海獣の子供のレビュー・感想・評価
全68件中、41~60件目を表示
考えるな! 感じろ!
ストーリーを深読みしながら鑑ると、脳が疲れて眠くなります
ので、気楽に映像と音を感覚的に鑑ていると、軽いトランス状態に
脳がリラックスしてやっぱり寝てしまいます。
登場人物は全体的に、キャラ立ちが弱く感情移入しづらく唯一、
ヨット乗りのおばちゃんの強烈なインパクトに、ビゥイ~~ン
ビゥイ~~ンと、魂をゆさぶられます。
主人公が体験した海中の出来事は、エンドロール後のイベントを
お祝いするお祭り騒ぎだったように感じます。
今までで最強の睡眠導入リラクセーションファンタジー映画でした。
コメント内容薄いですが。
生命の誕生をやっていた。
しかし内容的な意味合いでは
不思議な作品だったなぁ
と言わんばかりの感想。
あと、絵が綺麗だった。
(ぐらい内容が分からなかった。記憶の描写もあったために
サマーウォーズ的な
少年少女の一夏の冒険物語かと思ったら宇宙の誕生の物語だった。水の質感も伝わってくる圧倒的な映像美。キャラクターが描ききれてなかったのが残念。少女のセリフと米津玄師さんの歌がシンクロするのはさすが。
予想している物とは多分違う
ひと夏のボーイミーツガール冒険物かなにかかな?程度の知識で鑑賞。
家族愛と人間愛と命のサイクルさらに宇宙の誕生まで色々なものをごった煮にしている作品だった
前半部分はキャラの心情と映像を上手くリンクさせていたりと映画としてキチンとしている。
主人公と母親が水族館前で家族ばかりなのにそれぞれ1人ボッチで似た者同士なのを分からせる演出などをサラッと見せてくれるのは嬉しい。
キャラクターの素直になれない心の動きは誰もが一度は感じるもので飲み込みやすい。
が他の人も言っているが後半は少しキツイ。
映像は凄いけどイキナリ2001年宇宙の旅的な奴を見せられても...
やりたい事もやっている事も何となく分かるが、それまでとの温度差があり過ぎていて自分が誰目線で映画を見ていればいいのか分からなくなし!
誰を応援すれば良いのか分からないから熱くなれないよ。ただ目を開けて見てればいいの?
あとこの映画に限らないけど、意味深な言葉ばかりを喋るキャラクターに頼るのはやめてくれ!そのキャラいた所で作品に深みでないから!
前半の作りは凄い好みに合ったのだけどね...
映像と音は間違いなく素晴らしいので、アニメ好きで時間のある人は見に行ってもよいのでは?
でも予想通りの冒険物をこの映像美で見せてくれたら大ヒットしてたんじゃないの?と思わずにはいられない
素晴らしい
鑑賞後、しばらく余韻に浸っていたい‥放心状態になる程、圧倒されます。
今まで観たアニメの中でも一番好きな作品になりました。
映像も美しいし、内容もありますしオススメです。
私は宇宙、私の中に海がある。
心の奥で繋がっている、、
へその緒を切った時に「命を絶った感触があった」とありましたが、偉大なる海(羊水)との別れを意味したのかな
一番大切な約束は言葉では現せない。
全てはひとつ‥
貴方は私。
不仲の両親や上手くいかない友人関係の琉花が、パラレルワールドした事で妹?が出来、友人関係も上手くいきそうなエンドロール。
追記
おススメだったので友人に観せたく、結局三回リピートしてる。
観る毎に放映時間が短く感じるし全く飽きない。
DVD発売日が楽しみです。
そして最後に琉花が飲み込んだものが気になって漫画本購入〜〜
全然、違うじゃない(゚o゚;;
あのシーンは琉花が瀕死の状態じゃないと伝わらない。
原作を読んで感じたのは、私達は大自然の中のほんの一部であり、生かされているという事。
原作に忠実な映画だったら、もっともっと面白かったのにね。
ゴミ!!監督のクソ演出 プロデゥーサーの管理責任
制作の大人が大勢いて、なぜゴミストーリーになったのか
やりたいことのツギハギ映画
大渋滞の120分。
生物の表現美以外
両手を広げてギブアップ。why !? Why!?
渡辺歩監督がやったと思うけど、カット割りが酷すぎる。
新人ですか?素人ですか?と言いたい気分。
主人公の少女の顔アップで喋るシーンが120分中約3分。
全て心の声的な感じで、人間味を表現できていない。
セリフに情報量が少な過ぎて、1時間ぐらい疑問しか残らない。
何より、おばぁちゃんこわ過ぎ。
ジムの助手は、何者??
