冬時間のパリのレビュー・感想・評価
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電子書籍と私小説作家
会話がとても面白かったです。 秀作とまでは行かないけれど、中高年の本好きには楽しめるのでは・・・。 出版社の不況に押し寄せる電子書籍に移行する流れ。 出版社の敏腕編集者アラン(ギヨーム・カネ)が主役。 売れない私小説作家のレオナール(バンサン・マケーニュ)は、 アランの妻セレナ(ジュリエット・ビノシュ)と不倫関係にある。 アランは知らない・・・疑っていない。 ほぼ出演者たちの会話&会話&会話・・・文学やSNSの台頭・・・ 今は「オール・ザ・ピープル=ナルシストの時代」で、 自己表現をしたくてたまらない人々のブログ。 プログとツィッターが、小説より読まれている。 ブログと小説の垣根はあるのか?みたいな話が面白くて、私は 会話が楽しめました。 こんな会話が無駄話・・・そう思う人には値打ちのない映画でしょう。 また、夫も不倫、妻も不倫。 不倫経験しか書けない私小説作家が、打たれ強くコメディを盛り上げる。 ハゲてて毛深い風采の上がらないレオナールなので、“なぜにモテルか? 分からずますます可笑しい。 「不倫は文化」のフランス。 愛人が居てもいちいち離婚なんかしないのです。 日本人だと出版界の不況もだけど、映画原作がほとんど漫画・・・そう言う現実とSNSはどう関係してるのかしら? その辺も聞きたかったなぁ!! こう言う映画を観る時間は貴重に思えました。
【”こじれた2組の夫婦の関係性の変遷を”会話劇”で描く作品” 邦題「冬時間のパリ」って、どうなのよ!】
ー フランスの文化人って、性に寛容な方が多いんですか?、と思わず突っ込みたくなる作品。 原題:「Doubles Vies」 ”二つの生活”ー ◆登場人物 ・アラン(ギヨーム・カネ)・・敏腕編集者で、部下のロールと不倫中。 ・セレナ(ジュリエット・ピノシュ)・・女優。TVドラマの警官役に飽きている。アランの妻。 ・レオナール・・小説家。(本人は否定的だが、個人情報ダダ洩れの私小説家。)セレナとは、6年もの間、不倫中。アランとは、ビジネスと友情で繋がっている。 ・ヴァレリー・・レオナールの妻で、有力政治家の秘書。 ■感想 ・皆さん、ハイソな地位にいるが、性にはとっても”寛容” ・前半は、書籍業界の今後について、電子書籍化して行く派(アラン)や、紙に拘る人々の姿が会話劇の中で描かれる。 ・けれど、現代書籍界が抱える問題を軽妙な会話で、語り合う人々の顔は明るい。 ・アラン&セレナとレオナール&ヴァレリーの夫婦は、何気ない顔で海岸でバーベキューしてるし・・。 <登場人物の会話は、ナカナカに文学や映画の知識を要求されるが、オモシロイ。 そして、こじれた2組の夫婦関係も、”不倫してたこと、知ってたよ・・”で、済んでしまう・・。 いやいやいや・・。 このテーマで邦画を製作したら、ドロドロの展開になっちゃうよ! ◆パリの出版業界を舞台に、迷える大人たちの愛の行方を描く小粋で洒脱なラブストーリー>
ジュリエット・ビノシュに出演依頼
出版編集者と女優、私小説化と女性活動家、この二組のカップルはああでもない、こうでもない、と議論をふっかけあい、不倫をしてしゃあしゃあとしている。 出版のデジタル化の議論は面白かった。 終盤の”ジュリエット・ビノシュ”には思わず吹き出した。
ザ ・フランス
お酒を呑みながら鑑賞したので、ところどころ私の記憶が飛んでますが、ザ ・フランスという作品でした。幾つになっても恋愛できるのが、凄い。そもそも面倒くさいという概念はないんだろうなあ。文化だからでしょうか?
