劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビュー・感想・評価
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泣けるアニメ
戦争によって両腕を失った女の子
その時に一緒にいた長官
2人は、戦争によって自分の運命が大きく変わってしまった。
それから手紙を代筆するという自動書記人形として主人公は、働く事になる。
この映画は、テレビシリーズ、映画の中でも新しいものになります。
この映画で登場する男の子の所が僕の中では、ぐっとする部分だった。
自分の人生が残りわずかと知っているから自分の両親も気を遣って接してくる。
弟に対しては、自分の親の愛情を奪われてしまった嫉妬心を抱いてしまう。
それでも自分の家族に自分がいなくなった世界で幸せになってほしいなと願い、自分の思いを手紙に託した。
ヴァイオレットが自分の好きな人に会えたという情報を聞いて、「よかったね!」という男の子がいった所がなんとも切なかったな。
自分の死に際にあんなに笑えていれるかなぁって考えてしまった。
長官と再開しても、自分の事を受けいられないでいる所も切なかった。
全体を通して、とても感度する話でした。
思わず涙が出てきました。
良かったんだけど………… 最後の終わり方にかなり違和感。 私は2人...
良かったんだけど…………
最後の終わり方にかなり違和感。
私は2人の関係に恋愛感情はないと思ってました。恋愛よりも家族愛?のようなとても強い愛というイメージだったので。
正直、、、残念です。
ただ、最後の2人画再開するときの水の描写が綺麗すぎてとても記憶に残りました。
最高のアニメ映画。
これでいい。
ギルベルトが無理矢理生きてる設定?
ストーリー展開がイマイチ?
ありきたり?王道?
これでいいんです。
最期にギルベルトと結ばれる
これ以上はない展開です
気持ちを伝えることの大切さ
たぶん好みの問題だと思うが、「そこまで傑作といえる作品か?」とやや疑問。作品としては面白かったけど、ストーリー展開が普通。ラストも「あっ、やっぱそうなるんだ」と少し拍子抜けしてしまった。
ただ、気持ちを伝えるツールが時代と共に変化した描写があったのは意外だった。手紙から電話へ。ドールにとっては商売敵になるであろう電話も、使い方次第ではお客様のニーズに沿ったものになる。どんなツールであれ、相手に気持ちを伝えられるのだと思った。
アニメ全話も「外伝」も観た側からしたら、やはりヴァイオレットとギルベルトの再会は、胸に込み上げるものがあった。再会に至るまでにも色々あったが、ヴァイオレットがギルベルトの気持ちを汲んで、ある行動していた場面で彼女の成長を感じさせた。その後の展開があまりにもベタすぎて苦笑いしてしまったが、純粋に「良かったねぇ〜」とほのぼのした。いろんな人との出会いを通じて、「愛してる」の意味を理解した彼女だからこそ、一番会いたい人に想いを伝えられたのだと思う。
「愛してる」の意味を求めた彼女の旅路
"ヴァイオレット・エヴァーガーデン(映画)" シリーズ第2作。
Ultra HD Blu-rayで鑑賞。
原作ライトノベルは未読、
テレビシリーズと外伝はNetflixで鑑賞済みです。
テレビシリーズを観ていると「おっ!」となる冒頭から引き込まれました。電話や電信の登場に時代の流れを感じたのも束の間、驚きの事実が明かされ、様々な想いが交錯し…
なんと美しいフィナーレなのかと思いました。
伏線を丁寧に回収し、ヴァイオレット・エヴァーガーデンと云うひとりの女性の再生と旅立ちを高らかに、エモーショナルに謳い上げた脚本の素晴らしさに唸らされました。
心の襞を説明し過ぎることなく描写する手腕はテレビシリーズや番外編劇場版でも発揮されていましたが、本作はまさに集大成。心揺さぶる演出が満載で、全編感動の嵐でした。
[以降の鑑賞記録]
2022/11/25:金曜ロードショー(地上波初放送)
※修正(2023/10/06)
手紙って、そんなに大事なのかな?
