ムッシュ・アンリと私の秘密のレビュー・感想・評価
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【”人生は成功と失敗だけじゃない。一度しかない人生、夢を諦めない。”エスプリの効いたフレンチヒューマンコメディ。】
■偏屈で口が悪い老人・アンリ(クロード・ブラッスール)は息子ポール(ギヨーム・ドゥ・トンケデック)の結婚相手ヴァレリーが何故か気に入らない。
そこで彼は、息子の結婚を破綻させることを条件に、自分が所有するアパルトメントの空き部屋を無料で貸し出すという事を考え出す。
オルレアンから来たお金に困っている苦学生のコンスタンス(ノエミ・シュミット)は、その部屋を借りることになり、息子のポールを誘惑しようとする。
◆感想
・アンリの口の悪さや、一見ひねくれたモノの見方が徐々に愛妻を亡くした事による寂しさと後悔が、鬱積したのではないかな、と思いながら鑑賞する。
何故なら、コンスタンスが留年が決まり、酒を飲み過ぎた時に口にした”妻は、窓から転落した時にアルコールが入っていた・・。”と呟くからである。
余り、奥さんに表面上は愛情を出さなかったのではないかな、とふと思ったシーンである。
・一方、コンスタンスも父親の言葉には逆らえずに、留年を繰り返す冴えない日々。だが、ある日アンリから禁じられていた亡き妻のピアノを奏でてしまう。
その音色を聴いたアンリは、亡き妻を思い出しその場を去るが、コンスタンスのピアノの才能に気付いたのか、ロンドンの音楽学校のチラシを自分の家のポストに入れ、わざわざコンスタンスに取りに行かせる姿などを観ていると、実は心優しき男ではないかなと思う。
・コンスタンスもポールを誘惑しようとするが、良心の呵責がありそれを辞める。そんな時にポールとヴァレリーに待望の子供が出来、アンリも表面上は渋々と、けれども内心は可なり喜んでいる。
■コンスタンスが、ロンドンの音楽学校に行きたいと父親に言うも、案の定反対されるが、彼女はアンリの言葉”一度しかない人生、夢を諦めない。”を思い出し、初めて父に反抗し、父も娘の頑固さを認め、引き下がるのである。
・そして、コンスタンスはロンドンの音楽学校の試験を受ける。その間にアンリは亡くなる。コンスタンスは最終選考で落ちてしまったのだが、アンリには合格したと伝えていた。
<そして、コンスタンスがアンリのアパルトメントに戻ると、ポールが片付けをしている。そして、コンスタンスに”ここは、学生たちに貸し出すよ。君も居ていいよ。”と言いながら、亡き父から預かった手紙を彼女に差し出すのである。
その手紙には、彼女の不合格であった事を見抜いたかのような、”人生は成功と失敗だけじゃない。風邪を引くなよ。”と記されていたのである。
今作は、エスプリの効いたフレンチヒューマンコメディだと思います。>
若い女と老いた男のさわやかな関係性
パリで間借りする若い女。
家主の老人から(嫁が嫌いなので)息子夫婦を別れさせたら賃料を値引くと持ちかけられ、家主の息子を誘惑することになる。
女と家主は不穏当な動機で同居することになるが、一緒に暮らす間に、お互いの欠点を補修していく。
家族よりも、他人のほうが真理が見える──という定理に、女と老人の間に芽生える友情を描いたコメディ。
客観的にみると八十路の男と若い女のシェアハウスになるが、ふたりに男女の気配はない。別れさせるために誘惑する──という設定には無理感もあったが、さわやかなコメディになっていた。
懐かしい顔だがどこ(どの映画)に出ていたか挙げられないブラッスールはこの映画内でも亡くなって、2020年にほんとうに亡くなった。
彼(家主)は、最終的には自身の我を抑えて、若い者の可能性を扶ける。その哀愁には打たれるものがあった。
今後わが国はますます老齢者だらけになる。
ゆえに老齢者が自身の我を抑えて、若い者の可能性を扶けるひつようがある。
この星(地球)で最も老齢者が多い国日本。──だからこそ、の課題だと思う。
ネットコメントにじぶん語りというのがある。
壮年以上のひとがよくやるやつで、典型的なのはいじめや体罰や虐待報道などに「おれもむかしやられてた」と頼まれてもいない過去を披瀝するやつ。
秀岳館サッカー部の暴行事件報道にも「むかしはふつうだったぞ」みたいなコメントが湧いていた。
コメント欄に突然あらわれるこれらの「人生のセンパイ」のじぶん語りのもくてきは、とうぜんマウントをとることにある。
「むかしはふつうだった」からおどろきはしないし「おれもむかしやられてた」から「鍛えられた」と展開し、だから君らより偉いんですよ──と優位をとりにくる。
言うまでもなく、この種の大人の最大の勘違いは、幼少や若いころ誰かに殴られていたことによって自分が鍛えられたor強くなった──という誤解に他ならない。
親や先生や先輩や指導者や上司に暴力をふるわれたこと──は、わたし/あなたを強くしない。ぜったいに。
畢竟そんなことすら解らない人がじぶん語りをする──という構造を知っているならじぶんガタラーの愚かしさが判る。そもそも匿名を隠れ蓑にウソを言っているだけかもしれない。
だいたいにおいてネットのコメント欄で自慢話をする老輩がリッパなにんげんだと思いますか?