意味深名脇役キャラが被ってる。
突然、トラック乗り始めるし
消化不良過ぎて、レビューを書きたくなりました。
劇場で見ないと意味がない系
原作漫画は未読でしたので、まっさらな気持ちで拝見する事が出来た。
本作は、家庭とも学校関係とも馴染めない思春期の少女が、海の子供とも言える不思議な少年達に出会い、世界の在り方の根源 その一端に触れると言った内容。
生命の始まりの海は、宇宙と同じ。人間は宇宙の一部ではなく、宇宙そのものだ。といったある種の宗教的なメッセージを基として、その世界観に触れる事で少女が成長すると言った感じもあり、物語の道筋としては、とても美しく仕上がっていた。
以下、大きく
①ストーリー構成
②映像・音楽
③描写
④声
について、感想を書きます。
①ストーリー構成
ストーリーは、大きくまとめると、
もののけ姫の主題 + 村上春樹ポエム + 旧エヴァンゲリオン劇場版テイスト + 鋼の錬金術師の真理の扉 + シャーマンキングのグレートスピリッツ - 闘争本能
的な感じです。
人間と海の中間に生きる海と空は、人であって人ではない。
ただの少女である琉花は、家族とも部活とも上手く行かない。
彼女の成長を感じながら、
海とは? 命とは? 生命とは? 宇宙とは? を何度も投げかけられます。
ただ、主人公とは言え少女の話ではなく、「海の子供」を取り巻く思想をストーリーの焦点に持ってきている為、琉花への感情移入には至りません。
随所に入る、大人の思惑も、彼女には届かない所での話なので、完全に俯瞰で物語を観る事になります。
三人称を大事にした結果かも知れないが、大衆向けではなくなってしまっている。
分かる人にだけ分かれば良いと言った、職人気質な感触だ。
また、後半の「本番」シーンは、映像美は高いのに、アングラードの野暮な言葉や、現実なのか夢なのかSFなのか分からな過ぎて完全に置いて行かれます。
感覚で訴えるのならば、言葉で説明はしないで欲しい。特に琉花が鯨に連れて行かれている中で、周囲の大人たちの「行動」を表すのは分かるが、「思想」を出されると、せっかくの宇宙の中心とも言えるシーンに水を差された気分になってしまう。
また登場人物の数人は、「意味深な言葉を言わないと死ぬ病気」でも流行ってのかってぐらい、思わせぶりな事しか言わない。
「観測できない領域」理論のごとく、核心の一歩手前の言葉ばかりを主人公に投げかける。
本当にウザい。しかも大事なシーンでは言葉にしちゃう。
特にアングラード、お前は何なんだ。学者っぽいとこゼロだし、料理作って、砂さらさらして、意味深な事呟いて、星を眺める。これが浮世離れで済まされるのなら、あの世界の人間は全員心が海のように広いのだろう。
②映像・音楽
映像の美しさはPVの時点から分かっていたが、
音楽との親和性が高く、海洋生物の回遊する場面は圧巻の一言。
海洋生物のシーンは、それぞれの生物(虫も含む)の描写が細かく、美しさとリアリティを両立していた。ナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルに、ライフ・オブ・パイの幻想的なシーンを合わせたような心地よさ。
中盤までの映像的な現実の中の幻想的風景は素晴らしいが、最後の心理の扉的シーンは、何か抽象的な表現が多すぎて人を選びそうだ。少し麻薬のような映像なので、面白いが生々しいような気持ち悪さも感じる。
それでも、映像に関しては、原作漫画の線を取り入れつつ、さらに芸術性を昇華させるように細やかな作りになっていて、とても良かった。
そして何よりも劇中音楽が良い。流石の久石譲。良い仕事をする。
時に、デデ(ババア)の謎楽器(アイヌ民族のムックリと言う楽器だそうで)を船の上で奏で始めたシーンは「こいつあたまおかしいんちゃうんか……」と思ったが、その後の海中での曲に見事に謎楽器の音を埋め込んできた。流石、仕事の出来る男だ。宮崎駿や高畑勲に無茶ぶりをされても涼しい顔でこなしてきた古強者。余裕の仕事ぶり。
③描写
本作の心理描写は、とても繊細かつ計算されていて、非常レベルが高い。
何よりも、「玄関」と「ひざの傷」の描写。
玄関にある缶ビールのゴミ。帰ってくると空き缶が増えている事や、靴の崩れ方。靴が増えたり汚れたり……。玄関一つで、ちゃんと家庭環境が見えてくる。そして後ろ向きから前向きになった事も、玄関だけで表現出来ている。