ネタバレはする。不快な言動も多分ある。なので、自己責任で。
◯視聴時の状態
→テレビシリーズ視聴済み、外伝アニメ未視聴、原作未読。
◯事前のこの作品への考え
そもそもそんなに傑作とも駄作とも思ってはいませんでした。まぁ、自分の倫理観的な所でいうのであれば、悪い印象の方が多い作品ではありましたが。特に、50年の手紙を書く母親というのは、個人的には「母の愛」というよりは「作家の狂気・後世に生きた証を残したいエゴ」に近いものを感じて、子供は気の毒だなぁと思いました。でも、一概に悪いって言うつもりもないといいますか。逆に後世に残るだけの手紙を書いたって事を考えるのであれば、それはきっと価値はあると思うんです。本来このエピソードから受ける感動とは違うとは思いますが。
◯劇場版をザックリ一言
なんでしょう、パッと思いつく事としては「虚無」「長い」「パッチワーク」とかでしょうか。
◯こういう人にオススメ
・京都アニメーションのアニメーションが好きな人。
・テレビシリーズがそんなに好きではない人
>>好きな人の場合、この映画の結論とかに賛否分かれる部分があるので、そんなにオススメはできないです。
・テレビシリーズを懐かしみたい人
>>テレビシリーズを思い起こさせる、というかフラッシュバックするような所が多いので、「あの頃」を思い出したい人にはいいかもしれない...。ただ、ifストーリーぐらいに考えた方がいいかも。
◯星評価
3
映画鑑賞後、ザックリ他の人のレビューを読んだんですが、個人的には否定派の意見の方がスルスルっと入ってきましたね。高評価は、なんか全体にボヤッとしてる所が多く、自己評価を上げるほどの何かはなかったです。ただ、そんな星1!とかにする程かって感じもあって、3.5を平均だとすると、ちょっと期待を外したかなぁぐらいに考えて3です。全然、楽しめる所がないわけではないです(どう楽しんでるかは割愛)。
個人的には正当な見方で幸せになれるのがベストなので、「ここが良いんだよ!」って推しポイントは誰かに聞きたいなぁって思いますね。「お前の感性が鈍いんだよ!」って思う人は、ぜひ私の先生になって優しく良さを教えてほしいですね。
◯良い所
絵は流石と言って良いでしょう。これだけ良質なアニメーションが観れる機会があるという事自体には、喜ばしいものがあります。
あと、キャラクターは魅力的だと思います。ベネディクトの女性的でセクシーな感じとかも素敵だなぁって思いました。現代劇ならね...。
◯詳細な感想
詳細とは書いたんですが、映画のディテールに関しては、言い出すとキリがないんで、そこはあんまり追いません。ツッコミだらけになってしまうんで。
まずは、とにかく話がよく分からないってのが大きいですね。いや、話がないって言った方が近いでしょうか。勿論、この映画の根幹と言えるのは「ヴァイオレットと少佐の関係が完結する」ということでしょう。ただ、それを考えると、病気の子供のエピソードというのは、その根幹にとって何を意味しているのか、機能しているのかが全然分からない。単に個のエピソードであって、この作品全体を通した話として独立し過ぎてるのは如何なものかと思いました。さらには、根幹そのものが全然進まないというか、完結に至るまでのドラマがあまりないので、イマイチ盛り上がりきっていないという印象を受けました。個人的に思ったのは、少佐が生きてる事を割と序盤から見せるというのは「よかったのか?」という事です。個人的には、序盤からそこを割り切ってくれるの自体は、「実は生きていた」系の不快感を割り切りやすくなるんで、良いと思っているんです。ただ、主人公のヴァイオレット自身は、「会いたいなぁ」「もしかして、生きてる?」「生きてたー!」という感情の流れをかなり長い時間でやってしまうため、せっかく割り切って少佐の生存を見せてる所がイマイチ効果が出ていないと感じました。観客が2、30分で知って飲み込んだ事実を、倍以上かけてやるって凄い薄めた感がしました。この辺の尺調整の歪さが、「話のなさ」を感じさせる原因かなぁと思いますね。
次に思うのは「手紙」についてですね。この作品において、手紙というのは何なのでしょうか?1つには、ヴァイオレットが人の思いに触れて知っていくためのツールでしょう。それについては、テレビシリーズがやっていましたし、劇場版でも(それが上手く機能してるかは置いといて)やっていました。2つには、手紙というのは「すぐに会えない遠方の人、直接伝えるのが憚られる人に想いを伝える」という所だと思います。ここがこの作品では疑問なんです。映画だと、病気の子供のエピソードが分かりやすいと思います。彼が最期、危篤状態になった中で仲違いしていた「友達」と「電話(重要)」でやりとりするシーンです。友達は別に走って駆けつければ良かったんじゃないでしょうか?結構遠方だと思われるのに、ベネディクトとかはデカイ電話持って走って行くわけじゃないですか。それ、全然できましたよね?じゃあ、何故しなかったのか?手紙が要らなくなってしまうからです。挙げ句の果て、彼らが和解するために使われるのは「電話(重要)」なので、やっぱり手紙は要らなくなっているんです。
