サイゴン・クチュールのレビュー・感想・評価
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【”アンタは私?”1969年から現代にタイムスリップしたアオザイ仕立屋の娘が、アオザイの良さに目覚め成長するベトナムファッションコメディ。】
ー アオザイ。ご存じのように1000年前からベトナムの女性の正装であり、伝統衣装である。-
■1969年、サイゴン。
アオザイ仕立屋の娘・ニュイは家業を嫌い、母親と対立していた。
そんなある日、なぜか2017年にタイムスリップしたニュイは、落ちぶれた自分と出会う。
彼女は自分の人生と落ちぶれた実家を変えるため、トップデザイナー、ヘレンのもとで働き始める。
◆感想
・今までのベトナム映画の概念を変えた画期的作品である。
・作品内で繰り広げられる当時のベトナム最新ファッションの色彩の豊かさに負けない民族衣装のアオザイならではの、着用する人の身体にフィットし、且つ色彩や刺繍の美しさには目を見張る。
<今作は、タイムスリップモノでありつつ、過去のアオザイを嫌っていた自分から、アオザイが現代のファッションとしても十二分に通じる事を立証する事で、自身も成長するヒロインの姿が気持ちが良い作品である。>
ほんのり元気の出るガールズムービー
前情報なしに観てたら突然タイムスリップしたので、え、これファンタジーだったん?て面食らった。
とはいえメインはキラキラなファッションと、頑張る女子の報われるガールズムービー。
見ていて元気が貰えます。
改めてアオザイは美しいな。
ベトナム女性の、薄いしなやかな体にほんとよく似合う。
エンドクレジットの後のおまけもちょっとだけある。必要だろうか…。
未来の自分のお尻を叩く寓話的SF
ベトナムの伝統的衣装であるアオザイの老舗に跡取り娘として生まれた主人公は、そうした家に生まれた子供にありがちな反抗心もあって、アオザイを毛嫌いし、目新しい西洋風の洋服作りに入れ込んでいく。が、そのまま人生を進んでいったらどうなるのか。
母が家に伝わるとっておきの布地を使って仕立ててくれたアオザイとブローチを身につけると未来の自分の家にタイムスリップ。すったもんだの挙げ句に、自分にアオザイ縫製の技術継承を迫った母の思いを知る。
過去をやり直すのではなく、未来の自分のお尻を叩いてその時点での過去と和解して状況を立て直すのが、何だか前向きというか、いいなと思ったし、面白かった。
日本は廃仏毀釈を行い、高らかに脱亜入欧を訴え、悲惨な戦争へと転落していく。
どこの国のオートクチュールであれ、僕は全く興味無い。
ガキの頃からGパンとTシャツ。まぁ、それは兎も角、アオザイは、男性に対して女性らしさを見せつけるファションで、言わば、女性差別な要素もある。彼女は1969年から突然、現代に現れたのだか、主人公の性格と才能を考えると、元より現代にマッチすると思う。では、1969年の頃のファッションとは、人民服の様なファッションだったと思う。ベトナム戦争が激化していて、ファッションどころではなかった。しかし、
戦争では勝ったベトナムが、文化では西洋に侵略されている。そんな嘆きなのだろうか?また、僕は、アオザイがベトナム古来からある伝統的文化だとは思いたくない。
1975年迄にこの一家はアメリカ辺りに亡命する運命だと思う。ベトナムはぃまでも社会主義国なのを忘れては駄目だ。
脱亜入欧を願っていない気持が、この監督にはあると思い、共感をする。それに引き換え、日本は廃仏毀釈を行い、高らかに脱亜入欧を訴え、悲惨な戦争へと転落していく。
面白い映画だった。
教訓的エンターテインメント
テンポのいいストーリー展開で楽しめました。
慢心して落ちぶれていく主人公の姿を見ていると、自業自得、悪因悪果などという言葉が浮かんできますが、やがて彼女が一念発起して奮闘する姿は胸を打ちます。
この映画が伝えたかったことは「努力することの大切さ」かな? まあ、あんなに易々とアオザイ作りの技術を身につけることはできないと思いますが……。
僕は純粋なベトナム映画を観るのは初めてかもしれないけれど、本作のレベルの高さに驚きました。
カメラワークも巧みでハリウッドに負けてないんじゃないかと思ったし、60年代のシーンは昔のフランス映画を思わせるような独特の色合いで美しかったです。
ただ、中盤の、現代のシーンは、躍動感を出そうとするあまり、カット数が多くなりすぎて、ちょっとうるさく感じる箇所がありました。
ところで、エンドロールが始まって直後の「ママ、洋装店を開いてちょうだい」というセリフはすぐには意味が理解できなかったけれど、あれは歴史に辻褄を合わせるための言葉でしょうか。
エンドロールが終わって、いちばん最後のシーンは余計ですね。ニュイが改心したおかげで、代々家業が続いているということを表したかったのですかね。
ベトナム版 プラダを着た悪魔 的な
キラキラ✨したガールズファッションムービー。おぃおぃ、どんだけ〜☝️(IKKO風に)オシャンティなんだよ。見つけた瞬間、早く観たい衝動にかられ残業しないで、さっさと帰ったわ。アオザイ稼業のキュートなおてんば娘が未来にタイムスリップする事で、自分を見つめ直すお話です
アオザイのスリットは馬に跨がり易い様にデザインされたって…知ってた?
