真実のレビュー・感想・評価
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大女優にとっての真実とは?
日本人監督が国際的な俳優陣を使って映画を完成させる日が来るとは。そしてそれを海外で高く評価される日が来るとは。同じ日本人として誇らしく思える。
自身の子供にも母親としての優しさや愛情さえも伝えず、回顧録にも様々な真実を書き記さなかったのは、女優としての世間のイメージを保つためなのだろうか。自分自身に強い女優であるべきだと言い聞かせるためなのだろうか。
彼女の心の葛藤は具体的には描かれていないが、ズケズケという言葉のチョイスや身内に対する態度、タバコを吸う回数等で感じられた。
本の中に描かれた嘘の真実ではなく、真の真実が晩年明かされるたびに、成人した子どものモヤモヤも、女優としてのつっかえも溶けていき、観る人をも幸せにしていくあの瞬間は心地よい。
ドライブ・マイカー的な発想か
「真実」って、かなりストイックっぽい題名だったけれど、フランス映画らしく、おしゃれな感じが出ていた。大女優のファビアンヌ(ドヌブーブ)が自伝本を出版し、お祝いに駆け付けた娘リュミール(ビノシュ)と夫(イーサン)とその娘。自伝本には、都合のいいような嘘が散りばめられ、亡くなった姉のサラ、秘書、元夫のピエールのことをまともに書かれていない。内容について、母をなじる。ファビアンヌが演じている映画は、マノンが演じる母が普通よりも歳を早くとってしまう病気のため、普段は宇宙に滞在していて、7年おきにファビアンヌが演じる娘の元に戻ってくる映画。娘であるファビアンヌは、母がいつも不在がちで寂しいという心情を、戻ってきた母にぶつける役。ファビアンヌは、女優だったため子どもたちに寂しい思いをさせたことを、役柄を通じて追体験する。そして、母役を演じるマノンは、娘だったサラに似ている。かつてサラから役を奪って、悲しみにくれたサラは泥酔して海に入って溺れて死んでいた。
娘リュミールに、「お母さんが殺したんでしょ」と追及されても、うそぶくファイアンヌ。
しかし、実の娘とのやり取り、自叙伝に書かなかった秘書や父が出て行ってしまったこと、マノンがサラに見えてしまうこと等を通して、強がっていたファビアンヌの頑なな心が、溶けていく。
「記憶って曖昧なものよ」っていうのもキーワード。自分の記憶って、自分の感情に基づいて、いいように覚えているもの。過去の思い出が、実は真実ではなかったことを、母から聞いて、母を許す気持ちになるリュミール。
母と和解ができたリュミールは、娘のシャルロットに「おばあちゃんを宇宙船に乗せたい。自分が女優になるまで、生きていてほしいから」って言わせて、ファビアンヌは、本当のこととして喜ぶ。シャルロットが、リュミールに聴く。「これって、真実?」
人と人との関係に関わる真実って、人の心を仲介するから、真意を完全に理解するのは難しい。自分の心さえ自分では、わからないことも多いのだから。まして、記憶にしまわれていく自分が信じる真実は、当てにならないってことか。
映画の中での劇中劇という作風は、「ドライブマイカー」と似たようなテイストでした。
演じることが、自分たちの現実にも影響を与えていくって、現代的なのかもしれない。「いいね」とか「映え」、つまり他者を意識して、自分を絶えず演じて、盛らないといけないような現代に生きる我々にとって、身近な題材ともいえるのではないか。
是枝・脚本演出により上質に思えるフランス映画となったのは、少々誇らしく感じた
是枝裕和 監督による2019年製作(108分)のフランス・日本合作映画。原題:La verite、配給:ギャガ。
監督及び脚本以外は、俳優もスタッフも殆どがフランス人で、更にあの仏大女優カトリーヌ・ドヌーブ主演ということで、全体的な印象としてもフランス映画であった。ただ、テーマは母娘の葛藤や元夫や元夫、娘婿や孫娘、長年の個人秘書も登場しての家庭の変化や家族の絆の様なものを描いていて、まさに是枝ワールドでもあった。そして、予想していた以上に面白く、出演俳優の力量の高さもあるかもしれないが、是枝・脚本演出とフランス映画の相性の良さも感じた。