さらに言うと、このアニメは「代筆」というのが描かれるわけですが、その魅力を伝える話としては一貫してないって弱点もあります。それは、テレビ第5話の姫の文通が顕著で、あのやり取りに代筆は全然関与していないんです。つまり、このアニメは感動の作品として成功してるのかもしれないですが、「代筆」「手紙」の良さを伝えるという意味では失敗してるんじゃないか、と思っています。特に、映画を観て「手紙って良いなぁ」ってなるかというと、「直接会えるなら、会っておけ。これが最期かもしれないんだぞ」という思いが強すぎて、手紙の事は消えてしまいました。
◯最後に
ここまで、読んでくださりありがとうございました。私自身、文章を綺麗にまとめるというのが得意でなく、それで苦労してる人間なので、それでも誰かがこれを読んで何かを思ってくれたなら幸いです。だから、私はこのアニメではテレビ第5話だけは大好きなんですよね。代筆はともかく、手紙で精一杯思いを不器用に伝え合う2人に凄くロマンを感じます。オススメです。では、また。
◯余談(気になった事)
カマキリのなくなった前脚。どうしてないんだろう...。
最初は正直、ヴァイオレットの
年齢の設定が、後
2、3歳上ならなって思いました。
結構、評価をしてる方の意見で厳しいのは
少佐が
ちょっと、、、みたいな所にガッカリしてて
親子愛じゃなくてガチだった所に
引っかかったりしてる気がするんだけど、
ヴァイオレットからしたら
少佐が全てなのは、作中から
ずーっと、ブレてなくて、
だから、観てるこちらは、そんなヴァイオレットに
魅力を感じて、物語が面白く感じて
そして、たくさん泣きました😢
だから、ハッピーエンドで!素直に本当に
良かったです。
このまま少佐に会えないまま
シリーズ続けて欲しい気持ちもありましたが
やっぱりラストのヴァイオレット観たら
本当に本当に良かったね!って思いました。
ヴァイオレットの少佐への
想い、手紙を観たら
歳がどうとか別にいいやって最後は
思いましたよ。
題名が素敵ですよね。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
もはや理解不能
ヴァイオレット・エヴァーガーデン。本当に素晴らしい作品です。テレビシリーズと外伝は、という条件付きですが。
で、シリーズ集大成とも言うべき、この劇場版。事前PVの時点でギルベルト少佐の様子がおかしかったので、まさかとは思っていましたが、予想を上回る出来の悪さに呆然自失。
ロリコン、二番煎じ、ご都合主義、よく飛ぶ手紙。この映画を表すキーワードはこんなものでしょう。そして主要キャラクターたちを概観すると、この映画のお粗末さが見えて来ます。
離島に逃げ込み自己中の傷心青年を自演乙しながら幼児退行した挙げ句、ロリコン性癖を大爆発させるギルベルト少佐。
ゴミ扱いして一度はポイ捨てした道具がスゴく魅力的な美少女になったので、にわかに発情して弟同様にロリコン化し、ストーカー行為に走るディートフリート大佐。
いつの間にか保護者面して立ち回り、やたらとヴァイオレットに粘着して嫌われるうざい束縛系オヤジと化したホッジンズ社長。
上映時間を延ばす為だけに仕立て上げられ、テレビシリーズの二番煎じ感動茶番劇をやらされて死んだオマケキャラのユリス。
映画の導入と締めの為だけに登場させられた、狂言回し役のデイジー。
とにかく演出、脚本がひどい。例えば大佐に関する描写を見ると、ヴァイオレットが失くしたヘアリボンを届けに来るとか、言葉巧みに彼女を船へ誘い込むとか、完全にふたりの間に性的関係があることを匂わしていました。
作中のヴァイオレットは高校二年生くらいのようですが、大佐は三十代半ばくらいでしょうから、下手をすれば親子ほどの年の差。これじゃ変質者の記録映画です。
また、少佐がどうやって生き延びたのかも十分な説明無し。ただ単に、ラストで感動的な夜の海での再会シーンをやらせたかっただけなのでは?片眼と片腕を失うほどの重傷を負ったのに、実兄のディートフリートにも同期のホッジンズにも気付かれず怪我を治して辺境の島へ辿り着くとか、あり得ないです。
ファンタジーでありつつもリアリティー重視のアニメだと思っていましたが、どうやら勘違いだったようです。
更に、まさかもうやらないよね?と思っていた病気感動ネタをまたまた長々と差し込んできて、メインストーリーの邪魔をするとか、製作チームは一体何を考えているのでしょうか。
極めつけは、ロリコン泣き虫構ってちゃんに変わり果てたギルベルト少佐のキャラ設定。原作はどこに行った?と言いたくなるメチャクチャな作りです。140分もの長編なのに、主役の彼は見せ場ゼロどころか延々とダメ男を演じるばかりとか、大丈夫かこの映画?
