「もう一つの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン DKbloodさんの映画レビュー(感想・評価)
もう一つの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
結論から言えば、鑑賞後は心持ち複雑でした。二回鑑賞し二回とも首を傾げました。
心の底から面白かったと思えなかった自分に対して猜疑的にすらなりました。
私個人としてこの作品を非常に愛していて、ポスターを自宅に飾ったりグッズを購入したりスマホのホーム画面をその壁紙にしたり原作を全て読んだりなど、間違いなく確固たる意思で好きだと断言できます。
しかし、それが却って仇となりました。
愛して止まない「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品を綺麗なまま、最高の傑作として心に留めておきたいと願う期待のエゴが却って作品から受ける印象と乖離してしまった。つまり、思っていたのと違う、というやつです。TV放送版から昨年9月に上映したのエイミーの外伝が面白かったこともあり、劇場版も期待していたのですが、ややお涙頂戴の物語、全体的なストーリーの厚みもなく、ヴァイオレットとギルベルトの念願の再会に涙できない人のために繋ぎを入れた印象です。本当に好きな作品だからこそそう思いたくない反面、美化しすぎてはいけないのだと思います。私の中では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は原作こそかくあるべきと思うようにしています。ですから、アニメ版はもう一つの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であって、これは既に違う物語なのだと思わなければ劇場版の物語の薄さを容認できません。
このレビューはネタバレを含みます。
似た感想を持っている方がいらっしゃったら、自分だけではないと安心してください。
まず、劇場版のおさらいですが、主に二つの軸を中心に物語は進行します。
一つは言わずもがな、ヴァイオレット本人が生きる時代の物語。
もう一方は、TV放送版の神回と名高い10話で登場した少女アンの孫であるデイジーという女の子が、ヴァイオレットの生きた時代より先の未来で彼女の軌跡を追う構成です。
ヴァイオレットの生きる時代では、エッフェル塔を模した電波塔が完成しようとしており、ガス灯も電気に取って代わられ、電話が完成し、技術が発達する中で代筆業を指すドールが廃れようとしている、まさに現代のデジタル社会への一途を辿ろうとしている中途にあります。その未来であるデイジーの生きる時代では既にドールという職業は歴史となりました。
デイジーは、曾祖母から祖母のアンに向けて毎年誕生日に送られてきていた手紙を読んで、ヴァイオレットの軌跡を辿ります。一方、ヴァイオレットは病弱の少年エリスの手紙を綴っていた矢先、宛先不明の手紙を整理中にホッジンズが見つけたギルベルトの筆跡を手がかりに彼の元を訪れますが、彼女を不幸にしてしまったと酷く自責の念を募らせていたギルベルトはヴァイオレットの来訪を手ひどく断ります。
しかし、兄であるディートフリートの介入により心を開いたギルベルトはヴァイオレットとの再会を果たすのです。「今はお前を麻袋の中に詰めてヴァイオレットの前に放り込みたい気分だ!」という科白はなかなかに爽快でした。
さて、今回の劇場版において蟠りの残った部分です。
第一に、多くの人が泣いた瞬間は間違いなく少年・エリスの危篤のシーンでしょうが、それは今作の主軸ではなくあくまで副題に過ぎません。エリスの物語を物語から切り離しても問題はなかったでしょう。ここが物語の厚みを増すための重曹のような部分です。「約束をした」という文言を引き出すために必要であったシーンではありますが、この物語は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なのですから、ヴァイオレットとギルベルトに関してもう少し描いて欲しかった。独りよがりな願望であるとは分かっていますが、鑑賞した人の中に賛同する人が一人もいないとは思いません。
第二に、ギルベルトがヴァイオレットとの再会を拒む理由です。ギルベルトがヴァイオレットを道具として扱わぬようにするつもりが、戦場に同伴させ武器を持たせてしまっている。そして彼女自身の口からも自分を武器だと言わせてしまった。その自責の念を彼は抱き続け、彼女を苦しめた自分といるべきではないという理論は手垢に塗れた、「よくある話」です。勿論よくある話が悪いわけではありません。しかし、よくある話とは往々にして人々の知る物語として常態化してしまっており、どうしても感傷的になれないのです。
少し原作小説について触れたいと思います。未読でネタバレを望まない方は避けてください。
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原作では、ギルベルトは陸軍にて大佐になっていました。同じライデンシャフトリヒに住みながら、ヴァイオレットから身を隠して軍に身をやつしていたのです。彼は、自分の命令を欲しがるヴァイオレットから距離を置き、彼女が自分を武器や道具の類いと認識することから脱却させるための言わば更生期間を設けていました。TVアニメ版では最終話の大陸横断鉄道の話がありますが、本来はそのシーンで既にヴァイオレットはギルベルトとの再会を果たしています。
原作既読の方は、TVアニメ版の冒頭から「おや?」と思ったのではないでしょうか。原作には登場しないアイリスやエリカというキャラクターが存在している時点で、原作とは異なる世界線だと察知したはずです。
原作中のギルベルトは非常に精悍な男で、一緒に居るべきではないなどとのたまうひ弱なタイプではありませんでした。ヴァイオレットの危機と分かれば、正体を明かしてでも暴走する大陸横断鉄道の停止に全力を尽くし彼女を救います。この原作で受けた印象と劇場版のギルベルトの人間性の違いが視聴者に驚きを齎し、私の場合は良い方向へ転がらなかっただけのことです。
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原作の話は以上です。
申し訳ないですがリピートは二回までが限界でしょう。面白くないわけではありません。ただ何度も見たいと思える内容ではなかった。この劇場版にてヴァイオレットの物語は完結でしょうが、もしできるのなら、少し原作に寄せた物語を再度描いてもらえたら私はどれだけ歓喜に満ちることでしょう。原作も完結していますから期待はしていませんが、できればもう一度、彼女の物語を見たいという思いを込めて。