僕はイエス様が嫌いのレビュー・感想・評価
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僕はカルト宗教が嫌い
腰の手術の事を、ソウの感想で書きましたが、腰に腫瘍があると分かるまでは痛みの原因が分からなくて、痛みは増す一方で悩んだ挙句、手かざしで難病を治すカルト教団に駆け込んだ事がありました。
その教団が出版している、隈本確著 大霊界シリーズの単行本10冊を読むのが治療の条件でした。
内容としては、小学生から月刊ムーを読んでいた俺にとっては鼻糞ほじりながら読むような、自称霊能者にありがちな霊界や、霊障、因縁、他のインチキ霊能者の悪口の話しで構成されていて、時折、文章から滲み出る「 俺様、スゲーアピール」 にイラっとしました。
当然、こんな戯言を読んでも腰の痛みが治るわけがありません。
今、近所のAEONでココカラという会社が体験説明会をやっていて、その機械は50万から、100万くらいするんだけど、法政大学を卒業して、販売員をしている女性が、この治療器で認知症や不眠症が治ると言っていたけど、治るか!馬鹿!お前は地頭いいのに馬鹿だな?
閑話休題、じゃあ、本を読んでも病気が治らない人はどうすればいいのか?安心してください!治りますよ?! 教祖様による手かざしで、10万円かかるけどな!?
ちなみに、知恵袋で聞いてみたら、昔の10万円は今の3・4倍の価値があるとの事。HONDAのハンターカブの新車買えるじゃん?
で、教祖による手かざしが行われる会場でなけなしの治療代10万円を握りしめた信者に向かって、教祖様は、
「 俺の本を読んで、何で病気が治らないんだ!お前らには、まだ信心が足りない!」
と、かく語りき。
そんな事に10万円も払いたくなかったので、大霊界を勧めた信者のおばさんに代わりに、手かざしをしてもらいました。
当然、治るわけもなく、10冊の書籍代が無駄になっただけで済みました。
そんな経緯があったので、神仏を信仰する気はさらさらなく、神に会えば神を斬り、仏に会えば仏を斬るスタイルで生きています。
みんな、我慢してくれてありがとう!本題に入るよ?!
「 ぼくのお日さま」が凄く良かったので、過去の監督作品を調べてこの作品の事を知りました。
映画館でリバイバル上映もしているが、そろそろバイト代の蓄えが尽きてきたのでU-NEXTの配信で鑑賞。
東京住みの少年が、お爺ちゃんが亡くなってひとりぼっちになってしまったお婆ちゃんと一緒に暮らす為に、家族揃ってお婆ちゃんの家に移住する。
主人公に佐藤結良くん、サッカー好きの友達に大熊理樹くん。
大熊くんの母親は、ホラークイーンの佐伯日奈子、今回も怖い役、もう様式美ですなw たまに、普通の役をやっても、
「 で、いつ佐伯日奈子はキレるの?」
と、つい期待してしまいます。
キリスト教系の学校で、讃美歌や聖書に戸惑いながらも、大熊くんの助けもあってか、次第に学校に馴染んでいく。順調だった、ある事を除いては...。
佐藤くんの目の前にだけしか現れないキリストはちょうど、ミクロマンくらいのサイズ。
最初は相手にしなかったが、次第に情が湧いてきて一緒に遊ぶようになる。
紙相撲の土俵の上で、人型に折った千円札と、小さいキリストが相撲を取るシーンは不意を突かれて、大笑いしてしまいました。
佐藤くんと、大熊くんは夜の校舎に忍び込み学内を探検したり、その晩が流星群だったので、教室のドアを開けて星を眺めたりする。仲良しの二人がお呼ばれして家族と一緒に食事をしたり、人生ゲームで遊んだり、微笑ましくてほっこりします。
そんな、ある日、ある事件があり、佐藤くんは神様を信じられなくなってしまう...。
その事件のシーンは不意を突かれて、かなりくるもんがあります。
最後に大熊くんについて語る佐藤くんのシーンが切ない。でも、良い友達に恵まれて良かったね。
さて、最後に俺が体験した「 鬼畜達の蛮行シリーズ」 の話しで締めるが、
葬儀屋で働いていた時に、いつもはお年寄りのご遺体を移送する事が多かったんだけど、その時はまだ18歳の男の子が突然死して、病院から葬儀屋の遺体安置室に移送でした。
深夜だから、遺族しか知らない筈なのに、男の子の同級生達が葬儀屋の安置室に大挙して、合計20名くらいだったでしょうか。
皆、男の子に線香をあげて、葬儀屋の一階にある駐車場に待機していて、すぐに解散するのかと思っていたら、何と地べたに座り出して、酒やつまみを持ち出して、同窓会を兼ねた宴会を始めたのです。
警察官呼んで通報しようとしましたが、支配人判断でスルー推奨との事でそのままにしておきました。
翌朝、駐車場を見るとビール缶や、タバコの吸い殻だらけでした...。
神様は信じてないけど、こいつらに天罰与えてくんねぇかな?