ラストの島内疾走シーンなんて、見苦しいを通り越し滑稽すぎてギャグアニメかと思いました。落ち着きがあって、凛々しくも優しい模範的な軍人だった彼はいずこに?ヴァイオレットって、こんな落ちぶれたクズ男を想い続けてたの?
そしてそんな本作品に対する巷の評価はどれも、最高!素晴らしい!感動した!泣ける!涙が止まらない!などなど、ざっくり見ても全体の99%は絶賛レビューばっかりです。
この状況、動くヴァイオレットちゃんが見られたから脊髄反射的に称賛!ということになってはいないでしょうか。原作とはまるっきり似ても似つかないお話なんですよ、この映画。実際に見終わったあと、マジこれで終わりなの?って感じでした。
こんなストーリーでは、匠の技を見せたアニメーターや声優さんたちが可哀想です。原作破壊も甚だしい。この劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、とてもじゃないが公式作品とは認め難い出来、内容です。
もし劇場版鬼滅の刃で炭治郎がヘタレ少年に描かれていたら、ファンは怒るでしょう。今回のギルベルト少佐改変は、それに等しい暴挙ですよ。なのになんでそれが大絶賛の嵐となるのか、自称熱心なファンのひとりとして理解不能です。
本日、地上波放送(金曜ロードショー)で、テレビシリーズ再編集版と外伝が二週連続放送されるそうです。また新たな感動が生まれ、新しいファンが増えることでしょう。でもまさか、あの感動ストーリーの裏で少佐がエカルテ島にコソコソ隠遁し、悲劇のヒーロー気取りで精神的自慰に耽っていたとはがっかりです。
そして最後には、夜間水泳でズブ濡れぐちゃぐちゃになったヴァイオレットちゃんを、見るに堪えない泣き虫変態少佐が愛欲丸出しで待ち構えているなんて、すべてがつや消しです。テレビ版ギルベルト少佐のセリフを借りるなら「もうやめてくれ!」ですね。
以上、このレビューを不快に感じた方には心からお詫びします。でも、ファンのひとりとして書かずにはいられませんでした。これを読んでいらっしゃる方々はヴァイオレット・エヴァーガーデンのファンかと思います。いま一度、この映画への評価を再考すべきかと。
点数評価は内容的には0点ですが、制作に尽力された皆様への敬意を込めて0.5点としました。
蛇足感半端ない
あ~、凄い期待してたんですよ。でもなぁ・・・・。
そもそも、テレビ版制作時は映画化を考えて無かったとの事で、どうしても後付け設定が多くなってしまう。あの状況でロリコン少佐が生きていて、しかも離島に居たとか・・・・・無理矢理過ぎる。
テレビ版10話でのアンの孫が曾祖母が祖母が50年に渡って届くようにした手紙から、ヴァイオレットに興味を持って、離島まで行くって・・・・。確かに、ドールの仕事自体、識字率が上がり電話が普及したらどうなるんだろう?とテレビ版から気になっていたけど、アンの孫がヴァイオレットに興味を持つには無理過ぎる展開だった。ヴァイオレットの時代リアルタイムで進めた方が間延びしなかったんじゃないか?
また、無くても成立した病気の子供の件。泣かせる為だけに子供を殺さないでよ。これだって、無くても成立する話。ヴァイオレットに背を向けていた少佐がむき直す為に必要なエピソードでも無いし。
要らない話しで膨らませて140分は・・・・・
少佐が生きているかもしれないと情報が有ったけど、やはり死んでいて、それでもヴァイオレットが前を向いて歩くって方が良かったんじゃないかなぁ。
島での暮らし・・・・義手錆びない?
ヴァイオレットちゃんをひたすらageるだけの映画
少佐がキモいことと設定の矛盾については既にたくさんの方々が書かれているので割愛します。
個人的な感想としては、とにかく主人公ヴァイオレットを称賛するためだけに作られた映画だな、と。
登場人物すべてがいかにヴァイオレットが美しくて優秀で素晴らしい人物なのかを描写するための駒でしかないように感じました。郵便社の社長も同僚も病気の少年も市長も島の住民たちも、ヴァイオレットに会う人みーんな彼女を気に入り、讃えることしかしません。彼女に否定的な態度を取る人は一人もいません。(少佐のあれは、あんなもん拒絶じゃなくて甘えなので除く)
そもそもキャラデザからしてヴァイオレットを引き立てるためだけに設定されてますよね。金髪碧眼でヒラヒラの素敵な衣装を纏ったヴァイオレットと比べて、他の女性キャラはみんな地味な外見。エリカなんてひどすぎます、何ですかあの髪型とメガネと服装…。不人気キャラにしたくてわざとああしたようにしか見えません。
とにかく誰もヴァイオレットより美しいキャラ、魅力的なキャラにならないように意図的に描写されているように見えます。
そしてみんな口を開けばヴァイオレットヴァイオレット…。みんな他に考えることないの?趣味とかないの?
