ラストレターのレビュー・感想・評価
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岩井俊二監督の世界観を生きることが許された女優たち
岩井俊二監督作品は、どのタイトルであっても女優陣がとにかく美しい。
ただ美しいだけでなく、瑞々しく、可憐で目を離すことができなくなる。
今作では広瀬すず、森七菜が初めて岩井組に参加したわけだが、本編を見た同世代の女優たちは嫉妬にかられたのではないだろうか。それほどまでに、2人の“いま”の魅力を見事なまでに切り取ることに成功している。
「手紙」が題材となっているため、岩井作品のファンならば誰しも「Love Letter」に思いを馳せるのではないだろうか。いつだってオリジナル作品を世に放ち続ける、岩井俊二という映像作家の才気に触れていただきたい。
ジャンルは徹頭徹尾「岩井俊二」
タイトルからも岩井俊二の劇場映画デビュー作『Love Letter』の変奏であることは明らかで、『Love Letter』だけでなく、さまざまな岩井俊二作品のモチーフが随所で引用されている。岩井俊二という人の作劇はかなり特殊で、これを本人以外がやっていたらパクリと言われるのがオチだろう。しかしさすがは本家の岩井俊二。どう転んでも「似てる」ことなど承知の上で、入り組んだ構成をより複雑に、とんでもなく複雑にアレンジしていて、ラディカルと言っていいほど野心的な作品に仕上がっている。群像劇、と言えなくもないのだが、とにかく主人公がバトンレースのように交代していくこの方式は、「映画とはこういう風に進むもの」という先入観をハナから否定している。思えば『Love Letter』のラストシーンも従来の映画的な結末から飛躍したもので、あれから25年を経てもなお、岩井俊二は自らが生み出したジャンルを更新しようとしているのだろう。全編どこを切ってもあふれてくる岩井汁。それでいてどこか新しい。集大成のようで、現在進行形の映画作家の凄みを感じた。
あの頃の自分と重ねてしまう切なさ
福山雅治が小説家、となればスマートでカッコいい姿を思い描くが、この物語の彼は初恋を引きずり、一冊しか本を書けず、ボロアパートに暮らしている、ちょっとしょぼくれたおじさん。こういう福山雅治は見たことがなかった。なかなか良い。というか、こんな彼をもっと見てみたくなった。
その寂しげな感じの理由が、明かされていくストーリーによって理解できていく。
彼の少年時代を演じる神木隆之介も、出番は少ないがコレまた繊細な演技で惹きつけられた。
実らなかった若い恋の想い出が心の奥でずっと眠っている自分には、この話が沁みてしょうがなかった。
『誰もが等しく尊く可能性に満ちていた青春時代が、大人になるにつれて個々に分かたれていく』
このテーマが胸に残る。
忘れられない恋を胸にしまったままで大人になったひとには、おすすめの作品です。
しばらく、昔を思い出してしまいそう…
ちなみにちょい悪オヤジ役の豊川悦司が大事なところでちょっと出るのだけど、ホントにクズで最低な男なのに、セリフまわしがカッコいい。脚本が良い。
豊川悦司じゃなかったらただの嫌なやつで終わってたかも。福山雅治が飲み込まれているように見えました。やっぱりすごい俳優ですね。
last Letterに託されていた想い
<映画のことば>
誰かが、その人のことを思い続けてたら、死んだ人も、生きてることになるんじゃないでしょうか。
裕里のまた別の思惑もあり、何かと「すれ違い」の多かった美咲と鏡史郎ではありましたけれども。
しかし、生徒会の会長だった美咲が、卒業生代表の挨拶文の修文を鏡史郎に頼み、彼も快くこれを引き受けたということは、そのすれ違いが埋められつつあったことの証左でしょうし、現に、大学時代には結実するかのように見えたりもしたようです。
それがどこで狂ってしまったのかは、本作くが直接に描くところではなかったと思いましたけれども。
しかし、そういう経緯があってみれば、これからを(これからも)この世の中を生きていく鮎美に意思(遺志)として美咲が託した「last Letter」は、やはり、これでなければならなかったのだろうと思います。評論子は。
そう思うと、観終わって、こんなにも胸が締めつけられる想いを禁ずることが、評論子にはできませんし、その意味では、観終わって、しっとりとした情感が、たっぷりと残る一作でした。本作も。
本作もその手になる岩井俊二監督の他の作品と同様に。
それ故に、文句なしの佳作でもあったと思います。