半ズボンの聖域、その破壊と再生
この映画を配信でみました
こどものはなしですが、
子供扱いしていない厳しい作品
映像美と立体的な音響に圧倒されっぱなし
祈るということはどういうこと?
信仰とは何か
観ている間はただ物事が起きている様子を感じるだけ
ひきこまれていました
世界中の誰もが観てわかりやすい普遍性に満ちている
監督はまだ20代、これが大学卒業製作とは恐るべき才能です
きくと、奥山和由プロデューサーのご子息らしい
ハチ公物語や、北野武、竹中直人を監督デビューさせた、あの人!
昔の映画のような雰囲気だった!!
小学生男子をただ眺めているだけの映画ですが、撮り方が何か昔の映画のようで、懐かしい気がしました。小学生の頃は、時間も活力も溢れる程ありました。
妖精イエス
冬の柔らかい光や、冷んやりした空気、雪景色と子どもたちの組み合わせが、とても清らか。淡々と進む物語がどう展開するかと思ったら、悲しい終わり方だった。でも、薄い笑いと悲しみと、皮肉っぽいところをミックスしたような感じで、78分と短い作品ながら、よくできていると感じた。弱冠22歳という若い監督が、この先どんな映画を撮るのか、とても楽しみ。
フジテレビの放送を録画で。
少し斜めで愛おしい作品。
私もミッション系のスクールに通っていたので、この少年の不思議さや、とまどいは何となくわかります。
神様を、みんなそこにあるかの様に、時に愛し、時に憎み、話しかけてみたり、無視してみたり。
こちらの都合で、そこに無いのにそこにある様な関わりを持ってしまう不可思議なものです。
ただ、とても理不尽で非情だと思える時もあるのに、とても寛大でどこにも行き場のない感情も引き受けてくれる時があることも事実です。
エンドロールで感想が、チャド・マーレンだったんだぁになったのが、なんか良かった。
ふたつのインパクト
ありきたりの日常にさほど有名でもない俳優たちが織り成す前半はどこにでもある日常で淡々と過ぎ去る中で唯一の違和感は小さな町でのカソリック信仰とそれを体現した小さなキリストの出現である。しかしその異質な現実も子供たちの日常の中においてはさほど大きなことではなく、おとぎ話なのか夢なのか分らぬ狭間の少年の心象にすぎに日常を見せられているようで見ている方ははっきり言って退屈な物語信仰のように感じる。その緩やかな時間の流れがあるときのこれまた日常で起こりうる一瞬のインパクトで見る側は一気にこの映画に引き込まれる。主人公の大の親友、唯一の親友が一瞬の交通事故で命を失う。その受け入れがたい現実の中でも宗教的信仰でその事実を消化しようとする大人たちとその大人たちに押し付けられたことによる信仰の体現なのであろうか、その気まぐれに現れたり気まぐれに少年の願いをかなえたりする小さなイエスの出現を怒りに満ちて聖書の中に叩き戻す少年の現実への直視と言う第二のインパクトがこの映画を極めて濃厚で意味の深い作品へと昇華する。名作である。
願いと受難
何とも罰当たりなタイトル。
でも、主人公のユラくんにしてみれば。
見終わってみれば、ユーモアと皮肉の効いたタイトル。
東京から父母と共に地方の雪深い祖母の家に越してきたユラ。
ミッション系のスクールの習慣やなかなか友達も出来ず、馴染めないでいたある日、ユラの前に現れたのは、
自分にしか見えない小さなイエス様…!