ひざの傷は、夏の始まりと終わり。そして傷が治る事と、心の傷が癒える事がリンクされ、物語の時間と心的外傷からの立ち直りを明確化してくれる。これは分かりやすいのに上手い。
また、それぞれの人物の人間性も繊細に描かれている。
特に父親の周りの見えてなさや母親の余裕のなさを表す場面が随所に描かれ、その度に琉花の心を削られるような描写は、丁寧過ぎて凄い。個人的には、父親の仕事以外への関心の薄さが妙にリアルで好きです。
アニメシでおなじみの食事描写は、ちょっと官能的にも見えます。
直接的に言えば、妙に生々しくエロいです。
生命と性を想起させる描写も、二次性徴を含めるような描写も、最後のへその緒の描写も、しっかりと描く事で、物語の主題に繋げている事にも交換が持てました。
④声
声優については、数人厳しい人がいますが、役のイメージとズレている訳ではないので、慣れればギリギリです。
アニメ声優が好きで、しゃべり慣れてない下手な人絶対殺すマンな人は、この映画は見れません。見ないでください。
金曜ロードショーで風立ちぬを見ると、慣れてきた庵野秀明の声レベルが1に戻ってしまい、物語に全然入れなくなる。結果よく分からない上にツマラナイ……と、あの名作すら駄作になる現象がありますが、本作も同様の事が起きる為、地上波放送を待っている人はご愁傷様です。
ただ、主演の芦田さんは、めちゃくちゃ上手い。上手いって言葉が失礼なくらいの「実感を伴った演技」を見せてくれます。感情を表に出す事が苦手で、説明も出来ない。頭と身体が一致しない。そんな思春期の少女の声を、ものすごくリアルに喋ります。何なのだ、この人は。もともと凄く女優としてのスキルが高い事は知っていたが……。まぁ、映画声優経験がない訳ではないので、比べるのも失礼か。
あとは、キャラとして浮世離れした人々が多いので、多少浮いていぐらいでも許容出来るのが救いでした。
特に森崎ウィンさんが演じるアングラードは、しゃべりが下手なのが味になるキャラだったので良かったかも。
父親役の稲垣さんは、イメージは合っているのにアニメーション演技と声の表情が噛み合わない所があるのが残念です。前半は良かったけど、後半はちぐはぐだったかなぁ。奥さんとの対話シーンや、ジムに琉花の所へ連れてって欲しいと言うシーンは、もっとドラマの時みたいに喋れば良かったのに……。
ゲスト枠なのでしょうが、尼神インターの二人は特に酷いです。江ノ島水族館の職員さんが声をあてたのかってぐらい棒です。……そういう意味では逆にリアルだったかも。
端役とは言え、一般公募レベルの素人さんと同程度の人が、作中の人間関係を説明する台詞(母親の過去とか)を発すると、その分、物語の咀嚼が遅れるので辛かったなぁ。
全ての映画に言えますが、
ゲスト声優は、出来れば一般客程度の何の意味もない台詞をあてさせて下さい。
そう言う意味では、コナンを見習って欲しいかも。
と、
色々書きましたが、映像と音楽がめちゃくちゃ素晴らしい反面、
感情移入を意図的にさせない作りになっているので、上映後はスッキリしません。
良かったと思う反面、モヤモヤし続ける感覚があります。
簡単に言葉には出来ないって事が、ある種この映画のテーマですし。
内容だけなら、漫画の方が良いのでしょうが、映像的音楽的な美しさは高いので、
観るなら音響の良い劇場で見た方が良いです。
たぶん、家のテレビスピーカーや、金曜ロードショーとかで見ると駄目な作品なので、劇場での観劇をお勧めします。
観て損はないですが、満足度はそこまで高くない。でもクオリティはかなり高い……と、だいぶアンバランスな作品になっています。
劇場の音響で久石譲と米津玄師を聴きたい人にはオススメです。
P.S.
人に、どんな映画だったのかと伝える方法で、一番お手軽なのは「米津玄師の曲に大体入っている」だと思います。
良い意味で疲れた!映画館で見るべき✨
原作を読んだことはありませんので
読み取れる部分が少ないのもありますが、
ストーリーは何かと聞かれるとうまく答えられない、
ざっくりいうと「生命の誕生とは…」を問いた壮大なストーリーな気がします。正直、よく分かりません。
特にクライマックスの部分、あれが生命の誕生、あるいはビックバンのような…でもすごく壮大でなんかすごいんです。そう、すごい。とにかくすごいしか言えない。笑
だから見たものをひたすら受け入れるのに必死で、
見終わった後は良い意味で疲れました。
そして、絵は本当に最高!
