愛がなんだのレビュー・感想・評価
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好きになった方が負け
恋愛観に惑わされる123分。
一緒の時間を過ごしたい
↓
共に生きたい
↓
同化したい
いろんな片思いを集めて
そんな願いを映像化したお話。
隷属的な恋愛の先にあるものに
共感するか軽蔑するか
評価がわかれそうです。
いまの世代によくある
風景というコメントを
何回かみるので
こういうのを受け入れている
人はわりといそうですね。
世の中、突き詰めれば
みんな片思い。
両思いの方が少数派。
だから、少ない両思いに
憧れ、そうなりたい。
ではなく、
片思いのまま
幸せになりたいなぁと
いう気持ちをただ表現してました。
ユルい自虐が
すこし気持ち悪いけど、
そうなってしまったら
客観的にみたらこういうことです
と教えてもらえます。
気をつけよう。
愛には届いてなくね?/後半面白くなる
テルコの子役の子は、朝ドラ花子とアンの花子の子役の子だと思う。映画私の男の二階堂ふみの子供時代やってた子でもある。久しぶりに見た。彼女かわいい。
テルコには全く共感しない、したくない。
仕事をあからさまにサボる部分が、就職氷河期世代のわたしには許せない。金を稼ぐことに執着せずしてどうやっておまんま食うね?という貧乏ヒマなし系の説教で頭がいっぱいになった。
でも、相手からの電話を全身で待って、それに生活のプライオリティを置くって愚行をしたことがないとは言えない。
もう寝てたのにまだ起きてたよとか、すでに帰宅したのにまだ外やからすぐいけるよとかの嘘はついた。嬉々として。
なので、まぁかつては似たようなこともしたのは認める(仕事中は絶対しませんでしたよ、わたしは)。
電話の話し声があまぁーく、とろぉーり、ねちょーんとする感じ…身に覚えがある。くそっ。
つまりしたくないけど共感する部分もあった。くそっ。
でももうそんな季節は過ぎているから、男に執着する感覚を忘れつつあるから、ちょっとだけ懐かしくもありつつ、テルコにばかたれって(脳で)叫びながら見た。
マモちゃんの心のシャッターいきなりがっしゃーーーんのシーン(テルコが仕事辞めた翌朝のやつ)、面白かった。
頼まれてもないのに甲斐甲斐しく世話とか、引き出し開けて靴下の左右まとめる(きもっ)とかは、やったことないけど、二人で使おうと思って土鍋買ったけど距離置かれて使えへんかった、には身に覚えが…土鍋ちゃうけど。
テルコはマモちゃんが好きなんじゃなくて、マモちゃんを使って恋愛妄想を楽しんでいて、頭の中でマモちゃんを自分の思う通りにしてくれる理想の男として使ってる。脳内彼氏の外側だけリアルで調達するけど中の人は自分の妄想、なんじゃないかな。マモちゃんの人格は基本どうでもよくて、あんまり観察してない。話したこととかは覚えてるから、相手の言葉と言葉の間の感情を、勝手に作っている。そして、その頭の中のマモちゃんと違うマモちゃんを見せられると、この世の終わりみたいに傷つく。
テルコに対してそう思うのは、わたしの恋愛の失敗が全部それだからなんだけど。
自分の楽しい妄想が先走って、目の前の相手を慮ることが疎かになってたなぁと、反省した。
そして相手にも同じことをされて、ものすっごく傷ついたなぁ…
テルコとマモちゃんがうまくいくわけないのは最初からわかっていたので、だらだらとテルコが追っかけてはシャッター閉じられてるのを見てるのがつまんなかったけど、すみれさんとあった後になぜかテルコの部屋でする流れになった折、マモちゃん勃起しなくてできなかった後の会話から明確に面白くなった。
マモちゃんのへらへらした外っつらの下にあった本音が吐露されてから、テルコのひとり相撲でなくなった感じがして身を乗り出した。
そして唐突になかはらくん、ようこ、マモちゃん、テルコの愛についての語りと思しきシークエンスが続く。
なかはらくんはまっすぐでよかった。
ようこは仕事何してるねんって思った。
テルコとのケンカは面白かった。どっちの言い分ももろ図星だから、言われたことを打ち消したくて、相手の言われたくないことを重ねていく不毛なケンカ。ムキになって相手を打ち負かそうとする感じ。なんかなつかしい。
マモちゃんは、すみれさんのことになるとテルコになる。
きらいな湯葉も好きとか言ってるし。すみれさんのいうことはなんでも聞いて、重い。
多分すみれさんに好かれないのは、マモちゃんがテルコを好きにならないのと同じ理由じゃないかな。
ざんねーん。
彼らは一応相手を愛してる体でいるみたい。
でもわたしは愛には足りてないと思った。
ようこはよく分からなかったけど、なかはら、テルコ、守はまず適切な自尊感情を育まないとダメじゃないかな?
