劇場公開日 2019年10月18日

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「犯人が誰でもいい。私は抱えて生きていく。」楽園(2019) 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0犯人が誰でもいい。私は抱えて生きていく。

2019年10月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

吉田修一は人間の内面をえぐりだして、晒すのが得意だ。ずぅと罪を背負って生きてきたような、精気のない紡を観ながらそう思う。
現実でも、世間にはじかれて犯行に至る事件は数多く、これまで映画では、陰湿な画面と煽る効果音でそんな事件事故を描いてきた。しかし紡の暮す町は、閉塞した人間関係をあざ笑うかのような、晴れやかな田園風景が広がっている。この明るく美しい風景こそが、まるで人間の心の裏表を映すかのような腐肉さ。
だけど、最近になって日本人の心が乱れてきたわけでもなく、余所者を受け入れない人心は昔から変わりがない。村八分、神隠し、江戸時代からそういうものはあった。それを吉田修一が現代的な言葉で書き換えたに過ぎない。善次郎なんて昭和の時代でいえば津山三十三人殺しを思い起こさせるし。
不審者?それはこの地域の連中みんなだろ、と思う。東京は恐いところだというが、田舎だって同じだろ?と思う。恐い世の中になったねえというが、それは昔から同じじゃね?と思う。そうやって、自分の住む世界をよく思いたいのだろうが、あんたが思ってる恐い世の中こそが、真実の世界なんだよって思う。

そしてこの手のメジャー作品を観るたびに思う。いつも同じような顔ぶれだな、と。
たしかに興行的な理由を勘ぐれば、主要キャストが大物ばかりになるのは否めない。演技力の計算の出来ない若手よりは実績をつんでる人気俳優のほうがいい。だけど、年齢的に見てもはたしてタケシが綾野剛でなければいけないのだろうか?彼がキャスティングされた時点で、すでに観客にある種の先入観が生まれる。個人的にそれは興ざめなのだ。むしろ虹郎にこそこの役をさせたらどうだったろう?と想像する。いい緊張感がうまれたんじゃないかなあ。同じことは、佐藤浩市にしても柄本明にしてもそう。そりゃ上手いけど、こちらの期待通り。言い換えれば予想を超えてくるのではないか?のハラハラ感はない。結局、片田舎の限界集落に対するステレオ的なメッセージとまるで同じだ。

栗太郎