オープニングはゴチャゴチャしていて、前半も三文芝居じみていて、1969年から2017年へとタイムトリップするCGもチープな感じでと、“ベトナム映画だから、所詮こんな物かな?”と思って観ていましたが…中盤から後半へと俄然、ストーリーは面白くなって来ます。ラストのシーンでは思わず感動!…でチョット涙w
登場人物には少し意地悪な人も居ますが、基本的には皆善人。悪い人は一人も出て来ません。
前半ではお高く止まっていただけの主人公が、逆境に負けずに這い上がり、未来の自分?!に向き合い葛藤し、乗り越え・受け入れ、そうして、亡き母のアオザイに対する思いに気付き・受け継ぐ、その思いには共感して胸が熱くなりました。
新しい事物を取り込み変わって行かなければいけない部分と、変わらず受け継いでいかなければいけない心と文化。どのお国にも共通する普遍的な理念の様なものも感じました。
最後の最後「ウララ~」のオマケシーンは、蛇足で不要。カメラワーク等は未だ未だ。母親役の女性が若過ぎるのが不自然過ぎて、ミスキャストです。
後、他のレビュアーの方も書いて居られますが、1969年のシーンにベトナム戦争の影響が一言も有りません。もしかすると、作者の意図的な思いも有ったのかなあ…とも感じました。
それから、上映劇場さんにも一言。
当サイトの上映時間より10分遅らせた上に、予告編15分って…大汗掻きながら時間通りに入館した身から言うと、「何なのヨ!」とかっていうのは感じました。
理想のクチュリエール
「アオザイ」とは、ベトナム風チャイナドレスなのか。
身体のラインがくっきりして、セクシーな衣装である。
これが正装というのだから、“たしなみ”に対する日本との感覚の違いに驚く。かの暑い国では、こういう“色気”もナチュラルなのか。
このアオザイを身体にぴったり合うように作るためには、なるほど、仕立てをしっかり勉強しなければならないだろうし、“秘伝”が必要かもしれないと納得したのである。
ファッションにおいて、当世風のアレンジによって、様式がリバイバルすることは普通のことだろう。
しかし、2017年の売れっ子のヘレンは、「1960年代“風”」のデザインすら満足に思いつかない中で、クライアントから仕事を引き受ける。
ヘレンは、あの手この手の上っ面だけのデザインで、次々と流行を作りだして商売している軽薄なモード業界の象徴として、皮肉られているのかもしれない。
一方、ニュイは、時間移動することで、“本物の”1960年代のモードを、2017年に持ち込む。
さらに、母の“秘伝書”によって、“本物の”アオザイの仕立てを身につける。
そして、「伝統のアオザイ」・「1960年代」・「2017年」の、すべて“本物”の間で化学反応を起こしてヘレンに勝利するのだ。
アオザイに、“(ネオンのような?)錯覚を起こすような幾何学柄”を入れるという斬新なデザインで。
「タイムスリップ」とはベタな話だが、そのことで“理想のクチュリエール”になれたという、面白い物語だと思う。
また、ファッションというビジュアルだけでなく、流れるレトロな感じのポピュラー音楽も、なかなか楽しかった。
ただ、固有名詞が分かりづらいのには参った。台詞がどうであれ、字幕上の呼称は工夫すべきだ。
若い「ニュイ」と48年後の「アン・カイン」は同一人物だし、「タン・ヌー」は店の名前で、名人「タン・ロアン」は母の弟子、おそらく「ヘレン」と「トアン」は姉弟でロアンの子供だ。
なお、この映画は1969年の“サイゴン”が一つの舞台であるが、ベトナム戦争の真っ只中なのに、その雰囲気さえ感じられないのは、意図的だと思うが、不思議な感じだ。
「サイゴン“陥落”」は1975年だから、ニュイが“ヨーロッパかぶれ”に振る舞っているのは、郷愁を誘う姿なのかもしれない。
厚塗りメイクとあき竹城