現代、昔と違うのは、老輩が若輩よりもかしこい──という事象が、成り立たないことだ。きょうび姥捨山のロジックが意味を為さない。
じぶんが幼いころ(いまから40年以上前の昭和期)の老人には師のようなおもむきがあった。たとえばバスや電車で騒いでいる輩を一喝して黙らせるような老人がまだ存在していた。
しかし人生の手本となるような大人や老人は今、ひとりもいなくなった。
飲食店で働いていたころ、バイトにたいして「おれよりかしこい」と思うことがよくあった。10代でも苦労していて「おいおいおれより人生経験積んでるじゃねえか」と思うことがけっこうあった。
まっとうな大人はじぶんより若い人を見下さない。かれ/かのじょがじぶんよりかしこく、じぶんより人生経験をつんでるかもしれないからだ。たとえそうでなくても、見下す権利などないからだ。
秀岳館のような教員or学校の体制の問題は常にあり、明るみになると世間の注目を集める。学校の事件というものは、どれを見ても浅はかで不可解だ。
何度か言ったことがあるが、教員がバカなのは、かれらのほとんどに就労経験がないから。
それにつきる。
学校教師はたいていのばあい、社会で働いた経験がないかわずかで教師になる。働いたことがないやつが学生を教えている──わけ。そんな構造に健全性なんかあるわけがない。
いみじくも飲食店でいっしょに働いていた10代のアルバイトたちに当時40代のわたしは負けていた。そうやってじぶんが粉砕された経験がない者が若い人に何かを教えられると思いますか?
学校体制に抜本的な改革を──というなら、たんに教員の条件に5年超の就労義務を設ければいいだけの話。そこが改革されない教育/学校論は総て完全に無意味だろう。
これからの時代、年老いた人間にとっていちばん大事なことは黙って死んでいくことだ。冗談ではない。この惑星でもっとも老人が多い日本では、まちがいなくそれがいちばん大事なことになるだろう。
たんに象徴的だから引き合いにするだけだが黒柳/関口/田原/和田・・・老いたらその席を若い人に委ねるのがあるべき大人の姿だとわたしは思う。
本作のブラッスールのように自分自身の我を抑えて、若い者を扶けてあげることができたら一つの完成形だろう。
ヴェルヌイユの名画に冬の猿(1962)というのがある。
なんとなく似ていた。
女学生と老人の擬似家族
まず、女学生の、老人の息子を誘惑するまでの手口が鮮やかで、さすがフランスだわ、と思った。笑
そうこうするうちに、二人は家族のようになって、老人は女学生の夢を本気で応援するようになり、女学生もようやく本気を出す。
彼女が最後に病床にある老人を思いやってついた嘘は良い嘘だ。試験の結果は今回は残念だったけれど、次は必ず受かるような気がした。
“風邪をひかないように”
原題は直訳するとアンリさんと学生。
観たあと、じわっと心が暖かくなる映画だった。
登場人物、みんな不器用。
頑固で口下手なだけで、ムッシュ・アンリはすごく思いやりのある人。
コンスタンスは若くて可能性はまだまだあるのに何を上手くいかないと悩む。そんな彼女の背中をそっと押すムッシュ・アンリ。
ポールの妻のヴァレリーも聡明というわけではないけれど、ポールを愛しているしムッシュ・アンリにも孫の誕生を心から祝ってほしいと願っている。
父親として子供に間違った道を歩んで欲しくないと願う気持ちはムッシュ・アンリもコンスタンスの父親も同じ。
自分の子供だからこそ見えないこともあるし、他人だから背中を押してあげられることもあるのだ。
親心
ビビビ
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