少年とイエスの秘密の交流は『汚れなき悪戯』を彷彿。
少年と小さなイエスの構図は大林宣彦監督の『水の旅人 侍KIDS』を彷彿。
オマージュとオリジナリティー、奥山大史監督の体験談が込められているとか。
このイエス様、身体は小さくても願いを叶えてくれる。
願いの定番、お金が欲しい。ま、さすがにこれは微々たるものだったが…。
友達が欲しい。
初めての友達が出来た。カズマ。
サッカーしたり雪の日も遊んだり、クリスマスをカズマの家にお呼ばれしたりと、学校や日々の生活が楽しくなる。
しかし、古今東西。願いに付き物なのは…。
ある日、悲劇が…。
事故だったのかもしれない。
イエス的に言えば“受難”かもしれない。
願いと受難。
イエス様からの教訓。人生、苦楽あり。
でも、こんな事になるなんて…!
じゃあ僕は、イエス様なんて嫌いだ!
先述通り、ユラの胸中をユーモアと皮肉で表したラストシーン。
邦画では珍しい“宗教映画”の類い。
なかなか取っ付き難いジャンルを子供目線で、ファンタスティックな児童映画として描き、宗教映画の中では見易い方だった。
タイトルから予想できてしまい、ハラハラして観る
予想どおりの展開。個人的には、宗教は願いを叶えるためじゃなく、心のささえが必要な人が頼るものかな。ミニキリストが出てきた意味は、主人公の願いは叶わず怒りをぶつける先だったのね。お祖父さんの障子の穴あけは想い出を観るためにあけていたのかな。と、最後に感じました。
信仰とは
日本は宗教学習を公立では全く受けないし
親や家族が何も教えないことが多く
大人になってから宗教問題にぶち当たり
さて、何を信仰したら良いのか?となる
いや、何も信仰しなくて良い、となる…
神に愛されていることを実感して生きる自分には、なんとも薄情な風景だ…
子供に聞かれたらしっかり答えられる準備や勉強をしておきたいものだ…
しかし、由良のおじいちゃんは日曜礼拝に通っていたらしいのに、お仏壇に収まってるあたりがなんともあるあるで、お盆とクリスマスとお正月をなんの疑問も解さずこなすのが日本の文化だ
神様ってほんとうにいるの?
登場人物の心情を映像で表現するのがとても上手い監督ですね。
主人公の少年の心情にとても共感してしまいました。
世の中におこる理不尽な出来事や様々な悲劇。
神様ってほんとうにいるの?そう思うことってたくさんあります。
無垢な少年に映る綺麗事な世界と事実との奇蹟、エンドロール前の言葉に涙する
ここまでストンと落ちる、リアルなドラマは初めてだった。エンドロール前に入るあのフレーズで、抱いていた悶々たる感情が清算され、涙が止まらなかった。
東京から転校してきた由来は、北海道の小学校がキリスト教を信仰していることに躊躇いを覚える。違和感を覚えつつも、無垢で無知な彼は、次第に新たな世界を開いていく。その過程で出会う、友の存在と小さなイエス様。友は瞬間を、イエス様は願いを叶えてゆく。イエス様の可愛らしくて気になってしまう動き、その掛け合いもなんだか面白い。しかし、事態は暗転する…。このタイトルの意味が次第にわかってゆくとき、目を背けたくなるような事実とすれ違いが起きる。神様へのアンチではなく、ひとりの少年がモノを知るときに生まれる感情の奇蹟、それがいかに美しくて儚いものか。ドラマ全体では汲み取りにくかった部分が、エンドロール前に入るあのフレーズで全てが合点するとき、その意味が初めて為すのだった。
あまりにも自然に溶け込む日常のリアルと、異文化との出会い。やっぱり僕は…となる意味が、監督の根底にある感情から気迫として現れ、強い意思で出来た作品なことを体感した。
願いが叶えばもっと欲しいとなり、叶わなければ神様なんか嫌いやとそっ...
