ブレッドウィナーのレビュー・感想・評価
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戦争に翻弄された人々。砂漠の空気感と夜の冷込みが感じる。
内容は、度重なる中東戦線を背景に2001年から始まるタリバン政権下のアフガニスタン付近に住む家族と周囲の人達の話。好きな言葉は『月が水を押したり引いたりする場所で逢おう!』同じく男装した少女友達に告げる別れの言葉。アフガニスタン🇦🇫は海がないので国外逃避行を表現した所が切ない。それはお互いの希望と共に死を連想させる。そこまで追い詰められた環境下で、生き抜く為に各人が稼ぎ頭になり生活しなければならない様を分かりやすく表現していると思います。好きな場面は、父親を連れ去った一人の少年から友達と二人で逃げ、山の⛰小さな洞穴に逃げる場面で💨追いかける少年が洞窟が狭くて入れず、思わず自動小銃のトリガーを引いてしまい、引いた自分が、青ざめて引いてしまう所が怖かった。恐らくあれが人に向けて始めて発砲してしまった。そして気になる少女を殺してしまった?!少年の戸惑いと焦りと心配の表情はタリバン政権下民兵の業深い所だなあと感じました。作品を通じて砂漠の広陵とした砂塵と油断スモッグと戦火取り巻く風土と夜の寒さや月の明るさなど自然が上手く表現されていた様に感じます。壁に沢山の銃痕。女子の外出禁止。止むことのない怒りの💢連鎖。表には出さないが優しい人々。思いやりのある家族。教育が助かるきっかけになる。環境に恵まれて運が良かった。それぞれが重なり合い細やかな救いに落ちた所が幸せな気持ちになります。小さな所では、お父さんを助けてもらったらお礼は言わなきゃねー。お母さんも助けを求めておいて気に入らず急に殺すか解放してとか。お父さんを逃す時に言い訳に『一人だけだからいいだろうとか』無茶ぶりな所がありますが全く知らない環境を知るいい機会になりました。20年後に月が水を押したり引いたりする砂浜で友達と再会できることを願ってやみません。
アフガニスタンの現実
些細な事で悩まず彼女を見習いたまえ
間違いなく、今観るべき一作
今年になって急展開したアフガニスタンの、特に女性たちの状況について描いた作品です。
日本ではすでに2019年に公開されているため、今回は再上映ということになります。再公開のきっかけとなったのは、もちろん今年に入って急展開したアフガニスタン情勢でしょう。
本作の舞台となる2001年、首都カブールはタリバンの支配下に置かれており、作中ではタリバンの、特に女性に対する苛烈な扱いが描かれています。史実ではタリバンはこの後、カブールから駆逐され、アフガニスタンの人々は抑圧から(結果的に一時的とはいえ)解き放たれます。本作の製作自体が、アフガニスタンの人々にもたらされた自由の象徴ともなっています。
しかしその後タリバンは勢力を回復し、ちょうど20年後の今年、再びカブールを含めたアフガニスタンの大部分を支配下に置きました。つまり本作で描かれている人々の生活、女性たちの苦境など、映画製作時には「かつてアフガニスタンであったこと」として描かれていた事態が、再び現実のものとなっているのです。作中で主人公パヴァーナとその友人が交わすある会話が、現在の状況を踏まえると非常に哀しい言葉となっており、一層心が痛みます。
作品は抑圧下を強く生きた少女の勇気の物語として描かれているのに、現在では、そんな彼女がこの後どうなってしまうんだろう…、というどっしりとした不安が鑑賞感として残ります。彼女のような状況に置かれた人々が今現在数多くいるということを認識するためにも、本作はできるだけ多くの人々に観られるべき作品と言えるでしょう。
製作時期としては前後するけど、最近も『ウルフウォーカー』が公開されたカートゥーン・サルーンの作品とあって、過酷な現実を舞台にしつつ、ファンタジー的な要素も忘れていないところはちょっと救いです。そしてやはり高度で美しいアニメーション技術には目を見張るものがあります。
一日も早く、本作のパヴァーナ達の状況が再び過去の物語として語られるようになる日を願っています。
とりあえず、アフガニスタンについて思う事などを。