キンドルと紙の本
やばい、一体何を言いたい映画だったのだろうか?と、見終わってもネットとリアルの議論しか頭に残ってなかった。2組の夫婦、そしてギョーム・カネと若い子の不倫、カネの妻役ジュリエット・ビノシュが小説家と不倫。不倫のおかげで愛が長続きするとか、勝手な意見が頭から離れないけど、ほとんどがキンドルなどの電子書籍と昔ながらの本のどちらがいいかという内容だった。 フランス映画の会話劇。これは結構苦手。不倫の話は面白いけど、書籍の話なんてどうでもよく、自分たちの普段の会話でも行われていそう。そんな議論をわざわざ映画で観なくてもって感じでした。 本が高いってところで、この前観た『つつんで、ひらいて』を思い出しました。
フランス人って大人だわあ…
いきなり始まり、 ノンミュージックで 迷える大人達の会話のみで 話は進みます。 書籍のデジタル化の話に 絡み、登場人物の様々な 恋愛模様が繰り広げられて 行くのですが、電子書籍とか 無機質でスマートで、便利で 何というか匂いがない方向へと 仕事の話は進む中で、それを 利用する人のやっている事は、 まあ、何て生臭いっ!笑 こういう話を嫌味なく作れるのは フランス映画しかできないわ、 と感服しました。 フランス映画を観ていつも 思うのですが、個人の思いや 気持ちをはっきりしっかり持って いて、主張できる。 だからと言って、違う 意見の人を認めないわけではなく。 それは、個人が確立しているからこそ できる術であって。 全てのフランス人が そうだとは思いませんが、 横並びに安心しながら過ごす 自分は、ザ・日本人だわっ!と苦笑い。 いつも観るたびに、 心に新風を感じさせてくれる フランス映画は、良い悪いは 別として、だからやめられまへんなあ と改めて思わせてくれた作品でした。
朝まで生テレビINパリ
好きだなぁ~🌠 フランス人「あるある討論会」 熱くならずも自己を通す! 個人主義の国民性と不倫さえ自然体に見えてしまう感覚・・日本人には理解し難いところが 実は・・羨ましい😅 物語のキーになる電子書籍VS紙本 私は断然!紙派!! 帰り道・・書店に寄りたくなりましたね✨
フランスの大人たち
原題の「Doubles Vies」は直訳すると「ふたつの人生」となる。もう少し踏み込むと、人生に裏と表がある、つまり二重生活の意味となる。 アルファベットのWは英語だとUがふたつで「double U」ダブリューだが、フランス語の場合はVがふたつで「doubles V」ドゥブレヴィである。この発音は本作品の原題と同じなのでタイトルは「W」でもよかった。少し洒落た話である。本作品は「夏時間の庭」(原題「L'heure D'ete」)と同じ監督だから「冬時間のパリ」にしたのだろう。この邦題は悪くない。 高校の必須科目に哲学があるほど哲学好き、議論好きのフランス人ならではの映画である。どんなに議論が沸騰しても誰も感情的にならない。これがアメリカ映画だったら必ず殴り合いに発展するだろう。アメリカ人にとってはそのほうがリアルだからだ。 他人の意見に寛容であると同時に、フランス人は浮気にも寛容だ。日本の男性タレントが「不倫は文化だ」と言ったとかいう話があったが、フランスでは文化とまでは言わないにしろ、人間性のひとつというか、ある意味でやむを得ないものとして認められているように思う。 さて本作品は二組の夫婦を中心とした人間模様のドラマである。配偶者が浮気をしていることを薄々感じながらも、夫婦としての愛情も維持している。浮気を隠してはいるが、バレることを恐れてはいない。このあたりは儒教的な教育を受けて倫理に厳しい日本人にはなかなか理解できないところだ。 延々と続く会話は、電子書籍の話であったり、小説の話や政治の話、時には浮気の話であったりする。その会話のいずれもが、男と女の間で微妙に論点がずれて噛み合わないのが面白い。たとえば政治に関する議論で論点がずれていると感じたのは、男の作家が現実の政治を批判したのに対して、別の作家の妻が理想としての政治を擁護したところだ。作家の妻は政治家の秘書でもあり、自分の立場を正当化するためにも政治を前向きに捉える必要があるのだ。それは作家の妻が必ずしも頭の回転が速い訳ではないことを示している。しかし一方で、夫である作家の浮気の兆候には敏感だ。女の本能は頭のよさとは無関係なのだ。 微妙に噛み合わない議論は製作者の狙いだろう。噛み合いすぎて論争に発展したら物語にならない。人の意見をちゃんと聞く。自分の意見もちゃんと言う。結論を出す必要のない議論では結論を出さずにおく。みんな大人である。大人と言っても、日本人の大人と違って、互いの意見の相違を受け入れる寛容さや、性行為をレジャーのように楽しむおおらかさは流石に自由の国フランスである。 本作品はフランスの大人たちの精神性をあけすけに描いてみせた。当然ながら子供は登場しないし、子供みたいな精神性の大人も登場しない。誰もが少しずつ自尊心を傷つけられるが、だからといって激昂したり恨んだりしない。こういう鷹揚な精神性に触れてホッとするというか、自分のせせこましさを反省するというか、人間そのものを肯定してもいいのかもしれないと思わせてくれる作品である。 ジュリエット・ビノシュはこの作品でも輝いていて、妖艶だったり、ただのおばさんに見えたり、大人の女のたくましさを見せたりと、多面的な演技をしていた。それは人間の存在が多面的であることに通じていると思う。最後のオーディオブックの話ではジュリエット・ビノシュに朗読を頼もうという楽屋落ちみたいなギャグも入れ込んでいて、製作者がこの作品を楽しんで作ったのが伝わってくる。