社長に至っては休日に彼女が出かけたというだけでどこに行ったんだろうって心配する始末。そんなん勝手にさせたれよ…プライベートだろ。
アンの孫のデイジーちゃんも、亡くなったおばあちゃんが大おばあちゃんからもらった手紙を大切にしてたエピソードを聞いて、それで一足飛びに「その手紙を代筆した人物そのもの」に興味を抱くっておかしくないか?ふつう大おばあちゃんたちがどんな気持ちを手紙に託し、受け取っていたのかが気になるんじゃないか?代理で書いた赤の他人なんてどーでもよくないか?
百歩譲って今はもう失われたドールという職業に興味が湧くならまだしも、逐一その足取りを追うほど手紙代筆業の一個人の生涯が気になるか?
その時点でもうストーリーが頭に入ってこなかった。
そんなかんじですべてがヴァイオレットのすごさを語るための舞台装置でしかないので、他のキャラに人間味を一切感じられない。共感もできない。よって感動もない。
で、紆余曲折あったものの、ヴァイオレットちゃんはいろんな人からの協力を受けて結局ぜーんぶうまくいって、最後は大切な人と結ばれ、移住先の島の住民にも歓迎され、彼女の偉大な功績はのちに記念切手の肖像化されるほどになりました♪おしまい♪
アニメ版のお姫様回とかはかなり好きだったんですけどね。残念。
涙、涙、涙
泣きすぎて目が痛いです、、
1.病気の男の子と幼馴染の電話シーン
2.病気の男の子の母親と父親、そして弟への手紙のシーン
3.最後のヴァイオレットと少佐のシーン
この3つの話が次々に進んでいくので
泣き止む暇がありませんでした。
アニメの時よりも時代が少し進んでおり、
電話が開発されていました。
序盤の電話の登場シーンでは、今後の手紙需要に
不安視するような場面がありましたが、手紙vs電話
ではなく、手紙のシーン(2.)、電話のシーン(1.)と
両方の素晴らしい点を感動シーンと融合していました。
最後のシーン(3.)では、ヴァイオレットが泣き過ぎて
喋れなくなる間が絶妙でした。
本当に少佐が生きてて嬉しかったのだと伝わりましたし、自分も嬉しかったです。
素晴らしい作品を京アニさんありがとう。
原作無視の二次創作映画
はじめにお断りしておきますが、このレビューはかなり批判的な内容となっています。予めご了承下さい。なお、私自身はヴァイオレット・エヴァーガーデンの大ファンです。
今回の劇場版は『少佐の生存』と『ふたりの再会』というふたつのトピックを、いかに説得力あるストーリーに落とし込めるか、それが作品の評価を決める最重要ポイントであったと言えるでしょう。ところが実際には・・・
先に結論から言うと、脚本が酷すぎて話にならないと思いました。コロナ禍の中、感染リスクを冒してまで二時間超えの映画に足を運んだのは、主役ふたりの感情の機微を描いた感動の再開劇を見たかったからなのに、蓋を開けてみればデイジーだのユリスだのと余計な要素が多すぎて、まるで纏まりのない下手な作文を読まされている感覚で、苦痛でした。こんな内容なら一時間程度の中編で十分纏まったでしょう。以下、細かく。
序盤でまず、ギルベルト少佐の手紙をホッジンスが見つけて物語が動き始めますが、この時点で既に設定に無理があったように思いました。果たしてあのふたりは、相手の筆跡を覚えているほどの親密な仲だったのでしょうか?最前線勤務のギルベルトと後方勤務のホッジンスとの間にそこまでの接点は無く、ましてや男同士、筆跡を記憶してしまうほどに手紙のやり取りをしていたとも思えません。それに、何年間も見ていない友人の文字を一瞬で見分けることなんて、出来るのでしょうか?