英露の対立から引かれた国境線によりパシュトゥーン族が分断された事が、近代におけるアフガニスタンの不幸と混乱の始まり。その後のゴタゴタや緩衝地帯としての蝙蝠政策の困難に苦しんだ時代のことは、一旦置いとくとして。1979年のソ連の軍事侵攻。米国による反ソ連ゲリラの組織化と強化。の後の放棄と裏切りは、時を経て9・11に繋がり、米国の侵攻の口実となり、今年、是非を顧みない撤退となりました。そして今、中国共産党は、その野望を隠すこともなく、タリバン政権の支持を公言。タリバンはイランに石油の提供を依頼。鹵獲した米軍兵器をイランに陸送したとの事ですから、取引は成立していると思われ。
地政学上の特性。
多民族と宗教・宗派の問題。
問題の本質が、この二つだけであれば、アフガニスタンの不幸はこれほどまでのものじゃ無かったのだろうと。アフガニスタンを舞台にした英露の対立構造は、その後、米ソに変わり、今、中対西側諸国(QUADにより日本も巻き込まれています)となりました。再び平和な時代(と言っても、それはいつの事を指すのか?)が訪れることがあるのだろうかと思ってしまう。
イスラム原理主義。そのローカルな曲解は、タリバン政権下に生活する女性達(無論、男性もじゃあるけれど)を苦しめる。「イスラム教で許されている女性の権利は保証する」とタリバンは西側に向かって発表しましたが、原理主義ですからね。事実上、「こっちのやることに口出しするな」ってことです。
残念ながら、人道的見地で、我々日本人にできることは、ごくごく限られていると思われ。難民キャンプの支援はできるけれど、それ以上の事は危険すぎます。
インドへとインド洋へのアクセスを確保したい誰かさん。戦争ビジネスに利用にしたい誰かさん。
報道によれば、米軍は無血開城どころか、装備を投げ打って撤退したそうじゃないですか。無くなったものは、また買えば良い。って話にとどまらず。おそらく一番高くつくのは、セキュリティに関連するハードとソフトが、破壊されることなく中国やイランに渡ったことです。玄関ドアのカギを失くしたら、家中のカギを取り換える必要があるのと同じ。暗号化技術やセキュリティソフトウエアの大規模なアップデートは不可避。これが一番高くつくし、同盟国も影響を受けるでしょうね。戦争屋バイデン。さすがの商売上手です。呪います。
一本の映画としての感想。
幼くして命を落とした兄を主役とした劇中劇を絡めながら進む、少女の闘いの物語は胸に刺さります。殺爆としたアフガンの風景を適度にリアルに描写する作画の美しさ。タリバン政権下で抑圧される女性達の生活のリアル。ストリーもアニメ作品としてのクオリティも、素晴らしかった。
製作陣の中に、アンジェリーナ・ジョリーの名前発見。こう言う映画への支援は、頑張って下さい。でも、変な人たちに騙されないでね、って事で。
とにかく、全般的な印象として。
良かった。とっても。
生きるために勇気ある行動の少女
タリバン政権下のアフガニスタンで、両親や姉、幼い弟と暮らす少女パヴァーナは、戦争で片脚を失った父と露店を出して日銭を稼いでいた。そんなある日、父親が突然タリバンに連行されてしまった。タリバンから、女性だけでの外出は禁じられており、一家は食料も買うことができず窮地に立たされてしまった。そこでパヴァーナは髪の毛を切り男子の姿になり、街へ働きに出る、とともに、父に会うため刑務所に行く、という話。
ハヴァーナの勇気ある行動力の素晴らしさと、読み書きする能力が収入に繋がり、やはり教育の大切さを教えてくれる。
ハヴァーナが語る奪われた種を象の王の所に取り返しに行く話と並行して進むが、話の方はハッピーエンドだが、現実は厳しい状況のまま。
再びアフガニスタンはタリバン支配となりつつあるが、20年前のアメリカ侵攻前の状況より良くなることを願う。
自分に何が出来るのか、また考えさせられてしまった。
起伏はない
【”古来より争いの絶えない地で、叡智ある若き女性が大切な父を取り戻すために行った事。”マララ・ユスフザイさんの崇高な行為を想起させる作品。】
ー 舞台は、タリバンが跋扈するアフガニスタン。
描かれているように、この地は古来から数々の争いに晒されてきた土地である。
それは、今も変わらない・・。ー
◆感想
