劇場公開日 2019年10月18日

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「日本の国と同じムラ社会」楽園(2019) 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0日本の国と同じムラ社会

2019年11月9日
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鑑賞方法:映画館

 ムラ社会に追い詰められる二人の主人公を描いた、ある意味では社会派とも言える作品である。杉咲花が演じるつむぎが所謂狂言回しの役割で、物語を前に進めると同時に、ムラ社会の息苦しさと断ち切り難い絆を伝えている。
 つむぎの幼馴染みである、村上虹郎演じた広呂の言葉がこの作品の世界観を端的に言い表している。「誰もが表の顔と裏の顔を持っている」
 村人たちは誰も自分のことしか考えていないが、村の利益を優先させる態度で本音を覆い隠す。村は長老たちを頂点とするヒエラルキー社会であり、村の利益とは即ち長老たちの利益である。ある種の利権のようなもので、政治家のサンバンよろしく世襲がらみに受け継がれていく。他所者は決してこの利権構造に食い込むことはできない。
 村はひとつの運命共同体であり、出て行った者を許さない。入ってきた他所者に対しては、村に利益を齎すかどうかと、利権に対する脅威とを天秤にかけながら、表面を取り繕って対応する。他所者がヒエラルキーを疎かにしようものなら、徹底的に叩き潰そうとする。ムラ社会にとって外敵は長老たちの求心力を強化させる絶好のチャンスでもあるのだ。
 アベ政権と殆どそっくりだと思った方もいるだろう。ロッキード事件やリクルート事件に匹敵するモリカケ問題でも辞任せず、韓国叩きに汲々とする安倍一味とその支持率をみると、日本は国全体がこの映画と同じムラ社会なのだと認識を新たにしてしまう。

 綾野剛のたけしと佐藤浩市のぜんじろうは、互いの接点は殆どないが、他所者である点は共通している。ムラ社会の都合によって翻弄され、追い詰められ、脅かされる。
 二人とも無口で自分が他所者であることを自覚していて、少しでも村人のために役に立とうとするが、ムラ社会は彼らを少しも評価しない。他所者はどこまでも他所者に過ぎないのだ。

 最期はそれぞれに衝撃的な展開だが、ある意味では必然とも言える。他にどうしようもなかったと、納得できるところがある。綾野剛も佐藤浩市も、よくこんな難役を演じ切ったと讃えたい。心にずっしりとくる重厚な作品である。

耶馬英彦