「善人を歪ませる悪意からの解脱」楽園(2019) 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
善人を歪ませる悪意からの解脱
『悪人』『怒り』の吉田修一の原作を、
『64 -ロクヨン-』前後編などの瀬々敬久の
脚本・監督で映画化したサスペンスドラマ。
田舎町で起こったある少女失踪事件。
事件の犯人と疑われる青年、失踪人と友人
だった少女、事件に巻き込まれる移住者の男。
三者の姿を描くうちに浮き彫りになる
排他的社会の醜さとそこからの解脱を描く。
最初に書いてしまうと、語られるテーマは
好みだったが、語り口がやや極端に感じる
部分もあって個人的にはあまり心に迫らず。
...
とはいえ主演陣3人が演じる登場人物は
好きだったので、今回はそこから書く。
綾野剛演じる豪士。
外国人であるというだけで母子揃って
蔑まれながら生きてきた彼は、言葉が不得意
なのか、元々の性分か、自身の苦しい胸の内
を言葉にして外に吐き出すことができない。
その苦しさが胸の内をぐるぐる巡り続けて中毒に
陥り、あの最後に至ってしまったように見えた。
佐藤浩市演じる善次郎。
なんでも器用にこなし人当たりも良い彼だが、
些細な行き違いだけがもとで村八分に遭い、
12年前の事件の犯人という噂を流布されたり、
挙げ句は亡き妻の形見のように大切にしていた
山林まで崩され、狂気に走ってしまう。
2人とも、元は善良な人間だったはずなのに。
僕は豪士の紡への気遣いが罪滅ぼしの為だけ
だったとは思わないし、村八分に遭う前の
善次郎は誰にでも親切にできる真っ直ぐな
人間だったと思う。なのに、
勝手な思い込みや偏見を抱く人々が彼らを悪人
と決めつけ、よってたかって蔑み罵り続ける。
(これは別に限界集落に限った話ではないし、
SNSの情報を闇雲に信じて不特定多数で
個人を袋叩きにする構図等とよく似ている)
心がズタズタになるまで傷付いた2人は――
かたや失踪事件の犯人の汚名を被ったまま死に、
かたや村人を多数殺害した残虐な男として死んだ。
虐げられ続ける子犬のような綾野剛と
緩やかに狂いゆく佐藤浩市の演技は
さすがの安定感だが、杉咲花も良い!
僕はドラマを全然観ない人間で、彼女の
演技は映画で2、3作を観た程度なのだが、
正直に書くと、それら過去作ではそこまで
良い印象を持っていなかった。
1シーン1シーンでの演技は力強くて好きだが、
作品全体を俯瞰すると極端に感じたんである
(これは演出する側の手法にも依ると思うが)。
だが今回は、抑えた悲しみや苛立ちが、徐々に
怒りと決意に変化するグラデーションが自然。
悪人のレッテルを貼られた善人が、レッテル
そのままの悪人になるまでに心を歪まされる――
こんな理不尽があって良いのかという怒り。
そんな醜い大人になる事を断固拒絶する覚悟。
望まない真実も、背負うには重すぎる後悔も、
どちらも「私は抱えて生きる」と言う覚悟。
そんな紡の覚悟が、重苦しい物語の
最後を、微かに明るく照らしてくれる。
紡が最後に辿り着く“真相”が、彼女の想像なのか
彼女が忘れていたあの日の記憶かは分からない。
犯人すら明らかにはなっていない。それでも
誰かを悪人に仕立てることで心の安寧を得よう
とする社会の醜さを描くことや、紡が「そんな
醜い大人たちのようにはならない」と誓うまで
の物語としては完結していると感じた。
...
ただ個人的には、同じ吉田修一原作の映画
『悪人』『怒り』と比較して、登場人物らの
生き苦しさがイマイチ伝わってこなかった。
まず、『悪意に歪まされる人の心』については
自然に描かれていると思うものの、その発端たる
『悪意』そのものがカリカチュアライズ(戯画化
・単純化)され過ぎているように感じる。これは
実は上記の2映画でも感じたことではある
のだが、本作ではそこを特に強く感じる。
(なお、僕はいずれの原作も未読)
豪士が犯人と疑われる流れ。その場面まで
村人の大多数が外国人に差別感情を抱いている
という印象は薄かったし、そもそも集落に豪士
の母親以外の外国人が住んでいる描写がない。
なのにあの場面でいきなり「12年前の捜索を
思い出した」→「外国人が怪しい」→「あの女
の息子が怪しい」という流れになり、その場の
全員が捜索まで放っぽり出してまで豪士を追い
掛ける。これ、ちょっと極端過ぎないだろうか。
善次郎が村八分にされる発端が“助成金の件を
区長に相談しなかったから”という所もやや極端
な気はするが、小さな発端としてはまだアリか。
だがそこからの村人の態度の急変ぶりには違和感。
徐々に態度が硬化し辛辣になるなら納得だけど、
本編の描写のみではあまりに急激に感じる。
豪士と善次郎の受ける差別はどちらも“異質な
者を排除する”という点では同じだが、どこか
噛み合わせが悪くも感じる。かたや村の老人
が主体、かたや主体の見えない群衆心理と、
悪意の根源に統一性が無いと言うか……。
エンドロールで初めて本作が2つの原作を
連結させたものだと知り、納得してしまった。
また、「楽園を作れ」という象徴的なセリフや
柄本明の最後の独白など、ここぞという場面で
印象付けたいのだろうセリフが、他の現実味
あるセリフと比べてブツ切りでどうも浮いて
いるように感じ、今ひとつ心を動かされず。
全体的に感情的で勢いのあるセリフになると
聞き取りづらい所も少なくなかったし……。
紡の幼馴染みが病魔に負けず生きるという物語の
最後に語られる“希望”も、「真実も後悔も抱えて
生きる」というメッセージとは直接結び付いて
おらず、取って付けたような“希望”に聞こえる
のが気に入らなかった。ううむ、紡を前に
進ませる何かが欲しかったのだろうか。
紡の友人がもしかしたら……と思わせる
ラストも、それはこの映画が語る
希望に果たして繋がっているかしら?
...
不満点を色々書いちゃったけど、以上です。
群衆心理の恐ろしさや大切な人を失うことで
壊れていく心を描いた重みのあるドラマでした。
ただ、前述通りテーマを語る上で極端さや
噛み合わせの悪さを感じる箇所が多々あり、
個人的にはそこまで。まあまあの3.0判定で。
<2019.10.19鑑賞>
自分はこの映画、ジョーカーと同じ日に観に行ったのですが、善人が悪へと堕ちて行くという主題が似ているな。と思いました。
紡が最後にたどり着いた"真実"とは主題歌の「一縷の歌詞」だと、勝手に解釈してます。