世界で一番ゴッホを描いた男のレビュー・感想・評価
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健気さに胸打たれる
20年もの長きにわたり、中国・深圳でゴッホのレプリカを描き続けてきた主人公。貧しさゆえに中学一年までで学業を断念し、油絵は独学で身に付け、ゴッホを神のごとく崇拝する。
「いつか本物を観たい」との夢を叶え、アムステルダムへ。そこで彼は、自分が描いた絵が画廊ではなく土産物屋で、卸値の8倍で売られているのを目の当たりにし、ショックを受ける。
さらに、本物のゴッホを観て「比べるべくもない」と打ちのめされる。
「夜のカフェテラス」で描かれたアルルのカフェや、ゴッホが入院していた精神病院を訪れ、オーヴェル・シュル・オワーズのゴッホの墓に花を捧げ、「ようやく会えた」と感激し、語りかける。
「おれたちは結局、職人だったんだ」としょげながらも、仲間に励まされ、「自分の絵を描こう、想いを伝えるんだ。50年後、100年後に突然認められるかもしれない」と気勢を上げる。
ゴッホに憧れるひたむきさと健気さに胸を打たれた。
だれか、中国のヴァイオリン職人を取り上げたドキュメンタリーも、作ってくれないものだろうか。
あなたの仕事は模倣ですか?オリジナルですか?
20年ゴッホの複製画を描き続けた、中国人画工チャオ・シャオヨン。20年ゴッホを描き続けたのに、実物は見たことはない。「実物を見ればきっと“気づき”が得られる」と、オランダ行(ゴッホ美術館がある)を願っていた。妻の説得、ビザ発行諸々を経て、憧れの地・アムステルダムへ。
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自分の絵が画廊などではなく、“お土産屋さん”で売られていたこと、それでいて売値の10倍弱の価格で売られていたこと(それだけ、チャオの絵が安く買いたたかれているということである)――何より、「オリジナルでは何を描いているのか?」という問いをぶつけられたこと。
技術者(=画工)と芸術家って両立するのか、と苦悩するチャオの姿は仕事する人ならだれでもぶつかったことがあるはず。生きてる間に認められないかもしれないけれど突然、50年後100年後認めらえるかも、とオリジナルを描いてみる第一歩を踏み出したチャオの姿に爽やかな感動を覚えます。
また、個人的には油絵の1つ1つ色を塗り重ねるさまに例えて「結婚した当初は不安だった」と。
「でも、色を重ねるようにここまでやってきた」という趣旨のセリフに胸が熱く(途中“夫唱婦随”と同僚たちに言われるくだりがあるので、いっそう)。
資本主義経済における芸術とは何か?
中国で長年ゴッホの複製画を描いてきた男を追ったドキュメンタリー。
前半は、複製画工房が集まる“油画村”大芬にカメラが入る。
アパートの一室でゴッホからモナリザまで、名画の複製画が作られている光景はもうビックリ。
注文は月に何百枚と入り、画家たちはひたすら描き、仕事場で食事をして、その場で寝る。
後半は、彼の地で工房を営み、20年以上ゴッホを描いてきたチャオがオランダに行き、初めてゴッホの絵を見る様子を追う展開で、これまた興味深い。
チャオはアムステルダムで自分が描いた絵を見付ける。そこがギャラリーではなく土産物屋であることに、そしてその販売価格の高さを知り、彼は傷付く。
そして彼はゴッホ美術館に行き、自分が描いてきた絵の“本物”と出会う。
旅先のホテルで、中国からいっしょに来た仲間と「自分たちは画家じゃない、職人だ」「いや、そんなの言い方が違うだけだ」と議論する。チャオはいい歳だと思うのだが、本物に出会って、こういう若い議論をしてしまう、というのが面白い。
そしてチャオは、帰国して、複製画ではない絵を描き始める。
複製画は20年以上描いてきたのに、これまた本物のゴッホに出会ったら、彼の中の芸術家が目覚めて、自分の絵を描き始めたのだ。
なんとも瑞々しい瞬間がカメラに収められている。これぞドキュメンタリーの味である。
そもそも芸術とは何か、複製は芸術ではないのか、さらに、こうした問いは、いまの資本主義経済ではどういう意味を持つのか、などということも考えさせられる作品である。
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