当初、母カトリーヌ・ドヌーブに対して、自分の面倒は全く見ず、自叙伝も嘘ばかり、ライバル女優(良く懐いていたドヌーブの妹)から汚い手で役を奪ったと批判的にみていた娘ジュリエット・ビノシュが、次第にそうでもない真実(学芸会にも実は来てくれていた等)に気づいていく展開は、後の「怪物」を予見させる真実が次第に明確になっていく趣きで、かなりワクワクとさせられた。
自分以外の俳優の演技やアイデアには辛辣な評価を下す大女優役カトリーヌ・ドヌーブ(1943年生まれ)だが、孫娘相手に魔女を演ずる等ユーモアがあり、高年齢から今後の演技に不安も覚えていて、超我儘だが、可愛いくてどこか憎めない大女優を、上手く造形していて感心させられた。
孫娘役クレモンティーヌ・グルニエも、大人の俳優達を相手に生き生きと演技していて、とても良かった。見学に行ったドヌーブ出演映画に出ていた子役とハリウッド子役になりきったフリの会話も、可愛く可笑しかった。是枝監督の子役への演出術の素晴らしさは、相手がフランス人子供に変わっても健在だった!との印象。
娘ジュリエット・ビノシュの夫で米国人二流俳優役イーサン・ホークも良かった。娘と遊ぶのが大好きで、俳優として義母に大いなる関心を示し禁酒してたのに破ってしまう様の表現が実に上手い。フランス映画らしい音楽も良かったし、何より舞台となった家、否お城の様な屋敷、それを囲む自然の映像がフランス絵画の様に美しかった。
日本人の脚本監督により完成度の高いフランス映画が創られたことを、少し誇りに感じた。
監督是枝裕和、脚本是枝裕和、製作ミュリエル・メルラン、福間美由紀、 マチルド・インセルティ、撮影エリック・ゴーティエ、美術リトン・デュピール=クレモン、衣装パスカリーヌ・シャバンヌ、編集是枝裕和、音楽アレクセイ・アイギ。
出演
カトリーヌ・ドヌーブファビエンヌ・ダンジュヴィル、ジュリエット・ビノシュリュミール、イーサン・ホークハンク・クーパー、リュディビーヌ・サニエアンナ・ルロワ、クレモンティーヌ・グルニエシャルロット、マノン・クラベルマノン・ルノワール、アラン・リボルリュック、クリスチャン・クラエジャック、ロジェ・バン・オールピエール。
フランスを代表する大女優と、日本を代表する映画監督の夢のコラボ。 大仰なあらすじに真実はあるのか?
ぎくしゃくした関係である国民的女優ファビエンヌと、脚本家である彼女の娘リュミール。
ファビエンヌとリュミールの確執と、次第に変化していく2人の心境を描いたヒューマン・ドラマ。
監督/脚本/編集は『海街diary』『万引き家族』の、日本が世界に誇る名匠・是枝裕和。
大女優ファビエンヌを演じるのは『シェルブールの雨傘』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の、レジェンド女優カトリーヌ・ドヌーヴ。
ファビエンヌの娘・リュミールを演じるのは、『GODZILLA ゴジラ』『ゴースト・イン・ザ・シェル』の、オスカー&世界三大映画祭を制したレジェンド女優ジュリエット・ビノシュ。
リュミールの夫・ハンクを演じるのは『ビフォア』シリーズや『ガタカ』のイーサン・ホーク。
本作で描かれるのは、「客観的な真実などは存在しない」という真実。
真実とは常に主観的なものであり、観測者の有様によって、事象は如何様にも姿形を変える。
そして、もう一つ。自分の記憶は真実にはなり得ない、という事。
記憶は現在に至るまでの過程で、観測した時とは別の形へとその姿を変えているからである。
大女優ではあるが性格が最悪な母・ファビエンヌ、そんな母親に嫌気が差してアメリカへと渡った娘、リュミール。
数年ぶりに帰省したリュミールが、久々にファビエンヌと共に時間を過ごす事で、見えていなかった…というよりは見ようとしなかった真実が顔を覗かせる、というのが本作のストーリー。