これも、その手になる岩井俊二監督の他の作品と、まったく同様に。
(追記)
本作は、手紙のやり取りの行き違い(?)をモチーフとして描かれて行きますけれども。
手紙は顔が見えないことを良いことに、代筆、代筆、また代筆。
そのコミカルさも、本作の魅力の一つにはなっていたんだろうと思います。
(とりあえず、筆跡のことは、さて置くとします。)
そして、世はSNSの時代にあっても、便箋と肉筆、そして切手と封筒の手紙が繋ぐ情感というものは、なくなっていないのかなぁとも思いました。
とくに「保存」ということをしなければ期限や容量の関係で自然と消えてしまったり、デバイスの乗り換えでも消えてしまうようなSNSメッセージとは違って「宝物」としては残りやすいのかも知れません。
(追記)
「岩井俊二監督ほどロマンチックな作家を、僕は知らない。」というのは、新海誠監督から本作に寄せられたメッセージですけれども。
紛れもなく本作の正鵠を得ていると思いました。
そう思うことができたのは、決して評論子だけではなかったことと思います。
(追記)
「なかたがい」高校の同窓生は、果たして(仲違いすることなく)みんな仲が良いのでしょうか。
美咲や、裕里や、鏡史郎の母校だったという、この高校では。
(追記)
映画作品としての本作から言えば、ほんのほんの脇筋なのですけれども。
鮎美が、亡き母・美咲が残した封筒を開封しかねているシーンが、冒頭にありました。
本作の場合は、内容物が狭い意味での遺言書に当たるようなものでもありませんでしたし、しかも封もされていなかったようなので、ある意味「結果オーライ」「めでたし、めでたし」てはあったのですけれども。
これが、もし美咲が書いた遺言書であったとしたら…。
これは、開封せずにいたことが、実は「正解」といえば「正解」になるのです。
もしこれが美咲の遺言書(自筆証書遺言て封がされているもの)であったとしたら、実は、家庭裁判所で検認ということを受けなければならず、検認を受けずに家庭裁判所外で開封することには、いちおうペナルティ(過料の制裁)もあることには、なっています(家庭裁判所外で開封して、それで遺言が無効になってしまうようなことはないと、一般的には理解されてはいますけれども)。
お通夜の席などで、個人の遺言書が出てきたりすると、遺族としては何が書いてあるのかを知りたくて、つい、その場で開封してしまいがちなのですけれども。
しかし、法律の建前では、それはNGとなっていますので、とくとご注意くださいませ。
(反対にいえば、通夜の席ででも、すぐにも遺族に内容を確認してもらいたいのであれば、封筒には入れても、封はしないでおくというのが「正解」といえば「正解」になり
ます。)
矛盾なのか手法なのか、それが問題だ
そもそもなぜ未咲はアトウを選択したのだろう?
この作品に隠された最大の謎を描かないのは、もしかしたらそれは「未咲」の中に書かれているからなのだろうか?
アユミの言動からそれを感じることはできないし、乙坂とアトウとの会話の中にもそれはダイレクトには語られない。ただ感じたのは、それは人の心の成り行き、つまり未咲は単にアトウの方を好きになってしまったということだろうか?
確かに人を好きなるのに理由は後付けだ。「マチネの終わりに」のような出会いもあるだろう。
微妙に納得できないが、このような手法が読者に託すということなのかもしれない。
さて、
恋を描くのに想い出とはなんとも切ないものだろう。
乙坂の想い出の中に登場する未咲とユウリ。アユミとソノカにそっくりなのは、彼女たちが純粋さそのものだからだろう。そうだろうと予想してはいたが、回想シーンはいつも心のどこかを締め付けてくるようにグッと来てしまうのは、もしかしたら歳の所為なのかもしれない。いや、おそらく広瀬すずちゃんと森七菜ちゃんの演技にやられたのだろう。
冒頭の儀式は葬儀ではなく初七日といったところだろうか。
未だ開封できずにいる母の遺書。
遺書という言葉がすぐに自殺を連想させる。
しかし、未咲がアユミに伝えたかったことと、未咲自身の選択に齟齬を感じざるを得ない。
死ぬ間際のシーンがないのでわからないが、病気だったとはいえおそらくまるで別人だったのではないかと想像してしまう。
もしそうであれば自殺の選択は理解できるが、卒業生代表のあの言葉をアユミに遺書として残すという思考回路にはなれないように思し、アユミに対して説得力に欠けるだろう。
なぜ作者は彼女の死を「自殺」に設定したのだろう? その設定にある矛盾を感じたのは私だけだろうか?