どこがCGで手書きか分からないほどマッチしていた。
水族館や海の波も水しぶきもひとつひとつ
描かれていて綺麗だった。
映画館で大きいスクリーンで観る価値のある、
むしろそれで観たい作品だと思った。
映画を観たあと、原作も読んで欲しい。
原作と言いたいことが正反対の方向に行っているように見えました。
原作は、海と陸、自然とヒト、男と女、が理解しあえないけれど、それでも、どうしようもなく繋がっているという様をとても丁寧に描いています。
私は琉花の両親が、流花を心配して喧嘩するシーンが書き換わっていたことがとてもショックでした。原作だと、お前は人とどう関わればいいかわからないだろうと言われた母親が、嫌いなわけではないといった旨を父親に伝えます。それはもう断絶で、諦めで、どうしようもない愛しさを孕んでいるシーンだと私は感じていました。
映画では、桃を食べておそらく子供を作ったのだろうと、汲み取れる描写になっていたと思います。どうしてあの2人を和解させたのでしょう。最後に琉花が友達と和解したような描写がされていたことも悲しかったです。
原作でポイントになるシーンがかなり端折られていたことも悲しかったです。母親の世界に対しての目線、世界各地の海の伝承、女性と海の関係性、彼岸と現世の関係性、ジムが犯した過ち、なぜ全て端折ってしまったのでしょうか。時間制限があるとはいえうまいやり方を考えていただきたかったです。
せめて椅子の話は端折らないで欲しかった。あのストーリー展開ではなぜ、米津玄師が歌詞の中に椅子を取り入れたのかもわからないじゃないですか。
映像はとても綺麗でした。魚の動きも種類別に丁寧に作り込まれていて、素晴らしい映像だったと思います。でも、原作の肝心な部分を書き換えられてしまったような気がして腑に落ちませんでした。
Don't think, feel.
大切なことは言葉だけでは表現しきれない。
ストーリーがあるようでないような、アクションがあるようでないような。
壮大なファンタジーのようで、目の前の出来事のような気がするし、今どこにいるのか分からなくなる。
ただただ、美しい映像と音楽が画面からあふれてきそうになる。
美し過ぎると、逆に怖くなる。
吐きそうなぐらいの美しさと、目から入ってくる情報量。色が美しくて感動していたら、全然映像を追いきれない。
退屈で眠たくなる、でも目を閉じたり逸らしたり出来ない。目を開けてずっと見ていたい。
伝えたいことはなんなのか、とか
どういう風に表現したかったのか、とか
理解しようとしてもしきれない。
ただ見て、感じる、感じたことは各個人の幅の広さだよ、と言われているような気さえする。
結局全てをどういう風に作りたかったのかは原作や監督本人たち以外には全部知りようがないけれど
これを作った人は、わたしとは違う生き物だということだけが分かる。
すごい。
同じ人間でこんな美しいものを作ることができるなんて。どういう思考回路を持っていたらこんな美しいものを作れるのか。
曖昧な表現をするくらいなら、ここまでやってみる、理解されなくて酷評されたとしても、それでも、自分はこう思う、こう作る、みたいな気概があるから、目をそらせないのかもしれない。
個人的には、絶対に映画館で見たほうがいいと感じる。
音と映像の雨の中を、1人で彷徨うような、それこそ膨大な海の中を泳ぐような感覚は、映画館のスクリーンの前でしか味わえないと思うから。DVDで見たら、なんの良さも伝わらなくて寝ちゃうよ、これは。
最終的にはストーリーというか、哲学というか、鶏が先か卵が先かみたいな禅問答をしているような気持ちにさせる。
結末もあってないようなもの。
評価が分かれるだろうなあ…。
きっぱりメリハリがあったり、エンディングで伏線回収するようなストーリーがいい人にとっては退屈で、失敗した!と思うのかもしれない。
どちらかというとわたしも、ミーハーだし、普段そういうメリハリのあるストーリーがすきだ。
でも、禅問答でも、ストーリーの意味がわからなくても、見終わった後には自分の中になにかが残る。
よくわからなかったけど、うまく他の人に伝えられる自信はまるでないけど、見てよかった、と思う。
ジブリのもののけ姫や崖の上のポニョのようなニュアンスが混ぜられている、世界が違うものとの対峙。
でも素は同じであること。世界は広いということ。そして、自分がその、宇宙や世界の一部であること。
見終わった後に、良かった映画はいつも
誰か身近な人に、これよかったんですよ!見てください!って言いふらして回るわたしでも、
言いふらさずに自分の中にしまっておきたい一本になったと思う。
わたしの周りの人が見てどういう反応や、見終わって何を感じたのかを聞いてみたい気もする。
とにかくすごい。
芦田愛菜ちゃん、ほんとになんでもできるなって思う。
蒼井優と森崎ウィンと富司純子はちょっと違うかな…。
「ただの日常」って物凄い
やばいものを観てしまった……と茫然自失で映画館を出て3日経つけど、まだ音楽と映像が頭から離れない。すごい。また観に行ってしまうと思う。そしてこれは絶対に映画館で観るべき。