あらすじを読むと、本作は親子の間に隠された秘密を巡る、愛憎入り混じった驚愕のサスペンスなのだと勘違いしてしまうだろう。
実際自分もそういう映画なんだと思って観賞し始めたのだが、実際は全く違う。
拍子抜けするほどに軽やかなタッチで描かれた、ほとんどコメディと言っても良いほどに明るく爽やかな映画だった。
監督曰く、「読後感の重たい映画」が続いていたので、本作は意識的に明るい映画にしたのだそう。
ぶっちゃけ、なんでこれをわざわざフランスに行ってまで撮ったの?と言いたくなるほどカロリー低めの映画。
とはいえ、邦画特有の辛気臭さみたいな物が無い、誰にでもお勧めできる気楽で楽しい映画だった♪
一つ思ったのは、主演を務めるカトリーヌ・ドヌーヴに対する思い入れの大きさで、本作にノれるかどうかが分かれるかも知れない、ということ。
イーストウッドの『クライ・マッチョ』やスタローンの『クリード チャンプを継ぐ男』など、往年の大スターは、自分の置かれた境遇と映画の役どころがリンクするかのような作品を制作することがある。
本作も正しくそういう映画。国民的女優でありながら、業界的にはもう終わったロートルとして扱われがちなファビエンヌの姿は、やっぱり現在のカトリーヌ・ドヌーヴと被る。
名前だけしか登場しないものの、物語のキーパーソンとして確かに存在している女優の「サラ」。
若くして死んでしまったという親友かつ好敵手のサラ。
彼女の存在は、どうしても夭折したカトリーヌ・ドヌーヴの姉フランソワーズ・ドルレアックと、カトリーヌから恋人を奪った名女優ジェーン・フォンダを思い起こさせる(「政治やチャリティーに口を出す女優は、女優という仕事に負けたのよ」というセリフは、政治活動にアクティブなジェーン・フォンダを揶揄しているように聞こえるが…💦)。
サラの形見であるワンピースは、カトリーヌ・ドヌーヴが『昼顔』(1967)で着ていたワンピースがモデルだという話だし、やっぱりカトリーヌ=ファビエンヌとして観賞しちゃう。
カトリーヌ・ドヌーヴのファンであれば、本作の受け取り方も大きく変わってくるんだろう。
…ちなみに自分は『シェルブールの雨傘』すら観た事がない、全くのカトリーヌ・ドヌーヴ童貞なので、ファビエンヌのことを「嫌なババァだなぁ」としか思いませんでした😅
本作のタイトルである「真実」とは裏腹に、本作の登場人物は皆、何かしらの嘘をついている。
意図的に吐かれる「嘘」は、無意識のうちに信じ込んでいる「真実」の対であり、それと同時にその「嘘」すらも、「真実」の一部であると言えるのかも知れない。
ファビエンヌは、実はリュミールが出演していた『オズの魔法使』をこっそりと観劇していたことを告白する。
ここは確かに感動的な場面である。
しかし、本当にファビエンヌは『オズの魔法使』を観劇していたのだろうか?
ファビエンヌの発言が真実であるのか、それとも嘘であるのか、それはファビエンヌにしか分からない。
だが、この瞬間、リュミールにとっては母親が観に来てくれていたということが真実となった訳で、それが本当に起こった出来事なのかどうかはもはや問題ではない。
真実とは、主体がどう受け取るのかが全てであり、それが本当なのか嘘なのか、事実なのか虚構なのかは、ある意味では重要なことではないのだろう。
白状すると、本作が初の是枝作品。
今まで何となく気が進まなくて一本も観てこなかったが、遂に観賞することが出来た。
監督自身も言っているように、本作はとてもライトな作りの映画。
日仏合作という変化球だが、自分のような是枝初心者には、むしろこの作品は入り口として最適なのかも。
フランス語が分からなくて終始アホ顔なイーサン・ホークがとても可愛らしかった😆
ダメっぽくて冴えないけど、なんか愛されるオッさん。
自分もイーサン・ホークのようなスタンスで生きていこうと思った。
※本作の日本語吹き変えはかなりの珍品!