老舗のアオザイ屋さんの娘がアオザイを嫌い、流行の最先端のデザイナーをしてる。ミス・サイゴンでもありソコソコ綺麗なのだが、メイクが舞台化粧並みに濃くていただけないが…60年代のファッションは可愛い。母娘けんかをして、母が娘に未来にタイムスリップするアオザイをつくり、それを着て2017年にタイムスリップする。そこで将来の自分(あき竹城に似ている)がアル中になって屋敷も失いそうになってるのをみてがく然とするが、立ち直る手助けをする。
美しいアオザイとレトロなファッション、クスリと笑えるところもあり、悪くないのだが、とにかく濃いメイクに消化不良気味、ゲップがでそう。
流行は巡る
9代続くアオザイの仕立屋の娘にしてミス・サイゴンにも選ばれた主人公が1969年から2017年にタイムスリップして巻き起こる話。
当時の最新ファッションに明るくアオザイを嫌う主人公が自宅で翡翠の装飾ががついたアオザイを着てタイムスリップ。2017の自分に会い、落ちぶれた家業と自身を変えるべく動き始めるストーリー。
ストーリーもリアクションも一昔前の映画の様な古臭さで、タイムスリップ後のパニックっぷりなんか可愛らしいどころか鬱陶しい程。
しかしながら家族を思い人を思い自分の出来ることをみつけ成長、活躍していく姿は力強くて愉しくて中々面白かった。
イメージしていた以上にアオザイがファッショナブルでそれも面白かった。
現代ベトナム史の暗喩
ベトナムの伝統衣装であるアオザイ(映画では「アオヤイ」と発音されていたように聞こえた)の老舗に仮託した、ベトナムという国や文化の過去・現在、そして未来を描いている。
1969年のサイゴンから始まる物語は、ヨーロッパやアメリカの消費文化が華やかに咲き乱れ、伝統的なものの影は薄くなるばかりのようだ。洋服のデザイナーとして、またその美貌によって我が世の春を謳歌する娘と、アオザイの伝統を背負う母親の対立が描かれる。
その直後の対米戦争や共産主義革命の歴史を知る観客の脳裏には、ベトナムの伝統も西欧の新しい文化も、どちらもが押し流されていく運命が浮かぶだろう。
2017年にタイムスリップした娘は、没落した家業と、荒んだ生活を送る将来の我が身を知ることになる。映画はこの悲劇の原因を、娘が母親からアオザイの仕立て方を習わなかったことによると語る。
しかし、この間のベトナムという国や社会の苦難を思い出さない観客などいるだろうか。
内戦は社会を引き裂き、対米戦争では多くの生命が失われ、過度の社会主義政策は国民経済を停滞させた。
このような中で多くの伝統が失われ、美しい自然が破壊され、社会の紐帯に傷がついたであろう。その結果、いくつもの古い文化が消え、それに携わった人々の運命を変えていっただろう。
映画は直接そのことに触れてはいない。家族がその絆を取り戻し、ビジネス優先から思いやりや信頼を大切にするラストは、暗い過去などなかったかのように、明るく希望に満ちたものである。このことがなおさらこの国の人々の心に、困難な日々を思い起こさせるのではないだろうか。
老舗の仕立て屋はベトナムという国家を暗喩し、それを一度は潰し、いままた、現代のファッションビジネスの流れに乗せて復活させた主人公は、ベトナムの人びとそのものであろう。
「怪しい彼女」と「プラダを着た悪魔」を足して二で割ったような映画のポップな表層とは別に、観客に一つの社会を回顧させることのできる、深層をこの作品は持っている。
限られた数の作品しか鑑賞できないが、今回のベトナム映画祭は、他の作品にも期待が持てる。上映館には、今回だけに終わらせず、台湾巨匠傑作選のように恒例イベントにしてほしい。
ベトナムのプラダを着た悪魔
仕立て屋の娘ニュイがともかく可愛いらしい。
60年代のファッションで、まるでミュージカルの様に軽快に音楽にのせて進むので、見ていて楽しい。
これはまさに、ベトナム版プラダを着た悪魔の様です。それだけではなく、油断してるとホロりと泣かせるとこもあるし、本当に大好きな映画になりました。
これは当たりです。
もう一回見たい‼️
でも、タイトルだけではピンとこないなって思ってしまいました。
もっと真面目な映画なのかと勘違いしてしまった。
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