「本能的に恋に落ちることの希少性」マチネの終わりに shotamalさんの映画レビュー(感想・評価)
本能的に恋に落ちることの希少性
「もし洋子さんが地球のどこかで死んだって聞いたら、僕も死ぬよ」
予告にも出てくるこの言葉を聞いて、
あなたの好きな人や恋人、あるいは配偶者を思い浮かべて欲しい。
その人はあなたにとっての全てと言えるのか?
いや、多くの人はきっとそこまでの領域には達していないのだろう。
適齢期に焦り、落とし所を見つけ、惰性から目を背けてなんとなく共にいるだけなのではないか?
今、自分が持っているすべてのものの中から、「まだマシ」なものを選別し、なんとなく手に取っただけなのではないか?
十分な言葉を使って他人に説明したとしても、なかなか理解してもらえない自分の思考。
それをほんの少しの言葉とニュアンスからすべて汲み取り、手に取るように理解してくれる聡史のような人。
そして
同じ瞬間に自分とまったく同じ思いを抱く、洋子のような人が目の前に現れたら。
「本能的なレベル」で頭の先からつま先まで互いを理解し合えるような、
そんな2人の出会いは奇跡の出会いとしか言いようがない。
この世界にはこれだけの数の人間が生きている。
きっと誰にとってもそんな「運命の人」は、世界のどこかに必ず存在するのだろう。
しかし「多すぎる」「広すぎる」が故に人生の中で、自分の生まれ持ったパズルのピースに合致する人に出会える運の良い人間は、ごく一握りなのだろう。
だからみんな運命の人との出会いなど待ちきれずに、
少しの惰性を抱えながら生きていく。
そんな惰性に塗れた世の中だから、
この物語の2人を理解できない(理解したくない)という人もいるのかもしれない。
しかし「マチネの終わりに」はそんな人(運命の出会いを待ちきれなかった人)にほどお勧めしたい作品だと感じた。
彼ら2人が瞬く間に恋に落ちる瞬間を観て、
あなたとあなたの隣にいる人の出逢った頃を、いま一度思い返してほしい。
そして「幸福の硬貨」のクラシックギターの音色とともに心絆されて欲しい。
ーーー余談ーーー
数々の恋愛映画を観てきて私は学んだ。
いついかなるすれ違いが起きても良いように、
大切な人の電話番号は双方ともにすでに暗記している。
公衆電話からでもどこからでも連絡できるように。
そんなことしなくても、映画のような大それたすれ違いなど現実にはそうそう起きないのだが。
念のため。
でもその念のためがなにかと大事。
Shouhei Okuyamaさん
コメントありがとうございます☺️
「子どもがかわいそう」「夫、妻がかわいそう」など、様々な立場から見た意見も存在する作品でしたね。
しかし運命をなかったことにして、必死に「家族ごっこ」を続けたとしても、
結局いつかは双方ともに堪えきれない限界がくると思うんですよね。
すべては時間の問題なのかと。
そして子どもは敏感なので「家族ごっこ」のなんとも言えない「歪み」にいつかは気がつき、
そして「偽物の愛」を親が子に見せ続けることは、子供の健全な発育を妨げる大きな原因にもなるのだと個人的には考えております。
洋子も聡史も「運命」を選んだその選択の先で、最良の道を子供たちが歩めるように責任を持って考え、行動できる人たちだと信じています。
このように、家族の在り方についても様々なことを考えさせられる作品でした。
長々と余談を失礼しました。