所詮はアニメですから、時にはご都合主義も必要かとは思いますが、大切な取っ掛かりの理由付けがあまりにも安易、適当過ぎるように感じて、初っ端から醒めてしまいました。
次に、本作最大の鍵となるギルベルト少佐の生存に関してですが、作中では補足説明等がほとんど無く、リアリティー不足の感は否めませんでした。コマーシャルが明けたらいつの間にか時は流れ、最終決戦で負傷した少佐はエカルテ島に・・・みたいな感じの雑すぎる展開です。
時間枠の制約がある劇場版ゆえ、余計な描写は省いたのかも知れませんが、どうやって生き延びて島に辿り着いたのかは、現在の少佐の人物像を語る上で絶対に省略してはならないパートだったはずです。テレビ版の焼き直しみたいな病気の少年のエピソードを長々と入れてる暇があったなら、もっと主役ふたりの心理描写にこそ時間を割いて欲しかったです。あれもこれもと盛りだくさんにしようとして、結局全部中途半端で掘り下げが足りない結果に終わってしまったように思われました。
また、そもそもの大前提として、最終決戦で重傷を負った少佐が生き延びるには、第三者の介入による救命活動が不可欠だったと思われますが、テレビ版の描写を見るに一体誰が彼を助けたのでしょうか。すぐ近くでヴァイオレットは友軍の捜索隊に発見されたのに、どうして彼だけ見落とされたのでしょう?作中では『気づいたら病院にいた。認識票が無かったので修道会の病院に送られた』とのみ説明されていましたが、軍装と階級章でライデン軍将校であることは分かりますし、インテンス要塞の敵司令部付近に倒れていたのでしょうから、先陣を切った特別攻撃隊員であることも明白です。更に少佐自身、記憶を失ったわけでもないのに自ら名乗りさえしなかったのでしょうか。
また、もし味方のライデンシャフトリヒ軍に救助されていたのならば、ホッジンスやディートフリートがその事実を知らないというのは解せませんし、敵方のガルダリク軍は全面敗走中で、たかが少佐ひとりを捕虜にして連れ去る余裕などなかったはずです。ましてや、瀕死のギルベルト少佐が味方の捜索隊がやって来る前に自力で戦場を離れた可能性など、皆無に等しいでしょう。それにもし自分で動けたのならば、傷ついたヴァイオレットを放置しておくはずがないですし・・・
このあたり、基本設定がガバガバ過ぎると言わざるを得ません。
エカルテ島に流れ着くまで、彼は誰と出会い何を考え、何処で治療を受け、どのように生計を立てていたのか。その説明すら無いまま、いきなり偽名を使う怪しいジルベール先生として登場したところで、感情移入などできるはずもなく・・・
更にギルベルト少佐に関しては、鑑賞中にこう感じた方も少なくないかと思います。一途で気高く純粋なヴァイオレットの相手役にしては、やけに見劣りする男だな、と。
そうです。まさにこの点こそが、本作品最大の失敗と言えるでしょう。原作をご存知の方ならば先刻お分かりかとは思いますが、劇場版のギルベルト少佐は原作設定とはまるっきり正反対の、卑屈で矮小な人物に作り変えられているのです。近年、主役級のキャラをこれほどまでに改悪したアニメは、知る限りでは他に見た記憶がありません。
本作品における彼は、遥々島を訪れたヴァイオレットに対して、会えない、帰ってくれ、自分はもう死んだ等々、ごちゃごちゃと徒に上映時間を引き延ばして彼女を大泣きさせた挙げ句、最後の最後になって彼女の手紙を読んで逃した魚の大きさに気付いたのか、急にみっともなく喚き散らして島内を激走し、ヴァイオレットに抱きついて「ずっとこうしたいと思っていた」とか口走って自らの性癖を暴露する、変態お兄さんとして描かれています。
これは、美しい夜の海をバックにふたりが抱き合う感動的な場面におけるセリフなのですが、せっかくの名シーンも、彼の不用意なひとことで台無しです。あの美しい島で、少佐はずっとヴァイオレットのことを思い出しては猥褻な妄想に浸っていたとでも言うんでしょうか。
『私は君が思っているような人間じゃない』『私なんか君には相応しくない』と自らを卑下しておいてから『それでも愛してるから傍にいてほしい』だなんて、典型的なジゴロや結婚詐欺師の話法では?いくらファンタジーなアニメとは言え、笑えない冗談です。
そして散々焦らされ会いたい気持ちが極限まで募り、正常な判断力を奪われていたヴァイオレットは、こんな見え透いた甘言にイチコロです。少佐の死を乗り越え、愛してるの意味を探しながら懸命に生きてゆこうとする彼女を、巧みな演出で描いていたテレビシリーズの感動は何処へやら・・・
私はツッコミどころ満載の展開に、心の中で「この映画は本当にあのテレビシリーズや外伝と同じスタッフが作ったものなのか」と訝しんでおりました。更に言いますと「シリーズ集大成の完結編で、とんでもない代物をリリースしてくれたな!」とも思っていました。