アユミもアトウからDVを受けていた。それが限界に来た時、叔母のユウリに助けを求めた。
そしてアトウは姿を消した。すぐに引っ越し、やがて自殺する。
未咲が宝物にしていた乙坂からのラブレター。何度も読み返していた。
アユミが「もう少し早く来てくれていたら」といったが、乙坂を責めることはないのは、それが単なる勝手な思いだということをわかっていたからだろうか。
乙坂から届いた手紙に美咲に成りすまして返事を書くという行為は、アユミ自身の抱いていた期待が正しかったのかどうか確かめたかったからなのかもしれない。
校舎で乙坂と出会い、すぐに乙坂だとわかるあたりも、それが娘だからではなく、ラブレターと手紙から彼を想像していたからだろう。
この瞬間、アユミの希望そのものは叶わなかったものの、思いは届くということを彼女は心の奥で知ったに違いない。
「未咲」を読んでいたアユミは、母がなぜアトウを選択したのかわかっていたのだろう。それは誰も責められないということもアユミはわかっているのだろう。この少女特有の聞き分けの良さが胸を締め付ける。「結果」という問題に対し、アユミはどのようにして折り合いをつけるのだろうか? 未だ読めない遺書がそれを示している。
また、
同窓会で再会した乙坂と美咲を名乗ったユウリ。乙坂はすぐに気づいたと言ったが、実際はそうではないと思う。その後始まった手紙のやり取りは、本人でなければ始まらない。
逆に乙坂の言葉通りであれば、彼は是が非でも美咲に会いたいがために、ユウリに近づいたということか。彼の言ったように、未咲以外書けなくなっていることがそうさせたのだろうか? それは失恋の過去を引きずっているからか、それとも「まだアトウと一緒にいるのかどうか知りたいと思った」からか? この手紙にさえ書くことができないことを彼自身の目で確かめたかったから、宮城までやってきたのだろう。
やがて、乙坂の回想シーンでようやくユウリの立ち位置が判明すると同時に、今回一方的にユウリが手紙を書くような行為の謎が解けるあたりは良かった。
自殺は死亡原因だが、芸能人でもない限り、またいじめなどの事件でもない限り、それを明言することはない。
家族も親戚も、必死になって隠すものだと思う。
なぜなら、その選択に家族も親戚も折り合いを付けられないからだ。
アユミは「お母さんは、何も悪いことしていない」と言ったが、そういうものではない。
自殺とは、家族にとっても親戚にとってもとても重いことだ。
結局この作品は若者たちに向けられているのだろう。
卒業生代表の言葉がそれそのものだからだ。
それは未咲がアユミに伝えたかったこと。
卒業生代表の言葉そのものが作者が若者たちに伝えたかったことだ。
ただし、そこにある矛盾は手法として正しかったのかどうか、私には判断できなかった。
やはり同窓会の設定は無理
大好きな岩井俊二的ノスタルジーワールド全開
「Love Letter」を観たときに感じた、何とも言えない大好きな岩井俊二的ノスタルジックワールドが久々に全開でした。
誰もが感情移入してしまうような若い頃の甘酸っぱい、そして決してポジティブではない気持ちを思い出させてくれますよね。
キャストの新たな魅力の引き出し方も流石ですね。イケメンではない福山ましゃや、バラエティや音楽番組では今一つの森七菜の、女優としてのポテンシャルをこれでもかというくらい魅了的に映し出してくれています。
ついでですが···、岩井俊二監督と同世代であり同郷の私(彼のライバル校卒です)が感じた事。。我々はやっぱり男女共学·制服に強烈な憧れがありますよね。だって私服の男子校でしたもんね。
清々しい
結局のところは
このダブルキャストは
せつない初恋の行く末
手紙にまつわる三角関係=岩井俊二の真骨頂
SNS前後で、エンタメに関するアプローチが180度変わってしまいました。
私は「前」側の人間なので、日本映画界に岩井俊二が生まれた衝撃はいまだに新鮮に感じ取れます。
「後」時代のエンタメは、ショート、共感、同調・・・いわゆる行間を読まない鑑賞方法。
どちらがいいとか悪いとかではないのですが。
「前」派は、映画の感じ方は人それぞれ。いちいち説明するな!それはこっちが感じること!
「後」派は、監督が伝えたいメッセージあるならちゃんと伝えてよ!客に委ねないでよ!
という感じかな?
で、みなさんのレビューを見ていると、この「前後」ではっきり分かれているような気がします。
岩井俊二が日本映画界で起こした革命は、SNS後ではまだ現れていないと思います。
そんな革命家が現れるまで、この映画を古いとかキモイとかと評するみなさまに抗い続け、
自分なりの鑑賞方法をしつづけるメンドクサイ鑑賞者であり続けたいと思いました。
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