「命、生きることについて」楽園(2019) ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
命、生きることについて
人は何故繰り返すのか。
「犯罪小説集」の映画の原作になった二つの短編は、読む人間を突き放すような容赦のなさがある。
お前たちは、考えているかと…。
もし考えているんだったら、今ここで、それは何か言ってみろと言わんばかりだ。
そして、犯罪とは一体何かと。
映画も同様に容赦なく僕達に問いただす。
ただ、病気で失われた命と、50%の確率で繋ぎとめることが出来るかもしれない命を対比させる物語も加えて、命とは何か、生きるとは何かと、別に問いかけてるようにも感じる。
人はそう簡単に人を裁くことが出来るのだろうか。
ありもしない事で、まるで罪があるように罵ったり、吊し上げたり。
悲劇的な結末など念頭にありもしない。
もし、映画を観て、クソ田舎の限界集落の村八分の話しみたいに思う人がいたら問いたい。
都会でも、会社でも、学校でも、コミュニティでも、そして、特にネットでも、似たようなことはあるよね…と。
閉塞感も、孤独も、暴力も。
そして、見て見ぬ振りもしてるよね…と。
人は取り返しがつかなくなるまで気がつかないのだろうか。
人は何故繰り返してしまうのだろうか。
原作の短編のひとつ「青田Y字路」の岐路のように、もう片方の道を選択すれば悲劇は避けられるといったものでもない。
結局は同じではないのか。
豪士にも、善次郎にも楽園はなかった。
いや、生きる希望を見出すことは出来なかった。
野上が、東京に出て働く紡に言う。
楽園を作れよ。
楽園は場所ではなく、生きる希望や、生きていこうとする心にあるのではないか。
それを失った時に、楽園も消えるのだ。
悲劇を避けるのは選択ではない。
人が生きる希望や、前向きな気持ちを失った時に、悲劇の種が撒かれるのだ。
僕達は、生きる希望を失ってはいけない。
命や、生きる希望より尊いものなどないのだ。
二つの短編を合わせて、独自のストーリーも紡いで、良い作品が出来ていると思いました。
64(ロクヨン)は、小説の展開が圧倒的に緻密で、読み手の気持ちをグイグイ引き込む物語が、映画ではイマイチ出てないなと感じていましたが、楽園は映画独自の展開もあり、役者さん達の圧倒的な演技もあり、見応えのある作品でした。
今晩は。
”僕達の曖昧な客観性を揺さぶってるんですよね・・・。”
私は、この映画の様に、ある程度解釈を観る側に委ねる映画は好みであります。瀬々監督作で言えば、”友罪”もそうだったと私は思っています。
只、世間一般的な傾向(映画の評点からの勝手な判断ですが)としては、起承転結がしっかりと描かれている映画の方が世間受けするのは分かります。
が、何故か私は鑑賞後もモヤモヤとした気分で、色々考えさせられる映画の方が記憶に残る傾向があります。今作もそうです。
近作であれば是枝監督の”真実”のような様々な解釈が許される作品なども同じ傾向にあると思います。只、こうした作品は一般的な評価は(観客動員数などを観ても)高くないですよね。
家人に言わせると、”アート系””ミニシアター系 死後になりつつある単館系”の匂いがする作品は結局、監督の独りよがりなのよ!とばっさり切り捨てられます・・。
私は違うと思うのですが・・。
わんこさん、なるほどです。コメントありがとうございます。
私も原作読んでるんですけど、そんな豪士を犯人とは推してなかったと思ってました。
そうですね。Y字路のそれぞれにある限界集落。結局、どっちでも内容は違えどやってる事は同じ。
人間の悪い部分ですよね。それって…
ちょとした事で、話を膨らませて、事実でないことを作り上げる。それで、人を追い詰める。
なんか、すごいやっぱり深い話ですね。そんな芯の部分まで理解できてるって、ワンコさん凄いです。2回観てますけど、まだこんな理解力です…
ありがとうございました(^^)
ワンコさんフォローありがとうございます。ワンコさんならわかるかなって思いまして…
どうして、豪士は警察の事情聴取終わって歩いてくる時、ほくそ笑んだんですか?その意味がどうしてもわからないのです。
おはようございます。レビュー拝読させて頂きました。当方も感じていた事をずばり切り込まれていました。
当方のレビューに一部追記したコメント、ご了解頂きたく。ご寛恕願います。