ジュリエット・ビノシュが宮崎あおい…🌀
いや確かに宮崎あおいは声優としても上手いけど、あの可愛らしい声とジュリエット・ビノシュの険しい顔はミスマッチ以外の何物でもない。
どうやら監督自らのご指名っぽいけど、合ってなさすぎてビビる。
そもそも、家族の中で英語とフランス語が入り混じっている状況というのも本作の一つの重要な要素なので、絶対に字幕版で観ることをおすすめします。
監督も出来れば字幕で観てほしいとインタビューで言っていました。…ならなんで宮崎あおいなんか選んだんだ?
レビューも悪くなかったので見たが…
全体的にイマイチだった。
フランス映画は好きでよく見るのだが、日本でも名の知れた俳優陣達を使い9割フランス語で構成する事でおしゃれ映画として誤魔化してる感じがした。
残念ながら、現地の大衆にはウケなかったのでは無いかと思う(欧州に住んでおりました)
見てる途中で何だかしっくりこなくてwikiでググったら監督が是枝監督と出てきて納得。
主要の作り手にもフランス人は盛り込んでるみたいだけれども、どこかフランスの出来事としては不自然に感じる部分が多々あった(日本人の思うフランス人像、みたいな部分も見受けられた)
あまり名の知られていない欧州の監督でこういった雰囲気や構成の作品は割とよくあるのだが、テーマがぼやけてしまっていて(テーマ自体は分かるが)良い映画を見た時の、自身がその後そのテーマについて考えその映画が自分の一部となる感覚は全くなかった。
カトリーヌドヌーブやジュリエットビノシュの存在感や演技はさすがだったし、さらっと見る雰囲気映画としては良いのかもだけどテーマがテーマだっただけにその軸の部分が軽過ぎてイマイチでした。
レビューも悪く無いから見たけど、過大評価だと思います。
要所要所の笑える部分や、最後の洋服のセンスが凄く日本っぽかった(現地スタッフが作ったかもしれないが)
ザ・大女優
カトリーヌ・ドヌーヴ、存在感ありました。映画の中のワガママ大女優を地で演じているかのよう。どこにでもいる家族、もしくは最下層の家族を描いてきた是枝監督が、大女優のセレブ家族、母娘の関係を中心に描く。でも家族を描かせたらやっぱり、上手い。演技が全ての頂点で、家族は二の次と言って憚らない母。自伝も大いに脚色している。子供の頃から、二の次に扱われてきた娘は自分はそうしまいと、テレビ俳優の夫と娘と幸せに暮らしている。イーサン・ホークが優しい夫を好演している。サラという母にとってはライバル女優、娘にとっては優しい本を読み聞かせてくれるおばさん?がいたのだが、事故死している設定になっており、最後までどういう関係なのかはわからず終い。しかし、サラに似た新進気鋭の女優と共演することで、初めはいじらしく思ってたものの、彼女の迫真の演技に、弱気になったりするドヌーヴが愛らしい。そこから、自分も最高の演技でかえすことで、相手を認め、娘に対しても、真実を話すことになり、ハッピーエンド。幼い頃、父親しか見てくれていないと思った演劇会は、実はドヌーヴも来ていたのだ。映画の台詞にもあった、記憶とは曖昧のもの。相手が幸せなら、真実は時にはどうでも良いことかもしれない。
記憶なんてあてにならない。変わっていくもの
映画「真実」(是枝裕和監督)から。
是枝監督作品で、カトリーヌ・ドヌーブが主役で・・は、
私の映画鑑賞方法ではあまり関係なく、観終わった。
大女優の自宅について「すぐ裏は刑務所だけどね」の台詞が
何回か登場するが、その仕掛けの意味が分からなかったし、
「サラ」という女優の名前が準主役のように連呼されるが、
影も形も見えなく、イメージすら掴めなかった。(笑)
さて、気になる一言は「真実」ではなく「記憶」。
「母の記憶」という映画名だったり「記憶っていい加減ね」
「記憶なんてあてにならない。変わっていくもの」など、
「記憶」という単語が多く使われていたし、
主人公の大女優の自伝本「真実」が、事実と違うと憤るが、
「本当の話なんかしない。それに事実なんて面白くないわよ」
と一蹴してしまう存在感がとても面白かった。
そういえば「『真実』に私は1度も出て来ませんでした。
存在を否定された気分です」と言って、執事が辞めようとする。
自伝本だから、長く仕えた自分は登場すると思っていたら、
書かれていなかった・・と拗ねるシーンがある。
それこそ「(執事が登場する)事実なんて面白くないわよ」と感じ、
外したのかもしれない。
歴史上の人物だって、権力者によって上書きされる世の中、
「自伝=事実」なんてことはあり得ないのになぁ。
P.S
毒舌の大女優を「彼女、寂しかったのよ」でまとめると、
なんだか、つまらない作品になってしまう気がするのは私だけ?