今回の劇場版の描写に従うならば、最終決戦の場面で彼が口にしたあの「心から愛してる」は、つまるところ「君を性的欲望の対象として見てる」という意味合いだったのでしょう。作中設定に照らせば、小学校高学年の少女に対して20代後半の青年が欲情しているお話となります。最悪です。
ヴァイオレットがあれほとまでに知りたいと願っていた『アイシテル』の正体は、ロリコン将校の魂の叫びだった、ということなのでしょうか。
原作でも最終的には恋仲になるふたりではありますが、映像化に当たってもう少しなんとかならなかったのかと残念に思います。彼がヴァイオレットに抱いていた感情は、歳の離れた妹へ向けるような親愛の情であったと思っていましたが、本作品では一気に低俗なラブストーリー化してしまったようです。
また、これもお話の重要なキーポイントである、なぜ少佐は敢えてヴァイオレットを迎えに行かなかったのか?についてですが、これにも雑な酷い理由付けがなされていました。
少佐自身は『私があの子を不幸にしてしまったから、兵士として扱ってしまったから、もはや合わせる顔がない』等々、一見それらしい理由を述べてはいましたが、全部彼自身の都合ばかりです。ヴァイオレットの気持ちを汲んだ思考が全く見受けられないのは、致命的な演出ミスだと思いました。
彼の立場なら、何をおいてもまずはヴァイオレットの元に赴き、心身両面からケアしてあげるのが最善策だったのは明らかです。それが出来るのは、世界中で彼ただひとりなのですから。完全に責任放棄して現実から目を逸らした、卑怯者の誹りを受けても仕方ない所業です。
さて、尺の都合上、最後にバタバタとくっ付いて指切りげんまんして、ハッピーエンドを迎えたかに見えるふたりですが、これからの新生活を思うと暗澹たる気分にさせられます。一度染み付いたネガティブ思考は、そう簡単には抜けないものですから、少佐の本質は卑屈なまま変わってはいないでしょう。
一方でヴァイオレットは今後、内面、容姿ともに益々輝きを増してゆくと思われます。結果、身近でそれを目の当たりにして劣等感に苛まれたギルベルト少佐が、パートナーのヴァイオレットに暴力をふるう未来が容易に想像できてしまいました。今作の彼が辿るに相応しい末路と言えるのでしょうが、同時に別人のようなキャラクターに作り変えられてしまった少佐が哀れでなりません。作中でホッジンスがギルベルトを「大馬鹿野郎!」と怒鳴りつける場面がありましたが、観客の多くも「こんな腰抜けのクズ男にヴァイオレットちゃんを任せられるわけないだろ!」と思ったことでしょう。
またディートフリート大佐も、かつて自分が捨てた道具が思いの外魅力的な美少女に育ったのでやっぱり欲しくなった、という身勝手な男です。作中でホッジンスも指摘していましたが、もし少佐が発見されていなかったら、確実に少佐をダシにヴァイオレットの心の隙間に入り込み、彼女を愛妾か幼妻に仕立て上げていたことでしょう。この兄弟には、二度とヴァイオレットに関わってほしくないです。
少佐のキャラを改悪したせいで、結局ヴァイオレットもとんだとばっちりを受けてしまった形です。彼女が一途に想い続けていた相手は、こんなダメ野郎でしたよ、というまとめです。二時間以上の長編映画のラストが、純真無垢なヒロインがクズ男に騙されて大団円とか、これほどまでに主人公を虐め抜いて、本当に何を描きたかったのでしょうか、この映画は。
以上、気付いたままに批判ばかりを書き連ねてしまいましたが、ではヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品は、元からこんなにもどうしようもない駄作だったのでしょうか?いいえ、断じてそんなことはありません。仮にも京都アニメーション大賞受賞作ですし、テレビ版から外伝へかけての感動は多くの方が覚えていらっしゃることでしょう。
ならばなぜ、こんな代物が出来上がってしまったのか。
その最たる理由は、今回の劇場版が全編ほぼ全て、原作無視のオリジナルストーリーだったからに他なりません。本来、原作小説にはデイジーもユリスもエカルテ島も出て来ません。全部、劇場版限定の妄想二次設定です。お叱りは覚悟の上で書きますが、原作要素ほぼゼロのこんな二次創作ムービーが、どうしてこんなにも大絶賛されているのか、いまだに全く理解出来ません。特にギルベルトファンの皆様は、本当にあんな内容で満足されたのでしょうか?あくまでも個人的意見ですが、精緻な作画や素晴らしい声優、美しい音楽など超プロ級の技を総動員しておきながら、肝心のストーリーがこの体たらくかよ・・・と、ファンのひとりとして非常に悲しい気持ちになりました。
もちろん、受け止め方は人それぞれですし、絶賛するご意見が多いのも承知しています。寧ろ私のような穿った見方が少数派であり、これが正しいなどとは到底言えませんが、少なくともこの映画をご覧になった方々ならば、私が上で挙げた各点が、強ちピント外れの指摘ばかりでもないことはご理解頂けたかと。もし原作未読の方がいらっしゃいましたら、どうぞ手に取ってみてください。本来のヴァイオレットと少佐に逢えることでしょう。もしかすると、劇場版に対する感想も変わってくるかも知れません。
