「日本映画史に残るようなひとこと、と言っても過言ではない」37セカンズ 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
日本映画史に残るようなひとこと、と言っても過言ではない
でも、私で良かった……。
『風の電話』は少女が語らないこと(語る相手を永遠に失ってしまったこと)で、観る者自身の心の中に多くの重いテーマについて、何かをもたらしていた。
それに対して、ユマは全身で語る。ユマの生きる世界には知りたいこと、伝えたいことがたくさんあるのだ。
母の思い遣りと献身がユマにとっては世界を狭めてしまう皮肉。あれっ?このような親子関係って障害があってもなくてもどこにでもありますよね⁈
この映画の凄いところは、ちょっと一般的ではない人たちや環境の中の話のように見せかけておきながら、実は誰もが日常の中で経験するようなある意味で普遍的な〝後ろめたさ〟を描いて見せていること。
例えば、タイの姉が、率直に打ち明けた〝怖さ〟。
それに近い感覚は誰でも一度ならず感じたことがあるはずです。身近に存在する障害のある方だけでなく、職場や学校で周囲から差別的な扱いを受けている人と関わりを持つことに対する漠然とした不安やこわさ。
誰もが、いつかどこかで抱えた後ろめたさを、冒頭のユマの一言が救ってくれるのです。
亡くなった父の思いや初めて会った姉の率直さ。
何よりも自分のことを人生の最優先にして生きている母の思い。
それを受け止める自分という存在が一種の〝ギフト〟のように思えたのではないでしょうか。
勿論、なぜ私が?なぜ私なの?という思いもあるはずです。でも理屈じゃないんですね、きっと。
もし、順番が逆だったら、あんな姉に出会えなかったし、こんな母の思いを受け取れなかった。
あんな姉とこんな母がいない世界より、今の世界の方がどれだけ素晴らしいか。
日本の映画史に残るような〝肯定〟のことばだと思いました。
琥珀さん
コメントありがとうございます。
「わたしで良かった」
はい。
今を肯定するひとこと そして
自分を肯定するひとことです。
思い出しただけでまたきます じ~んと。
ふぅ。
NOBUさん、Marikoさん、ゆたぼーさん、コメントありがとうございます。
この人の力になってあげたい、と思える人(ユマのことです)に出会えた俊哉くんの姿もまたとても印象的でした。