ぼけますから、よろしくお願いします。のレビュー・感想・評価
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親子愛と表現差のエゴと社会的意義とがせめぎ合う
認知症の母を介護する90を超えた耳の遠い父と、その様子を撮影する娘。カメラを誰かに向けるということは残酷な行為なのだということが本当によくわかる。しかし、撮影という行為の加害性に気づいてもやめてはいけない時もある。本作はまさにそういう瞬間の連続だった。
自分らしく生きることを父は娘に求めた。娘が選んだのは映像で表現する世界、どれだけ残酷でもそれを貫徹することこそが親孝行なのだと考えたのかもしれない。
そして、カメラが写すものは老老介護の厳しい現実。それは高齢化社会を迎えた日本のいたるとこにある現実でもある。パーソナルな親子愛と、撮影者のエゴと、社会的に重大な意義がせめぎ合うすごい映画だ。
撮られる対象は時に大きく傷ついている。それでも記録を残すことは、社会の糧になるのならカメラを止めるわけにはいかない。それが監督の生き方なのだ。その生き方を選ばせてくれた親への恩返しなのだ。
切ない。つらい。 認知症。老々。家族目線の暖かさが沁みる。 歳はと...
切ない。つらい。
認知症。老々。家族目線の暖かさが沁みる。
歳はとりたくない。永遠の命を求めた秦の始皇帝の気持ちがわかる。
もうすぐ我が身。
4.2自己投影の極致
本作を見ている最中にしんどくて、何回か止めてしまった。しんどい展開だな、良い家族だな、自分の親も心配だな、自分の親だったらそばにいたいな、仕事どうするの、介護離職、「あんまり親のことは心配しなさんな」、すべての場面が、親、亡くなった祖父母を思い出してしまうそんな映画だった。
SNSやインターネットのコメントを見ていると、まるっと概念として負の側面ばかりがクローズアップ、浮上してきやすい昨今で、忘れていたような当たり前の感情を思い出すような作品だった。
よくぞ撮ったな
自分自身がこの介護の現場にも関わる1人として、本当によく撮ったと感じた。リアルだ。
お父さんが本当に出来た人だ。
皆さんが、良くしてくれてる、感謝しなさい。
その通りだと思うけど、なかなか言えないよな、あの立場では
本人の拒否もあるから、本当に必要とされる場所に介護が行き渡るのは難しいんだな改めて。
呉だねえ。 お母さんが、これから洗濯する物の上にどっかりと寝たシー...
呉だねえ。
お母さんが、これから洗濯する物の上にどっかりと寝たシーンの美しさ(と敢えて言う)が印象的。何かから解放されることは、新たな生きづらさにもなり得る。
「自己決定権」というものの厄介さ(不可能性)も。
あと、母-娘関係と父-娘関係の差もうーーっすら関わっているんだろうと、意地悪な私は思う。
素敵な家族です
こんど続編が上映されるので、前作を勉強しておかねばと配信で鑑賞。
広島弁がとても優しいですね。監督の口調の柔らかさ!
死にたい、居場所がない、と訴えるお母さんの気持ちが想像できます。
私は高齢者施設で働いているので認知症の文献をよく読むし、認知機能が衰えても感情は衰えないことは知ってました、知識としては。
でも認知症初期の人が不安を訴える場面は見ることができませんから…家族以外は…だからこの映画でご本人が感じる悲しさ、絶望を伝えてもらえて良かったです。
でもずっと絶望してる訳でもないよね、お母さん!