たしかに、ガールミーツボーイ(きらっ)という作品ではない。ないんだけど……琉花は地球を揺るがす物凄い事件(「祭り」)に巻き込まれながらも、その行動の動機のほとんどは「海くんのことを知りたい、守りたい」「好奇心を満たしたい」という身近で少女らしい衝動だった。要するに地球を救いたいとか世界のすべてを見たいとか、大きな望みを抱いていたわけではなかった。だからこそ彼女にとってこの一連の出来事は、すごく不思議な、だけど「誰にでもある」切なくて忘れられない夏の思い出でもあるのだと思う。
原作にはなかったのだけど、「私、何も知らなくて……ただいなくなってほしくなくて……(うろ覚え)」と琉花が涙するシーンを見たときに、強烈にそれを感じた。こんなに神秘的で衝撃的な体験をしてなお、少女にとっては、恋と呼ぶには短すぎるひと夏の思い出にもなりうるということ、そしてその少女が内包する強かさというか寛容さというか消化力というか……とにかくそういったものに、いい意味で愕然とした。現象に、感じた以上の意味、必要以上の意味を付加しない姿勢に憧れもした。少女、本当に強い。
「子守歌」の設定も原作にはないものだけど、この「子守歌」が世界に刻まれて連綿と受け継がれていく記憶の象徴だとすると、その果てしなさや偉大さ壮大さ、を件のシーンでこれでもかと描き上げているくせに、「その子守歌、お母さんもおばあちゃんから教わったの?」「そう。それがどうかした?」「…なんでもない」(すべてうろ覚え)みたいな短いやりとりで終わらせている、その余裕というか風呂敷のでかさというか「それがどうかした?」って……さっきまでめちゃくちゃどうかしたものだよって見せてきてたじゃん、みたいな……結局この映画は、すごい非日常の事件を描いていると見せかけて、「ただの日常」というものが持つ物凄さをがががががーーーっと伝えてくるものなのかもしれない、と思った。
あの超絶壮大なスケールで描かれた生命のことは、海のそこかしこで、そしてヒトの身体の中で、日常的に起こっていることを拡大して取り上げただけなのかもしれない。
今わたしの腹には子がいて「わたしも宇宙、あなたも宇宙……」と腹を抱えながら思うなどした。
個としての人間の否定
あまりにも伝えたいテーマが分かりづらい作品だったので、鑑賞後に原作を読みました。
映画で一番引っかかったのは、その根底にある宇宙観。
人間や生物、物質はそれぞれが個として存在することに意味があるのではなく、時間の概念も含めてすべては1つとして存在するものであり、それぞれが個として認識しているものは、全体の一部に過ぎない。
これが私個人の宇宙(=世界、世の中)の捉え方で、この映画も同じような宇宙観に基づいて作られているのではないかと考えていました。
しかし、壮大な宇宙観を描いて見せているようで、その表現は非常に分かりづらく、ただただ映像美と音楽に頼るチープなアート作品に仕上がっています。
原作未読で鑑賞したため、その原因が原作にあるのか制作側にあるのかが分からず、原作を読みました。
書いてありましたよ、しっかりと。
単行本第4巻。アングラードの言葉としてしっかり描かれている。映画にはないシーンでした。
約2時間の映画の中で、原作のシーンが省かれたり、構成が変わることは致し方のないことです。しかし、本作の根底にある重要な世界観を理解しないまま映像化することは、同じタイトルをつけるに値しない愚行だと思います。
おそらく、映画のプロデューサーが、監督が、特に脚本家が、それを理解し咀嚼できないまま映画を作っている。これがこの作品最大の不幸です。
この物語は、すべては1つである、という前提に基づくと、その1つの期間を切り取った祭りを描いていることが容易に理解できます。
映画というエンタメである以上、それを1人の少女の成長と結びつけて表現することは悪ではないし、必ずしもすべてを言葉で説明する必要があるとも考えません。
ただこの映画は、表現するしない以前に、理解できていないまま作られたもののように感じます。
鑑賞者の感想をいくつも拝見しましたが「映像がキレイ」「よく分からなかったがすごい」という意見が大半で、原作が伝えたかったテーマを深く理解しているようなコメントは皆無でした。
この作品は単なる映像美を訴求するだけのものであってはなりません。そんなチープなものを作りたいのであれば、この作品を原作に選ぶ必要はありません。
原作『海獣の子供』は、海や生物を舞台として、この世界そのものの真理に迫り、そこから生命とは何か、生きるとは何か、人間とは何か、宇宙とは何かを、観る人が思い巡らすきっかけとなる、大変優れた作品でした。
原作者の五十嵐氏がなぜこの脚本にOKを出したのかはわかりかねますが、映画に興味を持った方はぜひ先に原作を読まれることをお勧めします。
原作からの改変はあるものの、1番大切な部分を理解した上であれば、単純に映像と音楽を楽しむ映画として秀逸な出来であると思います。
美術館の絵画を頭の中に流し込まれる
感想走り書きメモ
面白かった。
とにかく目が離せない。
描写の一つ一つが美しい。
圧倒的な作画力。
美術館の絵画を頭の中に流し込まれてるような刺激的で美しい画面が続いていた。
陸は現実的
海は抽象的
といった表現をしているようだった。
陸の方が見ていて安心するし疲れない。
海はとにかく疲れる、今何を表現しているのか?何が起きているのか?何を考えているの?何を伝えたいの?どう感じるのが正解?
