「斬新な手法と古典的物語」search サーチ arakazuさんの映画レビュー(感想・評価)
斬新な手法と古典的物語
ストーリーが最初から最後まで、パソコンの画面上の映像で展開していくという何とも大胆な手法がこの映画の最大の特徴であり、“ウリ”だろう。
ともすれば、表現の足枷になりかねない手法を使いこなし、サスペンスを盛り上げていく手腕は見事と言うしかない。
特に冒頭、パソコンに保存された写真や映像やカレンダー、メモを使って家族の歴史を描いていく手際の良さには感心するしかなかったが、心のどこかで、家族の歴史のすべてがパソコンの中に?と釈然としない思いも抱いたことも確かだ。
それぞれに妻、母親を亡くした父と娘。
同じ人を亡くしても、悲しみを癒す方法は違う。
父は妻についてなるべく口にしないことで悲しみを乗り越えようとし。娘は事あるごとに母親を話題にし、
彼女を忘れないことで乗り越えようとし、
父ともその時間を共有したいと思っている。
ここのすれ違いが、父と娘の間の溝に繋がり、
気づいてみたら、父親は娘のことを何も知らなかったという事態に陥ってしまった。
もしも、母親について二人で語り合う時間が持てていたら、娘は叔父とマリファナなど吸うことはなかっただろうし、夜中に湖に一人で行くこともなかっただろう。
マリファナ吸うことの是非はともかく、
母親を亡くした寂しさ、その悲しみを父親と共有できない寂しさで元気のない彼女を叔父が見かねたのだろう。
一方、加害者となってしまった刑事の母親とストーカーになってしまった(ストーカーという言葉は強すぎるかもしれない。友達になる方法を間違ってしまった)息子の関係においては、子どもが間違いを起こした時の親がどう対処するかという問題が事件を引き起こした。
息子が電話をしてきた時点で、警察を呼んで捜索していれば問題は大きくならなかったし、息子も事故の隠蔽を望んでいなかったように見えた。
刑事という立場ゆえの自身の保身もあっただろうが、
子どもの起こした事態にきちんと対処できない親は昔から珍しくない。
5年後、10年後にこの映画を観た時には、
この手法も大して新しくは感じなくなっているかもしれないが、この二組の親子の物語は、その時も普遍性を持っていると思う。
メインキャストがアジア系であることも話題だが、最近では(クレイジー・リッチ!』の成功もあるし、
アフリカ系キャストメインの『ムーンライト』『ブラック・パンサー』は内容も評価され、興行的にも成功している。
もはやハリウッド映画も、若く美しい白人男女のスター俳優が主演しなくとも、映画自体のクオリティーが高ければ問題ない時代になっている。