続編見るのが楽しみです。
家族愛で乗り越える老老介護の現実
誰にでも訪れる老い。
身体の自由が効かなくなり、耳も遠くなり、物覚えも悪くなり、必然的に誰かに頼らざる得なくなる。
自分の手足で、自分の力で、身の回りのことが出来なくなることほど辛いことはないかもしれない。
だけど、誰かに頼り頼られ、助け合い支え合うことができているのだとしたら、それを辛いことだと捉えたくない。
「人生いいことばかりではない」
全くもってその通りで、ただ、そのいいことばかりではない辛い現実を乗り越えるために、皆支え合って生きているのではなかろうか。
好きな人のために尽くすことは幸せなんだと、このドキュメンタリーを通してわたしには伝わってきた。
考えさせられる
完全にボケてるわけではないので、自分がボケてきているのが分かって申し訳なくなっているのが身につまされる。自分はどうなるのか?やはり子供に迷惑をかけたくないと思うのはどの親も同じだろう。
タイトルなし
広島県呉市
この町でくらす父98才と母90才
東京でくらす娘
3人の1200日の記録
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一人一人 皆其々
色んな家族の形があり
色んな老い…終いの形がある
老いとは…
死を迎えるとは…
必ずその日が来る
自分のこと両親のこと祖父母のこと
想いを馳せる時間
【”迷惑をかけたくない・・”徐々に認知症に侵されていく母を支える父と娘の姿。究極の夫婦愛、親子愛を描いた作品。だが、大変重い問題提起を投げつけてくる作品でもある。】
■明るく、社交的で自慢の妻、母が認知症に侵されていく姿は、夫、娘にとっては想像を絶するほど、辛いと思うのだが、私は、今作品では悲壮感よりも、この家族の深い繋がりが印象的であった。
・先進的な考えを持つ両親の理解の元、東京で働いていた娘が病魔に侵された時、すぐに駆け付け、明るく勇気づける母親の姿。
・年月は過ぎ、逆に認知症が進行する母親の面倒を見る夫と娘の姿。特に印象的であったのは、父親の姿である。慣れない家事を黙々と行う姿。
”死にたい・・”と狂乱する妻に、厳しい言葉を掛けるシーンが一回だけ映し出されるが、手を上げるわけでもなく、少し悲し気な表情を浮かべる父。
そして、精神的に相当キツイと思われるのだが、その状況をフィルムに収める娘。
・だが、通常は穏やかな微笑みを浮かべ、妻の面倒を見る夫の姿には頭が下がる。
”助けて‥”と訴える妻の手を握る姿。
<お二人が、いかに仲良く年齢を重ねてきたか。そして、娘の意思を尊重しつつ、大切に育ててきたであろう背景が、透けて見える。
”究極の夫婦愛、親子愛を描いた作品”と書いたのは、それが背景にある。
だが、多くの認知症を抱える家庭で、同じような介護ができるとは限らないだろう。
現代社会が抱える重い課題に対し、我々及び国政に対し、苛烈な問題提起を問いかけてくる作品でもある。>
素敵な夫婦
私の両親はまだ50代で全然元気で介護というのもまだ経験した事が無いけど観ていてとても胸が締め付けられ涙が止まりませんでした
お母さんがわかりやすく老いていく姿に自分の親もいつかこうなってしまうのかな、自分もこうなるのかなと思うと目を背けたくなりました
今まで家事全般をお母さんに任せっきりだったお父さんがお母さんの為に3時間もかけて洗濯をしたり、リンゴを切って、うどんを作って、自分も歩くのしんどいのにお買い物に行って、裁縫なんかもし始めて慣れない事だらけの家事を文句も言わずにやるお父さんの姿に泣けます
お父さんの笑顔が本当に素敵
お母さんが死にたいと泣き喚いた時のお父さんの怒鳴りが一番胸がギューってなって駄目でした(語彙力)
多くの人に観てほしい 観終わってどう思ったか、色々な意見を見たいです
私は家族をもっと今以上に大切にしていきたいと思いました
子供だから撮れる親の姿。
優しかった母親がどんどん変わってしまう姿が、とても切なく泣ける。
書道で賞をもらうほどしっかりした人で、
自分が病気をした時には上京し、料理を作ってくれ、いつも優しく見守ってくれる母親。
その母親がだんだんと、物忘れが酷くなっていく。
出来ていたことが出来なくなり、人の助けも必要となるほどに。自分で自分のことを何かおかしいと気づいているが、それがどうしてなのか、何が原因なのかも分からない。自分のことが情けなくなり、死にたいと言い始める。
そんな状況を撮る側として、私ならカメラを止めてしまうと思う。もしかしたら、怪我をしないように家もリフォームするかもしれない。洗濯機も最新のものを買ってあげるかもしれない。
しかし、敢えてそこを変えずに、ありのままの状況を根気よく撮影していたからこそ、できた作品であると思う。
子供からしたら、怪我をしないように、少しでも楽になれば、と思ってヘルパーを頼むのだけど、それがかえって本人達のメンタルに響いてしまうんだなぁと気づいた。
