「花火や夕陽を観ているような体験」海獣の子供 sadamさんの映画レビュー(感想・評価)
花火や夕陽を観ているような体験
最初に観て感覚的に近しいと感じたのは、「2001年宇宙の旅」。花火や夕陽のように一瞬の美しさを愛で、瞼の裏に残る余韻に浸れる映画だ。
ジェットコースターで例えれば、後半30分に向けてゆっくりと登りつめ、一気に急下降して最後の10分で余韻を感じる映画。
余りに素晴らしかったので、合計で4回観に行った。空くん消滅以降は毎回、涙腺崩壊。「誕生祭」の受精の瞬間は嗚咽が出るほど泣いた・・・。
ストーリーはシンプルながらも緻密に計算されていて無駄がなく、かつグッと我慢して語り過ぎないよう節度を保っている。最終的にはこの映画はストーリーで魅せる作品ではなく、クライマックスの美しさを五感で楽しんで貰うための作品だということをしっかりとわきまえている。
僕は原作を読んでいないが、読んでいなくても、この作者が作品を通してストーリーを伝えたいのではなく美しいものを描きたいのだということは伝わってくる。
一見難解に感じられるデデやアングラードのセリフは、作品に深みを与えるための隠喩のようなもので、理解しなければ楽しめない種類のものではない。花火職人がその仕事を人生に喩えたからと言って、人生を理解しなければ花火を楽しめないという事も無かろう。むしろここを余り掘り下げ過ぎず、スパイス的に散りばめることで、本質の「一切何も考えずに花火やジェットコースターを楽しむような体験」を産み出すことに全力を注ぎ込んだ制作陣は見事という他ない。
そして五感に訴えかける上で何よりも大きな役割を果たしているのが、音響。映画全体が一つの音響作品と言っても過言ではないくらいに、音の素晴らしさが抜きん出ている。音響監督は誰だ?!と注意してクレジットを見ると笠松広司氏。後で調べると「借りぐらしのアリエッティ」も手掛けられていた。そういえばアリエッティも音響が素晴らしいと感じた映画だ。
ザトウクジラのブリーチング(大ジャンプ)着水時の音には快感すら感じる。クジラの歌を初めて聴いた瞬間の琉花の心象に入り込む音響、「ひとだま」の音や「星の死ぬときの音」、「ソング」の音など、どの音も心に響く強い音だ。雨の中を自転車で走る際の深いフィルターの掛かった音響を始め、フィルターは水と相性が抜群だった。
他にも細かいところでは、セリフも実際に発声している声と心の中の声でオフマイク/オンマイクを使い分けているし、琉花が海に潜ってジンベエザメの群れと遭遇するシーンの久石譲による音楽の展開も素晴らしい。
海の上にいる間はピッコロの高い音のメロディで始まり、海に潜るとシンセサイザーの音になり、ジンベエザメの出現と共に低くて深い壮大なストリングスの音、息継ぎのために海上に頭を出すとまたピッコロの音が鳴り、すぐに潜るとストリングスの音へ・・・。最後に海上に助け出されると、ピッコロの音で締めくくられる。ストーリーの展開と曲の展開を重ね合わせるというのは無声映画時代からの王道パターンではあるが、特にこのシーンは効果的に感じられた。
以下、気付いたいくつかの小さなこと。
空くんが消滅した後は、海くんは一度も人の言葉を喋っていなかったように思う。(最後に「さよなら」と言われたように感じる琉花のセリフはあるが)
「誕生祭」が終わった後の光の柱の中を仲良く泳ぐ二匹のジュゴンは、海くんと空くんの化身(隠喩)なのかな?と思った。