斬、のレビュー・感想・評価
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前半と後半の画の対比が凄過ぎ、大量の血しぶきに直視困難だった
本作では監督自ら製作の総てをこなして完成させた「野火」同様に、塚本晋也氏自身がまたも製作、監督、撮影、脚本、出演 編集と1度に何役も担当していることからも判る様に塚本節渾身の作品である。
森と農村の田植えのシーンが美しい、非常に自然の美が光を放っているのが、後半の眼を覆いたくなる残忍な事件との対比として強烈だ。
幕末の山村で農民の田植えを手伝いつつ、江戸へ出向く機会を見計らっている若浪人都築が主人公である本作では、この都築を池松壮亮が頑張って体当たりしていたのは素晴らしかった。
されど、今は浪人とは言っても、幕末の武士は、武道を修練する時には、武士としての心得を幼少の時より、武術よりも厳しく躾けられている筈だ。
本作のテーマである、塚本氏の武器に因る、殺戮の無意味さや、憎しみの連鎖しか生まない、争いを無くしたいと考えている事は充分理解出来るのだが、しかし恐らく人を切れないこんな浪人は存在していなかったと私には思えて、どうしても物語の中に入っていかれなかった。
実際この様に、当時も都築の様な武士が存在していたとしても、もしも都築自身が人を切れない事を自覚していたなら、そもそも江戸入りも考える事は無かったのではあるまいか?
所詮は映画でフィクションなのだから、本作は塚本ワールドなのだから何でもOKなのだろうが、この設定では無理がある様に感じてしまい、折角の監督の描きたかった、テーマが却って、伝わり難くなってしまった様に思えて残念だった。
都築は大義の為に人は斬れなくても、都築が好いていた、ゆうの弟である市助が殺され、弟の敵を討ってくれとゆうに哀願されても、それすらも出来ないばかりか、ゆう自身も都築の目の前でレイプされてしまう事に至っては、都築は只の負け犬ではあるまいか?
人は何故争い、殺し合い、何を護ろうとするのか? 何のために生きるのか?と言う事でも有るのだろう。色々考えさせられる作品だった。
時代劇を借りて塚本監督が描く現代の日本:長文
自分が最も好きな監督としている塚本晋也最新作ということで、期待に胸躍らせ封切り初日に渋谷ユーロスペースにて鑑賞。
のっけから轟音と共に展開する、刀が打ち叩かれる過程からのタイトル、塚本らしい手ブレ全開の殺陣へとテンポ良く場面が連なる。
…が、終始緊張感がありながらも描写・台詞にはかなり淡白(ともすれば説明くさい・生きた人間の言葉っぽくない)な印象を上映中常に持ってしまっていた。
中村達也演じる瀬左衛門との対決は凄惨な映像含め手に汗握ったが、十八番の手ブレ撮影ではなく腰を据えたカメラで見たかった…
と、考えているうちに最終対決が終わり、映画は終わってしまった。
観客に解釈を委ねるラストとというものは勿論好きだが、これは投げっぱなし過ぎないか?せめて杢之進に何かしらの結末を与えて考えさせてくれた方が…
などと思考を巡らせながら帰路に着いた。
散々考えた挙句、方々で監督が言っていた"これは現代の話"、"反戦"といったキーワードを手繰り寄せ、下記のような解釈に自分は落ち着いた。少し大袈裟で、故に陳腐な解釈になりそうだが、あくまで個人の感想である。
杢之進は"日本"である。
常に木刀で実戦を積まない練習をする、現代の自衛隊だ("実戦を積まない"はマスターベーションも同義)。
そんなとき、剣豪・澤村から戦の誘いを受ける。
そう、強国・アメリカから一緒に戦争をしようと誘われるのだ。
ゆうは"日本国民"。常に過剰なまでに戦争反対を掲げている。
しかしどうだ、自分の家族が殺された途端、あそこまで反戦一辺倒だった者が"仇を取るため人を殺せ"と言い出す。
杢之進は関係ない、澤村が引き起こした戦争なのに、だ。
これが現代の"日本"なのだ。
杢之進・澤村が無頼者討伐に乗り出したとき、澤村は刀を抜き、言う。"お前の実力を見せてみろ"。
集団的自衛権の発動である。
自身が傷つき、ゆうを目の前で犯されても杢之進は叫ぶだけで刀を使う素振りはない。
戦いに参加できない。
見兼ねた澤村が変わりに敵を討つ。
"一度人を斬れば変わる"
その言葉通り杢之進は初めて人を斬る。
日本が今一度戦争に参加すれば一体どうなるのか。
どこに出口があるとも知れない暗い森の中、唯一光を放つ刀さえ消えた瞬間に物語は終わる。
エンドロール後、誰のものかもわからない足音が観客の耳に木霊する。
そう、戦争の足音はすぐそこまで聞こえている。
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