自分たちは何十年も今まで、自分たちだけでやってきたのに、それができなくなってしまう悲しさ。
人に頼らないと生きていけないという、情けなさ。
人を頼ることを申し訳ないと思ってしまうのは、
見ている方からしたら、制度があるんだからもっと頼ればいいのにと思うかもしれないけど、
今までしっかりやってきた人だからこそ、それがかえって情けなく思う気持ちを強くさせるのかもしれない。
手伝ってくれるとはいえ、自分の家のテリトリーに他人が入ることにストレスは少なからずあるはずだし、その怒りの矛先が、出来ない自分にいってしまう気持ちも分かる気がした。
その葛藤が、記憶がなくなるなかで繰り返される、苦しみが見ていて伝わった。
私の母親は、私たち子供に泣く所を見せる人ではないのだけど、いつかもし、「情けない」と泣く母親を見る日が来るとしたら、どうすれば笑顔にしてあげられるのかまだ分からない。
ドキュメンタリーの底力
ドキュメンタリーの底力を見ました。
どんなにうまい俳優さんが演じても、高価なセットを使った演出をしても、造り物であることには変わりありません。ドキュメンタリーならではのリアリティーはすごい。
元気だったころの映像もあり、年をとるのは残酷だなとも思いました。
2時間ほどの映画ですが、おそらく何十時間、何百時間のフィルムを編集したのでしょうね。編集もナレーションも良かったです。
老々介護は長年連れ添った人だから
監督の信友直子が、呉に住む両親の老々介護を、娘の視点から我慢しながら撮り上げたドキュメンタリー。
一人娘で東京のテレビ局に勤め、自身も乳がんを経験、父は95歳で腰が曲がっており、母親がアルツハイマーに罹る。
とても辛い現実が続くことになるが、母、父、娘の愛情があふれていて救いとなっている。
痛々しい
ドキュメンタリー映画であると思えば思うほど、痛々しい。フィクションであって欲しいと祈ってしまう。
辛い時間が綴られる一方で、楽しい、満面の素晴らしい笑顔も描かれる。
2016年や2017年に二槽式の洗濯機やダイヤル式の黒電話を使っている生活は、そこから直せば良いじゃないかとか、もっと便利な生活もあるだろう、ヤラセではないかと、捉えてしまいがちだが、ふと離れて暮らす自分の親や祖父母を思うと、納得してしまう。
そして、自分に突き刺さってくる。
舞台である広島の言葉で会話は終始するが、地方や国を超えたテーマだと思う。
個人的には、もう少しオブラートに包んで欲しかったので満点にはしてません。
この映画を観て涙できるのは...
将来はともかく、今現在は、この監督やご両親のような状況に、自分が居ないからかもしれない。
もし、実際にこのような状況なら、泣いているだけでは、いや、泣いてることさえできないだろう。
こちらこそ、よろしくお願いします。
「ぼけますから、よろしくお願いします」と老親が心から言える世の中は、どんなに暮らしやすいだろう。信友監督のご両親の世代では、人様に何かやって貰うこと=迷惑をかけることと嫌がる世代であり、また福祉の概念も希薄だと思います。だからこそ母は、「ぼけますから、よろしくお願いします」と心からは言えなかったのかもしれなかったし、「死にたい」と口走ってしまったのだと思いました。
しかし、高齢化は家族の問題ではなく社会の問題です。家族だけで解決できることではないから、監督は親という要介護者にカメラを向け続けたのではないでしょうか。人間必ず頭も身体も弱る時がきます。私は「ぼけますから、よろしくお願いします」と国にいいます。
老々介護の実情
若年性アルツハイマーと違い、進行も遅々としている点だけが救い。物忘れはしても笑顔だけは忘れない、その生き方も素晴らしいものがある。楽しく生きること、しっかり食べることがきちんと守られてる家族団らんのシーンには、介護はこんなにも素晴らしいものだと、生きていく希望を与えてくれる内容にもなっていると感じる。
監督でもある娘の信友直子さんは45歳の時人生初の苦境に立たされる。乳がん。おっぱい全摘という試練を与えられながらも、母親が見舞いに来て励ましてくれる。今度はその母がという展開だ。映像をとりあえず残してあったため、進行状況もわかりやすく、家族の温かさが伝わってきた。
誰しもが老いる
作品を見れば、自身の親を思い出してしまう。
うちの親はどうだろうか?と。
ご両親は90歳を越え、認知機能の低下も著しく、感情失禁や「死にたい」など、昔は出てこなかった感情が監督である娘に吐き出されています。
圧倒的な高齢化社会で、高齢者の介護について観せられる本作は認知症や介護に携わっている若しくはすでに終えられた方達には「これあるわ~」と納得できる。
20年前に乳ガンだった監督の苦境を支えた母親がボケてしまう姿に居たたまれない気持ちになった。
親の顔が見たくなる…作品かな。
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