家楽餓鬼」
「万屋善次郎」
「白球白蛇伝」
予告編を観て感じたのは。この5本の中から、てっきり「青田Y次路」だけで構成されているのだろうと思っていた。
実は、原作を読みながら感じたのだけれど。原作を読み進めて行くと。(あくまでも個人的な意見として)段々と面白くなって行く気がしていた。
何故 ?この中で「青田Y字路」なのだろう?…と。
寧ろこの監督の作風を考えた時に、「万屋善次郎」こそが1番相応しいのでは?と思っていた。
映画本編は、「青田Y字路」と「万屋善次郎」それに映画オリジナルと言える、紡から見た物語の3っから構成されていた。
文庫本には監督本人のあとがきがあり。監督の言葉をかいつまむと…。原作者吉田修一のフアンと公言し。それらの著書には、地方に住む人の都会に対する憧れや、そこから発生するねじれた行動。また、中央と地方の対立概念。更には、人間の心に潜む差別的な行動原理等を挙げている。
それだけに。佐藤浩市演じる(後に)限界集落の村から差別を受ける善次郎が登場した時に、「ああ、やっぱり!」…と合点がいった次第。
観た印象として。どうやら「青田Y字路」を取っ掛かりとし、人間の引き起こす差別によってもたらされる事件に、監督自身は興味があり。趣きを置いているのだろう…と思われた。
そんな「青田Y字路」や「万屋善次郎」で描かれ起こる事件の背景は。罪の意識の無い人が起こす差別だからこそ根が深い。
人によっては、何の悪ぶるところも無く罪の意識も無い。
だが一方では。(明らかに悪くは無くとも)自分が引き起こしてしまったのでは?…との、罪の意識に苛まれ。粛罪を背負って日々を生きる人も居るのであろう…と。
ちなみに、「万屋善次郎」では、片岡礼子演じる女性は登場しない。
原作で、善次郎に対して優しく接するのは。映画のキャストの中だと、本来ならば吉行実子の筈。
だが、ここに片岡礼子を配した事で。(ほんの少しだが「曼珠姫午睡」の主人公である不倫願望を持ちつつも。最後にはそんな思いを捨てさる女性の、英理子の影をもちらつかせていた。
原作自体が短編だけに。別々の話を挟み込む為に起こるであろう違和感は、原作を読んだ身として。意外にも観ていて、スンナリと観ていられた…とは思う。
(但し、動物に対して人間が行う差別=虐待の論理が薄まってしまっている感は否めないのですが)
「青田Y字路」に「万屋善次郎」は。共にどこか救いのない終わり方だっただけに。映画はオリジナルの紡と広呂の物語を挟み込む事で、なかなかこちらの拙いレビューでは表現仕切れないのですが。どこか【粛罪】に苦しむ苦悩を描きながらも。原作には無い《一縷》の望みを託したラストにより、余韻を伴った締めくくりになっていたと思います。
2019年10月24日 TOHOシネマズ日本橋/スクリーン2
信じた人は殺人犯なのか?
観る側に委ねられすぎて賛否両論あるのは分かります。が、作品の良し悪しの前に〝観る〟そして考えることに価値のある映画だと思いました。
被害者側にも、加害者側にも誰もがなり得る、大切な人を残して逝く人にも、残される側の人にも。わたしが、わたしの身近な人があちら側に行くかもしれないという恐ろしさを感じました。そして、それと同時に登場人物全員愛おしい気持ちにもなりました。どうしようもないやるせなさ、行き場のない気持ちを書かながら生きてゆく姿の健気さ、苦しくもありましたが美しかったです。
俳優陣の素晴らしい熱量のお芝居に拍手を送りたいです。主演の綾野剛さんはもちろん、壊れてゆく佐藤浩市さん、そしてなにより杉咲花ちゃんが本当に本当に素晴らしかったです。彼女の代表作になるのではないでしょうか?内に押し込めた繊細な空気感、柄本明さんとやり合っても負けない力、圧倒されました。
この作品を届けてくださった瀬々敬久監督にも心より感謝します。どうか、たくさんの人に届きますように。
岐路と選択
人間は1日に、9000回の判断をして生きているそうだ。テレビのチャンネル、電車の乗車位置、ランチのメニュー…。その何処かに人生の岐路はあるはずだが、大半は後から思うもので、その瞬間には、選択をしている意識すら無いものだと思う。
本作の二人の主人公、紡(杉咲花)と善次郎(佐藤浩市)も、そんな岐路を後悔しながら、閉鎖空間である村社会に暮らし、それぞれの物語を生きていく。2人の接点はもう1人の人物、豪士(綾野剛)の物語でつながりを持つが、全く別の物語という面白い構成だ。後で知ったが原作は2作の短編とのこと。なかなかのチャレンジだ。
紡は幼い頃、学校からの帰り道、Y字路で分かれた友達が行方不明になり見つからず、その責任の一端を感じながら生きてきた。豪士は、幼い頃に母に連れられて日本に住むが、母に捨てられる恐怖を抱え、狭い村にも馴染めず内向的に成長する。善次郎は、早逝した妻を忘れられず、思い出を胸に生まれ故郷に戻り、養蜂を始める。そんな時に豪士を巻き込む事件が起き、村人は秘めていた閉鎖性と排斥性を剥き出しにし始める。
全体的にのっぺりと重いトーンであったが、役者陣の奮闘で飽きずに最後まで。ちょっと間違えたら、滑稽な演技になりかねないところを、皆さんうまく落ち着けた感じがする。柄本明さんも、孫を失いどうして良いかわからない老人を名演。諦観や壊れた心の片鱗が垣間見える、独特の雰囲気だ。
スケープゴートを見つけて、叩くことで全体の安心を得る。昔ながらの田舎の村の話ではなく、日本全体もあまりかわって無いのかもしれないと、少し怖くなった。
ラストの紡の選択と電話のシーンは、賛成。それがあるからこそ、この映画のテーマである怖い性質が際立ち、全体の閉塞感が思い返された。でも、そのせいでもう一度見ようという気にならないけど。
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