ドヌーヴ引っ張り出した時点で勝ちみたいなもん。
ドヌーヴとビノシュ共演でイーサン・ホークもいる。こんなん誰が撮っても見ますがな!その上で是枝が撮るときたら、見る見る!って感じですが、色々あって11月になってからやっと見られました。危なかった。
吹替が割と多くて、いい時間の字幕がなくて。後回しになったんです。
ドヌーヴの存在感が強くて、是枝色は薄めの仕上がりでしたが、面白かったです。
ヒョウ柄コートで犬の散歩をして、石ころを足で転がす姿がめちゃチャーミングでした。
鑑賞後にドヌーヴが体調を崩したとのニュースを見て肝が縮みました。まだ何作か新作を見せて欲しいので…
しあわせな三角関係
母、娘、サラの
三角関係。
サラの
喪失によって
母、娘関係が
壊れてしまった。
その三角関係は
いろいろなものを
抱えながらも
トータルでみたら
しあわせだったんだろう。
きっと彼女らは
三角形だけでなくて
男たちも含めて
八角や九角関係で
しあわせだったのかも。
好きなエピソードは
亀をピエールにしたには
娘だったことでした。
人は老いるものだが
カトリーヌ・ドヌーブ。
シニア世代には忘れられないフランスを代表する
往年の大女優。若い頃の彼女はほんとに美しかった。
多くの浮名を流しつつ2人の大監督と結婚して
それぞれとの子供は俳優として活躍。
是枝監督がこの大女優を迎えて素晴らしい作品
を作ってくれました。
複雑な関係性を持つ娘役にジュリエット・ビノシュ、
その夫役でアメリカのテレビ俳優役でイーサン・
ホークとなかなか豪華なキャスティングです。
他のキャストさんも全員とてとチャーミングで
観てるだけで楽しい作品です。
ドヌーブのアップが多く、正直途中から上沼恵美子
に見えてきてしまいました、、。
昔のドヌーブのポートレートやポスターが貼られ
ている部屋で昔の20代の頃のドヌーブ越しの今
の80才のドヌーブ、、。
誰でも必ず老いる。
若くてセクシーな絶世の美女でも
必ず老いる事を目の前に突き付けられた気がしました
若い男女は年老いた人を見て、それが将来の自分の
姿とはなかなか想像もつかないもの
そんな事を考えてしまいました
途中から是枝監督作品ということを
忘れてしまうほど、素敵なフランス映画です。
特にシャルロット役の子役の子が最高にチャーミング
で可愛い!!