フランス映画の2020年代的王道
やっぱり小道具はりんごのマークのデバイスたち。 しかしそこはフランス映画の王道行ってます。 登場人物たちは斜に構えたスタンスで 「ググる」とか「フェイクニュース」とか「wikiでは」とか「炎上」とかあえて言及。 出版社もビジネスの「デジタル化」がキモです。 しかしなさってることは「既婚者でも恋愛OK、でしょ。(内心)それが何か?」という、生活感なしのケセラセラな日々。 どの映画も等身大の男女を描きながら、その職業が作家、女優、知的労働者に集中しすぎているところが残念なのは庶民(私)のひがみか。 総じて、いいんじゃないかな。だって映画だもん。自分と価値観の違う人たちの日常を覗き見! お世辞にもいい男じゃない私小説家のお部屋に奈良美智らしき額装を発見したり、楽しい。 子どもはかわいいけど、やがてすぐ大人になって離れていく。高齢出産なら、なおさら1年は短く感じられよう。多少のトラブルを内包しながらも、複数カップルの男女が長く共に年を重ねていけるコミュニティがあるってすごく幸せなことだと思う。 見終わって、私も赤ワイン飲みたくなりました。 ラストシーンが気持ちのいい海辺の別荘ロケーションっていうのは、「ああ、あと10分くらいで終わるのね」と思わせられてちょっと興ざめでした。
ジュリエット・ビノシュ祭 その2
出版業界を中心とする内輪話でした。夫婦だったり、友人だったり、作家と編集者だったり。元彼だったり。元カノだったり。みんな仲間。ジュリエット・ビノシュは女優役。脇役で忙しい中堅女優役。日本だったら、誰を想像しますか?今の旦那は出版社の社長で、元々遊び人。元カレが作家。いかにもダメ男っぼいその作家さんが、彼女が主役の私小説(暴露本に近い)を書くと、仲間内で話題になる会話劇。字幕読むの疲れます。まぁ、セレブの痴話話で、少しは揉める場面もありますが、喧嘩にもなりません。古い友達同士です。 最後の方の海辺の別荘での場面、その私小説が映画になったら、「ジュリエット・ビノシュが主役を受けてくれないかしら?」とジュリエット・ビノシュ自身が言うセリフがありマス。 フランス国内のテレビドラマでよくね。と、思いました。笑ったけど。 フランスは事実婚が多いんだろうなぁ。くっついたり、離れたりしやすいように事実婚多いのか? 乱交推奨システムじゃない? お盛んなお国柄の大人のお話でした。多少は合体シーンあったか、なかったか? 覚えていません。 撮影監督は宇宙SFサスペンスのハイ・ライフと同じ人でした。どんな人か、もちろん存じ上げませんが。フランス映画界の内幕はどうなっておるのか? 次は、大学教授役。期待しております。
アナログとデジタル、夫と妻の曖昧な関係
東京国際映画祭にて鑑賞 時々笑いながら、軽〜い気持ちで観られるコメディ映画だった 登場人物たちの会話を楽しみながら、自分だったらどう思うかとか、会話に参加してる気分で楽しんだ作品 主人公は、ギョーム・カネ演じる書籍編集者。 彼は、本の電子書籍化が出版業界を飲み込もうとする波に悩まされている そのギョーム・カネの妻をジュリエット・ビノシュが演じているが、彼女は、夫が担当した作家と浮気している… 現代は、多くのコンテンツが電子化されつつあるけれど、アナログも今まで通り残っている 例えば、音楽だったら、配信のデジタル音源と、CD 本だったら、電子書籍と、印刷された本など この映画の主人公たちはアナログ世代だけど、デジタルも受け入れなければ生活していけないことに戸惑っている 彼らよりも若い世代になると、デジタル以外は受け入れられない世代がやってくる この映画は、そんな現実を描きつつも、アナログとデジタルのどちらが正しいと描いているわけではない あらゆる物事には二面性があって、その境界がとても曖昧になっている現実を描いている 主人公は、お互いに不倫しているダブル不倫で、そのことにお互い気づきつつも、離婚する気はない 出版業界も、電子書籍の波に押されて弱体化しつつも、本が全くなくなるわけではなく、結局、作家が本を書かなければ始まらない 本も、映画も、音楽も、何を選ぶかという時に、消費者はSNSの「いいね」の数に惑わされる 「どれが正しい」とか「どれが悪い」という境界は曖昧になり、人々は今まで以上に、自分の感覚で生活するようになる 私の勝手なイメージで、フランス人は人の意見に惑わされない人たちだと思っていたんだけど、彼らもSNSの評価に振り回されるんだー っていうのは、かなり意外だった そんな、現代の波に乗り切れない中年世代を描いた作品だけれど、随所に笑えるシーンが散りばめられてて、楽しかった 中にはビノシュが、女優ジュリエット・ビノシュを語る場面もあって笑ってしまった まぁ、そうは言っても、 私も昭和の人間なので、あんまり彼らのことを笑えない 私は、音楽だったらデジタル、本はアナログ、映画は映画館だけど、家で映画を観るならデジタル派という、アナログとデジタルの二刀流 情報は、ツイッターとネットニュースのみで、新聞は一切読まないので、本以外は、ほぼほぼデジタル人間だ そんなことを考えながら、彼らの意見に同意したり、しなかったりしながら、観ていた とはいえ、肝心の人間は型のあるアナログなので このデジタルとアナログが混在する曖昧な世界はしばらく続くんだろうなぁ
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