・ムスリム思想を極端に解釈したタリバン始め、影響された男達の、女性の人権を軽視した愚かしき態度。
ー 虎の威を借る、何とやら・・。ー
・同じく、知識人を敵視する思想により、獄に繋がれた父を獄から解放するために、奮闘する少女、パヴァ―ナの懸命な姿。
彼女は、金を稼ぐために、髪を切り男になって、家族のために食料を買いだし、父に教えて貰った語学を活かし、文盲の男と交流していく。
ー 傲慢な振る舞いをする男達が、見かけだけでパヴァ―ナを男と思い、接する姿。
又、男の弱さもキチンと描いている。ー
・そのような状況下、パヴァ―ナは、獄に繋がれた父を助けるために、決死の思いで行動に出る。
<劇中劇を絡ませながら、極端な男尊女卑思想が支配する世界を、逞しく生き抜く女性達の姿が印象的な作品。
彼の国は、何時になったら、且つての文化高き国に戻るのだろうか・・。
パヴァ―ナに協力する数少ない、男性達の姿に僅かな希望を感じる作品でもある。>
子供が見るから
多くの人に観て欲しい
私たちが物語から受け取るもの
後半、父と兄の名を呼ぶ主人公の必死さに泣いてしまった。
まだ大人ではない少女が立ち向かわなければならない現実はとても過酷だ。
守られて、可愛がられてよい歳だろう。
男に咎められないように生きなければならない、自分の身を守る術がないとは、どれほど不安な日々だろうか。
最終的に物語は一応の結末を迎えるが、私は権力(武力)の恐ろしさに身が竦む思いだった。
この現状は、個人の身の振り方だけでは改善できないものだと思ったからだ。
個人の力では、銃を持った権力者には太刀打ち出来ない。
でも、主人公は「怒りではなく言葉を伝えて」と言った。
最後、花が育つシーンがあったが、映画を見た私も種をもらった気分になった。
大事に育てていきたい。
(そして色彩が本当に綺麗だった~)
社会が進むべき方向とは
未だに不条理のなくならない世界を改めて考えさせられる。インターネットや衛星で人の世界はこんなにも繋がっているのに、未だ多くの地域で不条理に虐げられている人々がいる。その事実にどう向き合えばいいのか。自分がどのように受け止めて、考え、行動することができるのか。簡単に答えは出ない。
しかし、日本は幸運なことに、先人たちの努力と先見性のおかけで、ここまでの不条理は脱することができた。
その社会で生活をしている者として、少なくともここまでは不条理の無い社会を作る事はできることを、もっと世界に発信し、その一助ととなれるよう、広い視野と独創性、行動力をつけていく努力はしたいと、考えさせられた。
アニメーションについては、よく動いていて、細やかな芝居も描かれていて良かった。欲を言えば、乗り物もCGではなく描きで動かして欲しかった、というのは贅沢か。色も含め、魅力的な画面でした。
物語と現実の交錯の描写が美しい。
美しくも壮大な作品
子供が苦しむ映画を見るたびに、子供を作らなければいいと思ってしまう。それは間違った考えだろうか。
地球の人口は増え続けている。マルサスの人口論はひとつの極論として有名で、つまり人口は等比級数的に増加するのに対して、食料は等差級数的にしか増加しない。だから必ず食糧危機が訪れる。そこで少子化を進めるために晩婚を奨励するというのが主張のひとつであった。
第二次世界大戦後の急激な人口増加は人口爆発と呼ばれ、多くの問題を引き起こした。富める国と貧しい国、富める人と貧しい人。富める国の富める人と貧しい国の貧しい人を比べると、その格差は月とスッポンどころではない。かつて日本でもベビーブームがあり、経済成長と相俟って一億総中流などと言われた時代もあったが、小泉改革で日本がぶっ壊れて格差が増大した。
そして日本では、マルサスの主張を実行するかのように子供を作らない世の中になって、ベビーブーマーが高齢者となったタイミングとピッタリ合って、歴史的に類を見ない超高齢化社会となった。
やはり共同体のバランスとしては、年齢のグラフが逆ピラミッドではなくピラミッド型のほうが生活レベルを維持しやすいのは確かだ。結婚に対する考え方の変化や、介護の苦難の情報が行き渡ったことで、日本人は子供を作らない傾向になった。共同体にとってはひとつの危機だが、個人にとっては悪いことではない。先進国からそういった傾向にあり、途上国はまだまだ人口爆発の状態である。
