「You do not bother me at all.」ホワイト・ボイス Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
You do not bother me at all.
タイトルに惹かれて借りて見始めたが、サイファイ、ドラマ、芸術、マイクロアグレション、ユニオンの労働争議、ピケッティング、愛、ヒューマンドラマ、ある寡占企業の人間の奴隷化、そのトップ企業が生産性をあげて市場を独占ために人間の体をを半分馬(equisapien )に。
かなり理解できないのが、芸術、これがカルフォルニア州オークランドのストリートの芸術だったり、デトロイト(俳優テッサ・トンプソン)の創作の賜物だったり、頭の中がバラバラになってしまって、これらすべてを総合的に考えて鑑賞するのは難しかった。
主人公キャシュ(ラッパーで俳優ラキース”・スタンフィールド) が 最後に社会正義のために立ち上がるまでのシーを描き、これによってガールフレンド、デトロイトとうまくいくようになるという話。
私の興味のあるのはマイクロアグレッションのシーン。キャシュはウォリーフリー(WorryFree’s)のCEO ステーブ (アーミー ハンマー)のパーティーに招待され、ラップを無理に歌わせられるシーンがある(黒人の男はみんなラップが歌えると思うバカな偏見が社会に残っている)。
これを人種差別だという人がいるようだが、こういう行為をマイクロアグレションと言う。(したくないのに無理にさせられることなど)
この時の、ステーブの戸惑いをよく観察すると面白い。彼が、ラップをやれと言い出したのだが、招待された人々の極度なのり。スティーブの心の中を私なりに勝手に分析してみると、こののりが全体主義の初期状態、この人々の精神をうまく利用して市場を支配(人間の体をを半分馬にして生産性を上げる)に結びつけようと??
彼はCEOで、テレビでのインタビューから察しても教養があり、社会情勢の勉強もしていそうな人。この人が、優秀な「ホワイト ボイス」が使える従業員の黒人のキャシュに『ラップが歌えるだろう』という言葉は半分冗談のつもりで言っていた思う。
黒人同士が人種に関して言えると言葉と、異なる人種同士が言える言葉は違う。このCEOは自分の蒔いた種の反響にびっくりしてしまったのに違いない???