“女優”という生き物
フランスの名女優“カトリーヌ・ドヌーヴ”の軽妙な丁々発止の洒脱な演技を余すところ無く観られるという印象なのだが、そもそもこの『女傑』出演作品を一つも観ていない。『シェルブールの雨傘』も、『昼顔』も、『ダンサーインザダーク』もだ。だから演技の凄みというのが正直解らなかったというのが正直な感想である。勿論、日本で言うところの故樹木希林のような怪演という触込みも監督本人からのアナウンスなのだが、自分が選択を間違ったのは今作を吹替で観てしまったことだ。宮本信子が声をあてているのだが、これだと、折角のカトリーヌ・ドヌーヴの台詞回しが消去されてしまう、それ以上に宮本信子自身が前面に立ち過ぎてしまって、監督の意図やメッセージ性が解読できない事に、我ながらポンコツ振りに愕然とする。やはりこういう心の琴線を丁寧に奏でるような作品は字幕じゃないとダメだと改めて反省である。
ただ、とはいえ要所要所のコメディタッチのウイットさ、皮肉の巧さ、洒落の高度さはおフランスの香しいセンスが立ち込め、その面白さは充分伝わった。
構成もそうだが、大変丁寧に作られていることはとても感じる。メタ的に、映画内での撮影もその作品と今作との繋がりを綺麗にシンクロさせ、亡くなってしまった母娘を結ぶとても大事な人と主演役の女優を重ねる立ち位置、まるでバットマンのブルース・ウェインとアルフレッドのような掛け合いの妙、自由な男の出入りや、ファンタジーっぽい亀の演出等々、随所に小気味よさが表現されていて本当に上品な作品である。
社会問題というより、一個の家族のあり方という視点から、フランス位の個々人の尊厳と尊敬を日本でも実現できたら、今の閉塞感のある程度は解消されるのではないだろうかと、そんなメッセージに思えた今作である。
脚本は悪くないが、全体的にはいま一つ
フランス映画の至宝・レジェンド女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)、この度、自伝『真実』を出版することになった。
現在、米国で暮らし、脚本家として少なからず名のある娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)が、二流のテレビ俳優である夫ハンク(イーサン・ホーク)と幼い娘を伴って帰郷した・・・
といったところから始まる物語で、ファビエンヌの書いた自伝には、将来を嘱望されていた女優である彼女の姉についてのことはひと言も書かれていなかった・・・と展開する。
つまり、不在の人物を巡っての物語であり、不在の人物がいまいるひとびとにどのように影響を与え、与えられた側がどのように対処対応するかの物語で、映画としては頗る難しい物語。
脚本も書いた是枝監督はこの物語を、カトリーヌ・ドヌーヴの実人生と重ねわせているように思える。
ドヌーヴの姉、25歳で夭折したフランソワーズ・ドルレアックと思いを重ねるような仕組み。
ま、穿った観方をすると、ドヌーヴからのオファーを何としても早く撮りたいと思ったので、そのような物語にしたのかもしれないが。
というのも、劇中映画「母の記憶」(というタイトルだと思うが)には元ネタがあり(エンドクレジットで示される)、それを巧みの利用したのかもしれない。
劇中映画の設定も面白く、不治の病にある母親は幼い娘を残して、(高速(光の速度レベル)で移動する)宇宙空間で治療を受けるが、(高速で移動する)治療施設にいることから、地球上と比べると全く歳を取らない。
そして、何年か毎に、地球に住む娘に会いに行くが、歳を取っていく娘と比べて、母親は不死のように見える・・・というもの。
時を経ねば実際の感情はわからない、とでもいうべき劇中映画のストーリーは、現実世界の母と娘と亡き母の姉という構図を浮かび上がらせるのに役立っている。
が、面白いのはストーリーだけで、出来上がった映画は平凡な出来。
原因はよくわからないが、どうもね・・・と思ったのは以下の点。
ひとつめ、撮影が良くない。
なんだか全体に、のぺぇとした感じで物語の起伏と比べて抑揚に欠ける。
ふたつめ、出演者たちの距離が、これまでの是枝作品と比べて、遠すぎる。
『万引き家族』のポスターを見ればわかるように、是枝作品では出演者それぞれの距離がギュッと凝縮されているシーンがある。
というか多いように思う。
が、今回は、大邸宅の食堂など、登場人物間がスカスカ。
さらに、台詞をしゃべる役者だけをバストアップサイズで撮った画が多く、緊張感を呼ばない。
(唯一、感心したのは、劇中映画のクライマックスシーンのドヌーヴを、相手役の後頭部越しに捉えたカットで、ドヌーヴの迫真の演技を半分隠すことで、その演技を際立たせている)
みっつめは、(これは個人的意見かもしれないが)、ジュリエット・ビノシュがミスキャスト。
幼い娘がいるにしては歳が行き過ぎているし、ドヌーヴの演技を受けるには、あまりに硬質で演技が演技じみている。