以上、長々と書いてしまいましたが、要するに、原作から乖離した『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、主役のふたりを無理矢理再会させて終わらせるための辻褄合わせムービーに過ぎなかったのでは、というのが私の感想です。もし叶うなら、もう一度ゼロから作り直してほしいくらいです。
こんな内容なら、見るんじゃなかった。m(_ _)m
泣けるよね
アニメ、原作、外伝、この映画も見ましたが、もう一度アニメを見直したときこの映画の違和感を感じました。確かに感動的で泣けますが、ギルベルトとヴァイオレットの恋愛感情やギルベルトの行動など自分自身の解釈したヴァイオレットエヴァーガーデンのコンセプトに合わないところが多少あります。まず、このアニメの当初のコンセプトは「愛してる」を知ることだと思います。そこから、話が進むにつれて愛する人を失った人たちに出会い、感情を学び、「愛する人を失ってもその別れの寂しさのなかにも美しさを見出す」というようなコンセプトの雰囲気が漂ってきました。ギルベルトの死を聞いた時からこの路線に移行したのだなと思いましたが、このような結果になって残念だとほとぼりが冷めた後に思いました。この作品の前の外伝は10話のようにたくさん涙が溢れるような話ではないですが心の奥にずっと残るような大変良いものでした。外伝はまさしくそのコンセプトに合った理想形といっても過言ではありません。アニメより原作の方が完成度は高いですが、ストーリーの一貫性を見た時に原作の方を採用した方が良かったと思います。大変好きな作品のために残念でした。この映画を見ずに自分の理想のまま終わらせることをおすすめします。
少佐は、、
生きていたのですね✨
去り行く船の汽笛、遥かな大地、
沈む夕陽、自然の風景が美しく描かれていました✨
タイプライターの手紙に託された気持ち
家族の絆、ヴァイオレットの内に秘めた想いが伝わってきました。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン、寂しい時には彼女のを・・・
今まで生きてきた中で初めて声を出して泣いた映画でした。
アニメーションとストーリーどちらも100点と言いたいですが、主人公たちの活躍が過去のものになっている点が受け入れられなかったです
ありがとう京アニ
1回しか見に行けませんでしたが今でも鮮明に覚えています。
開始早々から号泣しました。
序盤に出てきた女の子がアンの孫と分かって涙が止まりませんでした。
そして自分が1番悲しかったのはホッジンズ中佐のシーンとディートフリート大佐のシーンです。
両方大切な人を手放し辛かっただろうに信頼できる相手だったからこそ託せたんだと思うと本当に感動します
制作に関わった京都アニメーションの方々、中には亡くなられた方々もいると思います。
こんな時期ですが公開して下さり本当にありがとうございます。
そしてヴァイオレット・エヴァーガーデンに出会わせてくれてありがとうございます。
ツルネ公開したら絶対に見に行きます
いつまでも待ってます!!
スクリーン前方で世界観に没頭出来る
絵が美しいというのはこんなにも没入出来るものかと知った。
人生でこんなに劇場リピートしたの初めて。
号泣し過ぎ、嗚咽抑えて酸欠気味にまでなった映画(笑)
テレビシリーズ観れなくても予習動画を薦めて、知り合いに薦めまくりました。
それで楽しめるつくりなのも素晴らしい。
たくさん言いたい感想はあるけど、書ききれない。
美しく言葉少ない描写に、観る度にいろんな角度から見れて、発見がある。
最初は少佐の言動が理解出来なくて、せっかくの夜の海のシーンも少佐に共感出来なくて、えっヴァイオレットちゃん、こんな男やめときなよ! ってなったけど(笑)、改めて少佐としての立ち位置で頑張って見てみたりしてたらなんだか理解出来たりして。
考察されてる方のを見ると、背景や演出にもちゃんと意図や意味があると知ってますます深く大好きになる。
…これはヴァイオレットエヴァーガーデンというひとりの女の子のお話。
それを見守り見届けた私達。
この先も彼女達は生きていくけど、
感じたことはそれぞれの胸に、私達が見ることが出来るのはここまで。
この劇場版への、そんな制作さんの想いもしっかり伝わって、
よかったね、しあわせになってね…!と、送り出す淋しさと祝福の出来る、とてもとても素晴らしい映画だった。京アニさん最高です。
原作との違いなどを指摘する方々のレビューを見て、これはこれ、それはそれで読みたいなと思った。
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