「キューブリックがお気に入り」女王陛下のお気に入り かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
キューブリックがお気に入り
ヨルゴス・ランティモス自身の脚本ではないため、やる気半分のやっつけ映画だったのではと、勝手に想像して今まで鑑賞するのを控えていた1本なのです。アン女王の寵愛を受けるため側近の座を巡って2人の女官が醜い闘いを繰り広げるブラック・コメディは、ちょっと見フェミニズム・ムービーのような印象を受けるのですが、ランティモスが意図したことは全くの逆だったような気がするのです。
アン女王(オリヴィア・コールマン)が居を構えるお城の中の豪華な部屋や廊下、周辺の森の風景を超広角レンズで映し出したショットに軽い目眩を覚えながら、ちょっと待てよこれと似たシーンを遠い昔にどこかで観たような.....そう、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』と同じ撮影法であることに気がついたのです。暴力をまるで人間の本能であるかのように描いた超問題作を、どこぞの名画座で『シャイニング』(アンが弱っていくくだりはこっちかな?)と二本立てで鑑賞した時のことを思い出したのです。(ちなみにロウソクシーンは『バリー・リンドン』か)
それはランティモスの確信犯的な演出だと思われるのですが、なかなかあっさりと真意にたどり着かせてくれないところが、この監督の深い魅力でもあるのです。私が思うにこの映画、人間とくに女性の複雑な“本能”についての作品なのではないでしょうか。コンプレックスや嫉妬にとち狂ってライバルを暴力的に排除しようとする(『時計じかけ.....』のアレックスのような暴力ための暴力を使った)女性同士ならではの冷酷な生存本能だけではないような気がするのです。
アン女王をSEXと言葉責め?で意のままに操っていたサラ(レイチェル・ワイズ)が侍女のアビゲイル(エマ・ストーン)の策略によってその座を奪われてしまいます。和解のためサラが女王宛に認めた手紙を読んだアビゲイルが、その手紙を暖炉で燃やしながらふと涙を流すシーン。『ブレードランナー2049』のラブが女性警察署長殺害の時に流した涙と同じ“不可解さ”を私は感じたのです。男性だったら間違いなく、相手に対して圧倒的優位に立ったことを確信し不敵な笑みを浮かべるところを、なぜアビゲイルは涙したのでしょうか。
死産や流産、病死で失った子供と同数の17匹の🐇を飼っていたアンは、「私は“愛”が欲しいのよ」と言って結局サラを城から追いやり、表面上自分に何も求めてこないアビゲイルを選ぶのです。そのアンを利用していたサラやアビゲイルもまた、けっして打算だけではない愛情をアン女王に抱いていたのではないでしょうか。誰かに愛されなければ生きていけない女性の悲しい“本能”。(『ブレードランナー2049』のラブや)アビゲイルは、女性ならではのその本能に気づいて涙を流したのではないでしょうか。
フランスとの和平を望むハーレー卿(ニコラス・ホルト)が陰ではアビゲイルに平気で暴力を振るう下衆野郎として描かれているため、本作をマチズモ批判のフェミニズム映画と勘違いされた方も多かったことでしょう。しかしラストでは、女王アンに杖替わりに頭を上から押さえつけられ、屈辱感を顕にするアビゲイルが、(アビゲイルが踏みつけにした)🐇ちゃんたちの姿にオーバーラップしていくのです。所詮死んだ子供たちの代替えにすぎないことを身を持って知るのです。たとえお金があって身分を保証されていたとしても、“愛”なしには生きられらない存在であることを思い知らされるのです。