個人的には、劇中映画でドヌーヴの若い頃(といっても30代半ばだが)を演じたリュディヴィーヌ・サニエぐらいの方が良かったように思いました。
健闘はしているが、どこか違和感が残る是枝作品、といったところが妥当ではないかしらん。
素直になれない母娘の関係。でも重たくない。
「万引き家族」は疑似家族の話でしたが、こちらは本物の家族なので、実はとっつきやすいです。
大女優のファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、我儘で、人をけなす。常に注目を集めていたい。
その為なら、妹を傷つけ、夫を裏切り、〈母親〉よりも〈女優〉を優先する。
自伝にはウソばかり書いて、娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)にしたら、たまったもんじゃない。
でも、見せたい自分を見せる為なら周囲の犠牲も厭わない女優のエゴは、同時に、相手が求めるものを与えたいという気持ちでもあります。
2人を取り巻く人々の皮肉っぽいやり取りの中には、思いやりも感じます。
ここからは、個人的な話です。
この映画のようにドラマチックでも深刻でもないですが、私は母に褒められたことがありません。
私は機転が利く器用な子供ではなかったですが、中学までは成績も良く、絵や手芸などの課題も丁寧にやってAをもらえました。
でも母は褒めないんです、けなされたり怒られたりの記憶ばっかり(それだけではないけど)。
ある時、「何でお母さんはいつも人を否定する言い方をするの?」と聞くと、「そんなつもりはない。ただの話し方のクセだから」と言われました。
拍子抜けしましたね。私のこの、自分に自信が持てない消極的な性格をどうしてくれるのよ。
また私は、音楽の授業が嫌いで、高校では選択しなかったのですが、歌だけはやりたくて、ヴォーカルレッスンを受けていました。
発表会に母は2度程来ましたが、もちろん褒めてはくれません。やめた時に初めて「もったいない」と言ってくれましたが。
もうこういう人なのだと思って、今はとても仲良しです。
映画では、母の気持ちをわかろうとしなかった娘が詫びると、母は、「あなたとは、今の関係のままで十分」と言います。
観客は中高年の女性ばかりでしたが、若い女性に観て欲しいですね。
作風は、フランス映画らしく、おしゃれで軽いです。
「何回したの?」をうっかり「なにまわしたの?」と読んで「?」となってしまった自分に失笑。
肩の力を抜いて観られる作品
真実とはなにか。それをあまり追い求め、考え過ぎて作品を追ってしまうと物足りなかったり、心が生温いまた終わってしまうかもしれない。
あたり頭を使わず、目で見て心で感じることがこの作品のベストな見方ではないかと個人的には感じた。
題名の真実とはなにか、個人的な解釈になるが、僕自身は虚構も事実もそれが人を傷つけるものでないのであれば真実として共有していいのではないか。
その虚構こそが、いずれ真実となり幸せに繋がるのではないかと勝手ながら解釈し、ハートフルな作品だなと楽しませてもらった。
もしかしたら監督の意図とは違うかもしれないし、もっと正しい見方があるかもしれない。
ただ僕にとっては、虚や真実が入り混じった世の中で生きていき、それに目くじら立てて、真実か嘘かはっきり答えをだして生きなくてもいいのではというメッセージのほうが実生活において影響があると思い、そう捉え楽しませてもらった。
それにしてもシャルロット可愛すぎる。あんな可愛い娘、自分にもほしい。もちろん真実だ。
ドヌーブが大阪のオバチャンになっちゃった映画
母親と娘との確執を描いた映画は、ベルイマンの『秋のソナタ』を観た後では、余程でないと甘く軽く思えてしまう。それはこの映画でも同じ。是枝監督の演出は手堅くて安心して観てはいられるが、日本人はやはり最後はほのぼので終わらせたいのかな、と物足りない。しかし、そういう映画としては『真実』という題名は少し重い。そこで、果たして口で言っていることが、表情が語っていることが、最後まで「真実」なのか「演技(嘘・仮面)」なのかわからない大女優という食えない生き物のことを描いた映画と思えばしっくりいく(深読みし過ぎかも知れないが)。ドヌーブは映画を観始めた頃は世界一の美女と言われていたものだが、ただの美人女優で終わらず、歳月を重ねて、こんな風に豹皮のコートを着てどや顔で毒舌で食えないオバサンを貫禄たっぷりに演じるようになるとは、フランスの正統な大女優の系譜(劇中で言及されるシモーヌ・シニョレしかり、言及されないがジャンヌ・モローしかり、ブリジット・バルドーの名前が出た時は“トンでもないわ、あんな女が”と鼻にもかけなかったのは面白かったが)にしっかり連なっているのが楽しい。
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