ととにかく頭をフル回転させられる。
この抽象的な表現が苦手な人もいるようで、好き嫌いが分かれるかもしれない。
空は宇宙であり、隕石を手放し海に還った時に星のように死んだ。
海は、生命の誕生である海で、隕石を口にして生命体となった。
この対比が美しかった。
彼らが人間かどうかなんて瑣末な問題だった。
空が死ぬ前に宇宙の話をしていたので、星の死と理解しやすく、また海の誕生の前に子宮?と思われる空間にいたので誕生と捉え安かった。
空と海で生命の神秘を感じさせられる。
琉花の存在意義はまだはっきりと言葉にできない。
母として?
「守らなきゃ」と思わせるそこに母性があった。
けれど空と海のいない彼女は友達と家族のことに心を惑わされているふつうの、ちょっと難しい思春期の女の子。
人間としての日常の問題と、生命のあり方の対比が大きすぎたように感じる。
くじらの中で、くじらのうたを聞く瞬間に叫ぶ琉花の様子が何かに似てると思ったら、鋼の錬金術師でエドが真理を見た瞬間だった。
似てる。
広大で限りのない世界、宇宙の全てを強制的に脳に流し込まれてるような。
祭りとは?まだここに関して熟考したい。
まだまだ深められるので何度でも見返したい。
感情移入ができない!
ストーリー・キャラクターともによかったのですが、各キャラクターの説明不足により感情移入ができず、ややこしさだけしか印象が残りませんでした。芦田愛菜の声優としての力量・背景…海のキレイさが、目を引きました。
ファンタジーのようなSF
圧倒的な説得力を伴った海中描写。これでもかと繰り出される美麗な生物の群れ。前半部分だけで海洋生物オタクとしてはだいぶ満足してしまった感があるが……もちろんそれだけで終わるはずがないのが本作「海獣の子供」です。
一見するとファンタジーのような、全海洋生物たちが一つの意思を持ったかのような異常な行動。だが、それが異常だと思うのは、狭い人間の視野だからであり……そこに実は、確固たる理由があったとしたら。琉花は空と海に出会い、その理由を感じ取っていく。全ては一つの、一度きりの<誕生祭>のための、確かな前兆だった。
果たして、私たちはどこから来て、どこに行くのか。111分の映画で、宇宙の謎がばらりと解き明かされる様は、呆然としてしまうほど。異論はあるだろうが、理解が及ぶ範囲だけが映画ではない。理解が及ばなくてもいい。海を感じ、宇宙を感じる。そんな映画を、一生に一度は見て欲しい。
この作品の1番大事なところは、あえて分からないように作られている。
結論でルカが「1番大切なことは言葉では伝えない」と言うところが、この物語の最も重要な鍵を握っている。
観た人の99.9%は、「鯨に飲み込まれた辺りから『意味不明』になる」と思う。
でも、それで良いのだというのが、この作品だと思う。
重要なのは、ルカが鯨に飲み込まれた後に体験する「何か」であり、それは表現することができないと、言い切っているのだから、観る人たちは「感じとる」しかできない、というのが主張なのだと思う。
もちろん、頑張れば解釈の仕方も出てくるのだが、私としては作者は、宇宙の一部である私たちは「そのあなたで良い(老婆の言葉)」というメッセージを伝えたかったのだろうと思う。
ラストシーンでは、ずっと心を閉ざしていた人との和解が印象的だが、恐らく「『何か』という体験」を通して、ルカは「自分は全ての存在と繋がっているんだ」という「実感」を得ることができたのだと思う。
ゆえに、最後に相手を許せた。
なぜなら、相手も自分と繋がった宇宙の一部だって思えたから。
宗教的な考えには「世界樹(イグドラシル)」というものが出てくるのだが、これは多次元宇宙は神仏という大樹から分かれ出てきた幹や枝が現象として現れており、「私たちはその先にある葉っぱの一枚一枚なのだ。ゆえに隣の葉っぱを傷つけたりすることは、自分自身を傷つけているのと同じなんだ。だから愛し合いなさい」という思想がある。この世界の一端を、船の帆が風の一部を感じとるように、私たちもまたそうした宗教的な思想から、この世界の一端を感じ取ることができる。
作者は、そうした世界の不思議や疑問を様々な思想から選び抜いて、ルカやソラ、ウミ、老婆の言葉を通して「表現はできないけど、大切な宇宙の普遍的なルールが世界を支配しているんだ。だから人間は謙虚でなければいけないよ。この世界のことを全て知った気になって傲慢になってはいけない。ほら、私の作ったこの作品ですら理解不能じゃないか。」という、人間の無知さを真正面からぶつけてくれたのかも知れない。 実際に言葉では伝えきれない感情なんて山ほどある。
