「人生の喪失と再生」凪待ち keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の喪失と再生
重苦しく、陰鬱で暗澹たる空気が終始充溢し続ける、決して笑って楽しめる映画ではありません。
己の才、己の知、そして己の縁を浪費し喪いつくして社会の底辺で蠢き、のたうつ中年男が、世の中から見放された孤独と閉塞から、唯一ギャンブルのみを捌け口として被虐的に自らは抑えようがなくのめり込み、周囲を巻き込んで徹底的に堕ちつくした上で、最後のやり直しを図る、人生の喪失と再生の物語といえます。
本作を観て、日本映画史のベスト5には必ず入る名作『浮雲』(1955年)に相通じるものが、私には感じられました。『浮雲』は、閉塞感と倦怠感に満ち溢れつつ、各々が狡猾で自分本位な男女の遣る瀬無く切ない関係を切々と綴ったものですが、本作は、この重苦しい空気感と殺伐とした他人との繋がりを一人の男に体現させて描いたように感じます。
『浮雲』で森雅之演じる富岡は、女にだらしなく、ずるずると堕落していく末に悲劇的終末を迎えるのに対し、本作の香取慎吾演じる郁男は、徹底してギャンブルに呑み込まれ、己ではどうしようもなくスパイラルに奈落に陥った末に再生の光明を見出しますが、何れも女の犠牲を生贄にしていく点が相似しているように思います。
白石和彌監督は、人間の心の奥底に潜むダークな本質を曝け出させ、対峙させ、そこに生じる荒ぶるドラマを作品化してきているように思いますが、本作もその延長線上に位置しているといえます。
主人公の、水草のように刹那的に唯々世の中を漂い彷徨うだけの日常の中で、自己嫌悪に陥り悶え苦しみながら、それでも抜けられない自堕落で自暴自棄の、愚かで、切なくて、哀しい生き方が、見事に描かれています。
特に、ユニークで斬新な撮影アングルとフレームの取り方と寄せカットの多用によって映像に緊張感と戦慄感が満ちており、更に手持ちカメラ撮影の落ち着かないカットの多用によって悲愴感と不安感が塗され、作品全体の画調が暗く沈んだものに仕上がっていました。
また、主たる舞台となる石巻、そしてその前段の舞台として作品に重要な意味合いをもつ川崎、その各々のエスタブリッシング・ショットとなる、片や不穏な予感を漂わせる石巻の街と港湾の遠景俯瞰、片や物語の軛となり物語進行のガイドレールとなる競輪場の描写は、観る者に強く不吉な印象を与えます。
主人公役の香取慎吾は、うらぶれた中年男の悲哀と孤独感と倦怠感をそれなりには巧く演じていたとは思いますが、己の意志の弱さに自己嫌悪に陥り苦悩し憔悴するまでには至らず、やや主人公のキャラクターをアピールしきれていないように感じます。
何より声音に張りがあり生気が感じられるのは違和感がします。真の役者なら、単に所作と台詞回しだけでなく声調もいくつかの抽斗を持つべきで、今後の彼の円熟に期待します。