「後悔と再生」泣くな赤鬼 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
後悔と再生
人は屡々「してしまったこと」を後悔しますが、それは寧ろ日常生活の中での軽い躓きに過ぎないことが多いでしょう。心の奥底から後悔し人生の桎梏となるのは、「しなかったこと」「やれなかったこと」に対しての悔恨です。
人生の黄昏年齢であればあるほど、猶更心に蟠踞する昔日への思いは暗く深いものです。
ただ人は諦観に耽るだけではありません。心をリセットしやり直すことが出来ます。たとえ年齢が幾つであったとしても・・・。
本作の主人公は長年高校野球の監督として指導に熱中し、多くの生徒と巡り合い過ぎ去っていった中に、不本意な意思疎通のすれ違いで去っていった生徒が、彼の心に蟠っていました。その生徒との偶然の再会から、改めて過去を顧み、そして現在の己を見詰め直す。
本作が根差すテーマは深遠であり崇高です。
20世紀の末頃に持て囃されたアメリカの詩人・サミュエル・ウルマンの詩「YOUTH(青春)」の一節を思い出しました。
「人間は年齢を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。」
「人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。」
本作のフレームワークは、重松清原作に沿って確固としていますが、ただ筋立てが茫漠として詰め切れていないために、感動が喚起しきれず、やや淡々と進行してしまったのは残念です。特に堤真一演じる主人公の現在と過去、その時々の感情の起伏と行動が、終始第三者視点で捉えられているために整然としていて静的にしか見えず、彼を突き動かす滾るような情熱と、その反動としての醒めきった諦観が伝わってこないように感じます。
「余命半年の元生徒と教師の再会-最後に分かり合えた絆の物語」というキャッチコピーから、泣かせてくれることを期待しながら、残念ですが全く泣けませんでした。その点では期待外れでしたが、これまでの人生の後悔を総括してみようと思い至る、その好機にはなってくれました。