また、「人はどこから来て、どこへ行くのか」という命題もこの作品ではつねに問いかけられている。
この作品では明確に答えてはくれていないが、恐らく仏教の「転生輪廻(輪廻転生)」の思想からだと思う。
人は永遠の生命を持っていて、何度もあの世とこの世を生まれ変わりながら、経験を積んでいく存在なのだという思想だ。
作品としては、そうした生まれ変わりの思想を匂わせながらも、実際は「何か」という体験(神秘体験とでも言おうか)を通して、人は新生できるという希望を乗せてくれているのかも知れない。
例えば、サウロ(後の聖パウロ)はキリスト教を迫害し、弟子たちを次々に処刑していたが、道中すさまじい光で目が見えなくなった。町に入ると、イエスの弟子の一人が、サウロの目を神秘的な力で治すという
奇跡を経験して、それからというもの今までの人生をひっくり返すがごとく、熱烈なキリスト教の伝道師へと新生したのだ。(ダマスコの回心)
このように、人は神秘的な経験を通して人生を大転回することがあるのだ。
また最後にソラとウミの解釈は、私は仏教の「空海」を元に考えているものと思う。
鯨に飲み込まれた後のシーンで、宇宙大にルカの体が広がっていたが、あれは空海の体験を表していると思われる。
幽体離脱をして、自分自身の魂が宇宙大に広がり、明けの明星が巨大になった空海の口に入って来たという神秘的な体験だ。
その宇宙大に広がった自分が見た空と海のイメージをもとに、「空海」と名乗るようになったと言われている。
とにもかくにも、言葉で表そうと頑張れば頑張るほど、お経を読み上げてるような感じになり、より理解は難しい。
だから、映画では理解しようとするのではなく、自分には理解できない世界が厳然として存在してて、その世界のなかで互いに生かし生かされて人生を歩んでいるんだ。ということを感じ取れたら、この映画を観た意味もあるのではないかと思う。
考えるな!感じろ! いつか4DXで観てみたいね
よく頑張った!と褒めるべきなのだろう。
「リトル・フォレスト」、「魔女」など大自然をテーマにする漫画家・五十嵐大介の長編漫画のアニメ化。
五十嵐の圧倒的な画力による勢いを、アニメ化で殺すことなく、ダイナミックに再現しようとしている。その挑戦的な姿勢は観るに値する。
米津玄師の主題歌つながりの観客にも、"何がなんだかわからない"であろう、壮大な大自然の神秘のようなテーマは、"わからない"ということが伝わっていれば、正解とすべき。
原作は、"民俗学"や"天文学"や"海洋学"が混沌と並べられた、映画よりももっと考えさせられる内容で、読者自身のバックグラウンドによって知的にイマジネーションする作品だからだ。
水族館で働く父親を持つ、中学生の琉花(CV:芦田愛菜)は、まっすぐな性格すぎて、コミュニケーションの苦手な少女。家族も似たところがあり、ギクシャクしている。
琉花は、夏休みが始まったばかりのハンドボール部の部活でトラブルを起こしてしまい、学校での居場所を失う。
期せずして、"長い長い夏休み"が始まってしまった琉花は、父親の働く水族館で、ジュゴンに育てられたという不思議な少年・海(CV:石橋陽彩)に出会う。海には、一緒に育った兄・空(CV:浦上晟周)がいた。
夏休みに起きる琉花の不思議体験は、現実とファンタジーが普通に共存している設定の世界観で、考えれば考えるほど弾き返される。
少年・海と空は、ジュゴン(人魚姫のモデル)に育てられたという、"自然と人間の中間"にアイコニックに存在する。
そんな少年と触れあい、さまざまな体験をする琉花は、人間社会でのディスコミュニケーション(相互不理解)にぶつかっている少女。
言葉を持つ、人間同士さえわかり会えるのは難しいのに、自然や動物とコミュニケーションするということは、どれほど無限で未知なのか・・・。
さらに映画という尺の都合で、学術的な情報はことごとく端折っている。考えるな!感じろ!とでも言っているような作品だ。
これはこれで原作に対するひとつの解釈だろう。米津玄師も"海の幽霊"と、モヤッとオブラートに包んでしまったようだし。
ちなみに少年・海のCVがディズニー映画「リメンバー・ミー」(2018)の主人公ミゲルを演じた石橋陽彩というところが注目。声変わりしたのかどうかが気になる。
身体で感じるアニメという意味では、この大画面映像に、ぜひ4DX版チューニングしてもらいたい。水効果のないMX4D版は止めてね・・・あっ!TOHOアニメだから無理か(笑)。 わかるかな?