願いが叶えばもっと欲しいとなり、叶わなければ神様なんか嫌いやとそっぽ向く。人間って欲深い。見終わって最初は信仰とは何ぞやってことを問いかける系の映画なのかなーと考えたけど、最終的にそんな感想を持った。コンペティションに数々受賞!って感じで世に出る監督さんがちょっと苦手なんだけど、この作品はアレルギー発動しなかった。
これが卒制だとは思えない良作
一般の映画監督でさえ、このクオリティを出すことはなかなか難しいが、これを学生時代に撮ったと思うと将来有望な映画監督である。
複雑なカメラワークを入れずとも、引きの絵や長回しを使うことで、カット数は少なめだが、明解なカット割りに好感が持てる。セットや音楽もチープさを感じさせないのは、監督のセンスと腕の証だと感じる。
CG部分も低予算ながら奮闘し、子供の心情をうまく理解している。
これは聖書でいう「ヨブ」の物語だ。
宗教は人間の都合で左右される。現世利益があれば神を信じるし、なければ神を信じない。そういう意味では子供の正直な気持ちがよく伝わってくる映画である。ただ世界20億人の精神的支柱でもある救世主の扱いには、もう一段の工夫と配慮が必要かもしれない。
皮肉にも青山学院を卒業した監督に、イエスがお嫌いかどうかを聞いてみたくなる作品だった。
小ちゃいイエス様⛪️
主人公の由良が転校した学校はキリスト教の学校で、お祈りをするうちにちっちゃいイエス様が見えるようになる。でも仲良くなった和馬が事故に遭い、どんなにお祈りしても結局助からない。「神様なんて居るもんか!」(と言ったわけではないが、心のなかではそう叫んでいたのでは?)と現れたイエス様をゲンコツで潰してしまう。願いを叶えてくれなかったキリスト教に対して由良の今後の信仰はどうなる?
と、そこまで深刻な話でもなさそうな映画。由良のおじいちゃんも生きてる時は日曜に礼拝に行ってたようだが、お仏壇の中にいるようだし。
子供達の会話や遊んでる様子、家族との会話とか凄く自然で、大げさなドラマ感がなくて良かった。
ひとつ気になったのが、転校初日教室での挨拶の時に黒板の上の時計が、変?長針と時計の枠のバランスおかしくない?そんなところが気になる私が変???
宿命、天命、運命 この映画のイエス様は本物のイエスかどうかイエスかノウで答えよ
私は信者ではありませんが、この映画で子供に見える小さなイエスは、どうみても、イエスを小馬鹿にしているようにしか見えません、挙動はあみだばばあみたいですから。
でも、最後に、早世した友人に捧ぐ、わけですから真面目なんでしょう。
私事ですが、ある人が壮絶な人生のため、自殺を考えていると夢の中にイエスが出てきて、自殺はいけない、今日生きて、明日生きることは、奇跡だから、といわれ、自殺を断念した、ということがあります。
宗教は功利主義でないとすれば、信心深くとも、事故などで死ぬことは防げないわけです。
主人公がイエスや祈りが役に立たないとつぶやくのは、仕方ないことですが、天に召されたと考えれば、死んだ本人はともかく、周囲は救われ安らかにんるわけです、それがこの映画のテーマだと思うのです。
ちなみに、冒頭のだじゃれは村上春樹の本に書いてありました。
【無垢な少年の心の痛みを、見事に切り取って見せた作品。】
ー東京から雪国のキリスト教系の小学校に引っ越して来た小学五年生のユラは、目の前に現れた”小さなイエス様”にある願い事をする。-
■印象的なシーン
・不安な気持ちを抱えていたユラ。
美しき”グロリア”が流れる中、ユラの前に現れた、光輝く小くて、チャーミングなイエス様の姿。
・ユラにサッカーが得意で、勉強もできるタクヤという友人が出来、二人で楽しそうにサッカーをしたり、流星群を見つけようと夜、学校に行ったり・・。タクヤのお母さんはいつも、笑っている・・。
・今は亡きお祖父さんが穴を開けていた障子。新しく張り替えて穴の無くなった障子にユラが穴を開けるシーン。
<勝手に、ユラが”自分はどうなるんだろう・・”と、見えない未来を見ようとするシーンとして解釈する。>
・タクヤの告別式で弔辞を読む、ユラ。
目の前に現れた”光輝いていない”小さなイエス様をお祈りするために握った両こぶしで叩き潰すシーン。
ーエンドロールで流れた奥山監督のメッセージで、劇中の幾つかの疑問が氷解したような気がした作品。ー
<ラスト、美しき”グロリア”が流れる中、ユラとタクヤは雪の積もった学校の校庭で楽しそうにサッカーをしている。
その姿を空から映し出す暖かいトーンの映像。心に残る”寓話”である。>
それなりに叶えてくれる神様
主人公は親の都合で東京から雪国に引っ越し、ミッション系の小学校に転校する。