生活必需品やインフラが整っている共同体で子供が減り、インフラも食料さえも不足している共同体で子供が増えているのが世界の不幸な状況だ。
本作品の舞台アフガニスタンは、まさに不幸の極北のような場所であり、生きることは耐えることに等しい。絶望と虚無主義に陥らないためには、宗教にすがりつく以外にない。しかしそんな苦しい状況でも、自由な心を持つことはできる。タリバンのパラダイムが支配する社会でも、人間の優しさを失わない人たちがいるのだ。本作品はそういう人たちが何を大切にして、どのように希望を持って生きているのかを描く。
映画の進行に並行して登場人物が語る物語が、千夜一夜物語のようにウィットに富んでいて、底辺に独特のヒューマニズムがあって、この苦しい作品を観ている観客にとっては砂漠のオアシスのように感じられる。そしてその二重構造が作品に奥行きをもたらしている。それは登場人物たちの精神の奥行きでもある。貧しくても心は豊かなのだ。
アフガニスタンといえば、ペシャワール会の現地代表でもあった中村哲さんが亡くなった国である。多くのアフガニスタン人がその死を悼んだことが報道されている。大統領は棺を担ぎさえした。
タリバンの宗教警察の弾圧、その組織に威を借りた少年の暴力、そしてその少年も実は死が怖くてたまらないこと、主人公の少女の勇気、母の嘆きと勇気など、数々のテーマが盛り沢山に詰め込まれていて、人類はどこから来てどこに行くのかという壮大な質問さえ心に浮かぶ。
アフガニスタンはたくさんの不幸に見舞われているにも関わらず人口が増え続けていて、タリバンが支配した1996年には1840万人だったのに現在では3000万人を超えている。貧しい人ほど子沢山の傾向がある。原因は日本の逆だろう。アフガニスタンの子供たちは悲惨な状況に苦しんでいる。日本の子供も苦しんでいる子はいるだろうが、苦しみの質とレベルが違う。下手をすると餓死をしたり地雷で吹き飛ばされたりする日常なのだ。
何故そんな状況で子供を作るのか。考えてもわからない。それが人類というものだと言えばそれまでかもしれない。しかし坂は登りだけではない。日本が現在進行形で辿っている人口減少の道が世界的な傾向となっていくだろう。そしていつか人類は絶滅する。
映画はアフガニスタンの一地方都市を舞台にしているが、少女が見上げる空を何機も飛んでいく戦闘機が、人類を蔽う暗雲を示している。想像力は現在過去未来の三世の時空間にどこまでも広がる、美しくも壮大な作品である。
異国の違すぎる現実は、やはり遠い
男尊女卑で子供が虐げられるという辛すぎる現実を見せつけられ、決して楽しいアニメではない。
これがアフガンの現実だということは理解できるけれど、細かなやりとりや展開に違和感を覚えたし、どうしても非現実的にしか思えなかった。
アニメーションそのものは素晴らしい。ストップモーション、3D、ドローイング、あらゆる手法が見事に融合していて、見た目の完成度は高いように思う。
あらゆる要因で、この悲しい現実をリアリティをもって捉えることができなかった。それを意図したことなのかどうか・・・察するのは難しい。
現地へ行って生で体感しなければ分かりようがないとは思うけれど、いまも続いている悲しい出来事・ニュースに響いてくるような作品ではなかったなぁという印象。
地続きの世界
2001年頃のタリバン支配下のアフガニスタンが舞台。
遠い国のことで無関係と思うなかれ。
今、我々の住むこの世界と地続きで、実際に今も人権を認められない女性たちがいる、そんな国があるという事実に心を痛めます。
作中、主人公の語り聞かせる創作した物語の中で、
「怒りではなく対話を」
「種は雷でなく水で育つ」
というセリフが出てきました。
戦争や暴力は何ももたらさない、対話と優しさで解決したいという訴えがありました。
そして、同じスタジオの作った『ソング・オブ・ザ・シー』と同様に、豊かなアニメーションとしての表現と彩色。
実写では残酷で観ていられないほどの差別と迫害を、中和すると同時に強調していて、引き込まれました。
おすすめです。
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