(2019/6/8/TOHOシネマズ上野/シネスコ)
宇宙もあなたもすべては粒でできている⁈
原作未読、予備知識なしだったのでびっくりしました。
『われわれはどこからきて、どこへ向かうのか』
人類の起源やこれからどう進化するのかという予測をテーマにしたダン・ブラウンの小説「オリジン」のテーマとピタリ重なるのです(「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」で有名な作家です)。
この小説では、純粋に科学的な人類の起源解明と〝神〟による創造が前提のユダヤ教、キリスト教、イスラム教とのさまざまな軋轢や摩擦もまた大きなテーマになるのですが、この映画を見る限り、日本では、宇宙の創造も人類の創造も、どちらについても宗教的配慮は殆ど気にしなくていいことを改めて理解でき、テロのような陰惨なものとは違った文化的視点から日本と世界の思想環境の違いも実感できます。
実際、報道番組によると、アメリカのトランプ大統領は聖書の天地創造やアダムとイブなどに関する記述が事実だと信じてるキリスト教福音派の人たちの支持を得るための政策をかなり本気でとっていると伝えられており、宗教への配慮が見受けられます。
それはさておき、この映画のテーマについての個人的な解釈は、的はずれなことを承知で、大雑把に括ればこういうことです。
『宇宙に存在するすべてのものは、ビッグバン直後に生成された原子や素粒子などの粒で出来ている。地球で生まれた生命もまた奇跡的な偶然による結合があったにせよ、構成要素はそれらの粒である。一見すると、宇宙や海や人間のサイズ、スケール感はまったく比較にならないほど違うが、粒としての繋がりの前では何も違いはない。大げさでなく、あなたも宇宙の一部なのです。
海獣の子供は、人間世界が不安や疑心暗鬼や諸々のマイナス因子に覆われたような時に、祝祭という形で現れる一種の調整或いは浄化装置なのである。』
粒という表現、実は西加奈子さん原作の映画「まく子」でも出てくるのです。近年、重力や素粒子など最先端の科学的知見が映画や文学でも、人間存在の意味や成り立ちなどの哲学的観念を語る上でとても重要な要素になっていることが分かります。
この映画は『存在』という観念の成り立ちをソラやウミや海洋生物に仮託して描いているのでかなり分かりづらいところがあると思いますが、次に示した映画などを観ると発想の部分的な繋がりも垣間見えて本作理解の一助になると思います。前述の小説「オリジン」も合わせるとより自分なりの解釈が立てやすくなると思います。
・2001年宇宙の旅…ラストのスターゲイトからスターチャイルドに至るシーンは既視感を覚えるかもしれません。
・ペンギンハイウェイー…身近な世界と宇宙の繋がりへの想像力の働かせ方(それなりに頭が疲れますが)
こちらの蒼井優さんは声だけなのにメチャクチャ魅力的です。
宇宙もあなたもすべては粒でできている、というのは実は嘘かもしれません。映画の中でも語られていた「ダークマター」。現在分かっている星や物質(我々人間も含めて)の質量の総量は、宇宙全体の質量のたった5%程度で、ダークマターですら27%、残り68%は未知のものでダークエネルギーと呼ばれているそうです。それらもビッグバンで作られた〝粒〟なのかどうかまだまだよく分からないことがたくさんあるのですね。
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