学校で聖書などを学ぶが、そのうち目の前に小さな神様が現れ、それなりに願い事をかなえてくれる。
そして友達が出来て、親も安心、本人もとても楽しい。
22歳の監督が自主制作したらしいが、これは期待が膨らむ。
ひとり人生ゲーム
雪深い地方の町。小5のユラが転校したのはミッションスクールだったけど、普通の学校だよと教えられ、なんとなくお祈りをするうちに小さなイエス様が彼の前に現れるようになった。大人になってから細かく思い出すのが困難だろうから、22歳の奥山監督がカズマの記憶とともに捧げた作品なのだろう。不思議とノスタルジーも感じられるのは、この作品が誰しもが持っている原風景を映しだしただけなのかもしれません。
面白いことにキリスト教を前面に表したのではなく、お祖父ちゃんは仏壇にいるし、神社にお参りもするというところ。日本人ならこれが普通だよね、と感じてしまいます。もちろん子どもたちの遊びもごく普通。サッカーをしたり、流星群を見に行ったり、別荘に誘ってもらったり。そんな中でも人生ゲームで遊んでるところが好きだなぁ。ただ、ゴールは誰でもできるんですけどね・・・
激しく流れ星が落ちるシーンには答えがあるけど、答えのないのが亡くなったお祖父ちゃんの障子に穴をあけてしまう癖。これは色んなことが想像できるけど、それ以上に理解に苦しむのが、ユラが体育の時間(サッカー)の途中で勝手に帰ってしまったこと。何だったんだろう・・・ひとり人生ゲーム。これが事故に繋がるのかな?全体を通してみると、監督が22歳にして断片的な記憶しか残らなかったことの表現かもしれませんが、これから先、鮮明に思い出す日が来るのかもしれませんね。
ささげられる弔辞と祈り
早世した友人にささげられた映画だったのですね・・
エンドタイトルにその小さな“告白”を見て、この映画が作られた動機を知った思いがしました。
22歳の監督。
22歳って、まだ生々しく子どもの頃の記憶が息づいていている最後の季節だと思います。
その時期を過ぎてしまうと、大人の人生は荒波にもまれるばかり。生きるに忙しくて毎日の刺激も強すぎるから、子どもの頃を振り返る暇もない。
そんなわけで、老境にさしかかる日まで、私たちはかつて自分が子どもであったことを想起するチャンスを失ってしまうのです。
ふと思い出してはいても、その思いはとり紛れて意識の底に隠されてしまうのです。
・忘れないうちに、
・忘れたくない友だちのことを、
奥山監督は大人の生活に突入する前に、彼自身の絵日記のようにそれを映画に残したのでしょう。
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僕は、五十になった時に終活を始めました。
終活を始めたその1年のうちにやり残していた課題をぜんぶ片付けました。
それは子どもの頃に犯した過ちのひとつひとつを、(覚えている限りではありますが)、本人に直接会って気持ちを伝え、説明し、先ず詫びてから相手の気持ちを聞かせてもらうことでした。
心に刺さったままの棘を、そのままに自分の人生を終えてはいけないと思ったからです。
日本中を回りました。
加害者の自分がこんなに後ろめたい過去を抱えて子どもの時以来数十年の時を生きているのだから、僕によって痛みを受けた人もきっとそうであるはずだと思って。
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ユラは断りなく帰宅してしまい、残されたカズマはひとり死にます。
とぼとぼ歩いていたユラは早足になり、走り出す。
あそこは、なんの説明もいらないユラの心のシーン。
奥山監督が映画に託した心は、早世した友人カズマに届いたでしょうか?
すでに亡くなっている友人に届けたかった思いは、もう後の祭りでその子に届かずとも、でもユラの弔辞として、そして祈りとして、この素朴なフイルムに実を結んだのだと思いました。
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【ボーっとしてわからないこと】
なぜユラは祖母の家に引っ越したのか。
以前の東京での暮らしでユラには何が起こったのか。
なぜ両親も当たり前のようにそこに同居しているのか。
祖母の家の天井の節穴が怖かったように、あの障子の穴も記憶の中の小さなかけらなのか・・
― いろいろたくさんの、よくわからない事情があるようで、混沌とした少年期の記憶の再生が実にうまく表現されている映画でしたね。
自分を幼少期に連れ戻してくれる、不思議な余韻を与えられました。
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