「「思ってたのと違う!」が貴重な体験になると思う」海獣の子供 ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
「思ってたのと違う!」が貴重な体験になると思う
序盤の主人公登校シーンからハンドボールの場面にかけて、キャラクタの伸びやかな躍動感には、ちょっと通常とは違う意味の涙が出た。
いわゆる「感動的なセリフ」とか、「エモいエピソード」とか、そういうものに流れる涙じゃなくて、「見せられてる映像の体感的な気持ちよさに感極まる」みたいな理由で涙が出た。僕の過去の例で言うなら、「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロンで、ブラックウィドウがバイクで飛行機から飛び出した場面」でダバ出しした涙と同じ種類のやつ。
「リアルさ」ではないと思う。仮に生身の人間をモーションキャプチャして、走ったり跳んだりする動作をアニメにそっくり再現したとしても、気持ちよさは感極まらない。かといって「高強度のダイナミックさ」というような基準でもないと思う。僕にとって「走る場面が印象的なアニメ」と言えば、例えば『かぐや姫の物語』でキレたかぐや姫が屋敷を飛び出していく場面とか、『デビルマンCRYBABY』の陸上部の場面とかがあるけど、本作での走ったり跳んだりという表現は、僕にとって本能レベルの「快感」だった。もうそれで満足。
「圧倒的に緻密で高カロリーな背景画」や「超美麗な海や海の生き物の映像」については、多くの人が評価するポイントだと思う。極端な話、映画のストーリーや声優の演技を無視して、“動く絵画”として鑑賞しても料金のモトは取れるんじゃないかって話。うん、映画館に観に行く価値として充分だと僕も思う。ただちょっとカロリー高すぎて、物語を追う目的の上では、その緻密な画をノイズに感じてしまったところもあるかな。
主人公の琉花と「海」と「空」兄弟をめぐる、本作のストーリーや、それを語るセリフ回しなどについて、映画サイトのレビュー欄では「意味わからん」として多々低評価をつけられてる。僕はその低評価に憤慨するわけでも冷笑するわけでもないし、原作も未読なので、解説するなんてこともできない。
ただ僕はなんとなく、意味を理解して観る必要そのものがないんじゃないかなと思ったりもしてる。「本作のあの場面のそのセリフは、哲学者○○が△△で述べた□□という思想がベースになっていて、その言葉の意味は××ということから、あの場面は※※のメタファであり〜」みたいな理解が仮にできたとしても、それが本作を観る満足度を高めるか?って言ったらそうでもないような気がするの。
宗教学的に「アニミズム」と絡めたりとか、自然科学的に「人間原理」と絡めたりとかして考察するのも面白そうな気もするけど、「なんだかオーストラリアのアボリジニが焚き火囲んで話してるような雰囲気のこと言ってんなー」くらいな気分で観るのがちょうどいいんじゃないかな。
そんなセリフや演出に込められてそうな“意味”もカロリー高すぎて、物語を追う目的の上では、ノイズに感じられる側面もあるんだろうと思う。
総じて「思ってたのと違う!」が、良くも悪くも。
でもその、
「良くも悪くも、思ってたのと違う!」をあえて体験するにはオススメの映画だと思う。
特に子ども達に。
子ども達にこそ、うっかり間違えて観て、体験してもらいたい作品だと思う。「うっかり間違えて思ってたのと違う!」なんて嬉しい事故にはイマドキなかなか出会えないし。おそらくピンと来ないし、たぶん面白くないだろうし、なんならトラウマになりかねないような「気味悪い描写」もあっただろうし。それでも。ていうか、だからこそ。
幼い感性に必ず何かを残す映画なんじゃないかと思う。
大人の感性は、ノイズに捕らわれてしまいがちだし。
子ども達が「子どもの目」で観て、その感想は、今は聞けない。言えない。
吐き出さないまま記憶の隅っこに転がしておいて、
いつかその子ども達が「大人の言葉」を獲得した頃に、
僕らはこの作品の本質を捉えたレビューに会えるんじゃないかなぁと思う。
昨年の『若おかみは小学生』は、「大人が観るべき子供向け映画」だった。
そして『海獣の子供』は、「子どもが観るべき大人向け映画」なんだと思うんだ。