自己評価が低いから、相手に過剰にすがるっつーか、相手を過大評価するっつーか。自分みたいなもんに情けをかけてくれるなんてそれだけで好きになっちゃうっつーか。
まずは自分一人で幸せってところから、人を愛さないと続かないんじゃんって思う。
偉そうにごめんねだけど。
テルコの一人暮らしの部屋が家賃高そうで嘘くさい(この映画に限らずどの映画もドラマも予想される収入よりええ部屋住んでるのが気になる)とか、
お風呂でシャンプーしてもらうのはなんかええなぁとか、
セックス前のキスなのに舌も絡めへんなんてつまんねぇとか、
テルコ銭湯の掃除だけで家賃どやって払うのとか、
岸井ゆきのちゃん、普通な感じでかわいいとか、
ようこの中の人誰?(元乃木坂46の人らしい)とか、
多分原作小説は2000年代のはじめのやんなー下手したら20世紀の話よなーだから恋愛観ちょい古いんよなーとか
どうでもいいことも思いました。
それにしても、お客さん多くて、普段のここの映画館は37のあたしが若い方に分類される客層なのにさ、女子大生がわんさかきてて。本当にびっくりした。
時々混じってるいつもの客層のひとり客はおそらくみんなびっくりしてたんじゃないかな。
そんなに成田凌が人気?なんで?と何回も思った。
テルコはついに象の飼育係になったんですね。どこまでもアホだね。
3個は“いっぱい”じゃないけど、4個は“いっぱい”だよ
好きなら好きって言えばいいじゃん。「好き」という前にダラダラと関係を持ってしまい、なんとなく付き合ってる感じを「好き」という言葉で壊したくない・・・というならわかるけど、そこまでハッキリしていないテルコ。時折見せるクロエ・グレースっぽい笑顔には、男ならコロッといっちゃいそうな気もするのですが、男ってのは一旦モノにしちゃうと冷めちゃうところがあるからなぁ。多分、マモルもそれでしょ。それにしても、あれだけ酒を飲む機会が多いんだから、酔った勢いで言っちゃえばいいのに・・・。
主要な人物は、このテルコ(岸井ゆきの)とマモル(成田凌)を軸に、葉子(深川麻衣)とナカハラ(若葉竜也)の関係も描き、マモルが新たに惚れてしまったすみれ(江口のりこ)の5人だけだ。面白いことに、尽くすだけ尽くして自分が愛してるということで満足感に浸るところはテルコとマモルの関係だけじゃなく、男女は逆だがナカハラと葉子の関係もそうだ。ナカハラは後に自虐的ながらも「王様と家臣」の話を持ち出す。王様を忖度して、なんでも言うことを聞く家臣たちはやがて残酷な行為もするようになる。いきなり政治的なメタファーをぶつけてくるものの、男女の関係もそうじゃないかと呟くわけだ。
はっきりモノを言えない世の中ではあるが、男女の関係くらいハッキリしようよ!と言いたくなる物語。自己満足の極めつけが「マモルになる」ことだったのだろうか、ラスト、象の飼育員になってしまったテルコがバカみたいに思える。
パスタ作る!
とにかくヒリヒリした。
マモちゃん勝手だなあ、ずるいなあ、でも男の子ってこういう事多いのかなあ。と、テルちゃん擁護に立ちながら、テルちゃんやりすぎ、そりゃ帰れって言われるよ、とマモちゃんの気持ちにも立てる。どちらか一方に感情移入し続けるのではなく、両方の気持ちが少しずつわかってしまうから余計にヒリヒリする。
予告編で、好きといえないすべての人へ、とあったからには恋愛への応援のようなものが詰まった作品なのだろう、と観に行った。が、それは甘かった。笑「幸せになりたい」「愛ってなんだよ、好きってなんだよ」という気持ちと葛藤しながら、ハッピーエンドじゃないにしても何か一筋の光が見えるのだろうと思ったら。もっと複雑で拗らせていて、でもこれこそ恋愛?の本質なのかもしれないと思わせるような、「なぜだろう、いまだにわたしは田中守ではない」というセリフ。好きという感情を超越したものなのか、それとも恋愛の本質なのか、恋愛経験の浅いわたしにはまだまだわからないけれど。
作品の撮り方、役者さんの演技すべてがとても自然でリアルで、だからこそいっそうヒリヒリさせているのかなと感じた。岸井ゆきのさんのマモちゃんが好きすぎてバカな感じがリアルでひどく感情移入してしまった。マモちゃんに誘われた時の嬉しそうな表情やマモちゃんの一言一句に機敏に反応してしまう演技、またマモちゃんへの気持ちを隠して取り繕う姿と「よかった、山田さんが俺のこと好きじゃなくて」と言った時の微妙な表情がとても印象的だった。また、若葉竜也さん演じる仲原のセブンイレブンでの対峙シーンがうますぎて切なすぎて大好き。このシーンの「諦めることくらい自由に決めさせてくださいよ」があったからこそ、葉子が写真展に来てくれた時の表情が映えると思った。そして成田凌さん演じるマモちゃんで最も印象に残っているのは、すみれさんを前にして見ていて恥ずかしくなるくらいテルちゃん化する姿。この姿も相まってマモちゃんを憎めなくなった。
線香花火のシーンを花火に注目した近くからではなく、引きで撮っている構図がとても好み。
作り込まれすぎていない、でも細部までこだわった、リアルで自然な作品。ほとんどのシーンが、無理なくある意味ダラダラとした会話になっていて流れている時間がとても心地よかった。
褒めてしかいない。とても素敵な作品!
好きな感じではあるけれど
映画の現実的で日常的な感じや登場人物一人一人の心情にスポットをあてていたり、とにかく雰囲気が全体的にとても好きでした。
色々と考えさせてくれるところもあって、なかなかいい作品だった
と、思うけれど。
無駄なシーンが多い気がします、、
上に日常的な感じがいいと書いておきながら矛盾だとは思うけど、そういうシーンがあまりにも多い、、
そのワンカットいる?その会話必要あった?というような。
もうちょっと抽出してもいいかなと思いました
主人公の様々な行動に軽く引きましたが、
作中で言っていた「好きなものはほんとに好きでそれ以外はどうでもよくなる」
という言葉、なんとなくわかる気がして
なんとも言えない気持ちになりました。
真っ直ぐになりすぎると大切なものや重要なことに気づけない
視点を変えたり、すきなもの1つじゃなくてたくさん増やせたならテルコと守の関係はもしかしたら変わってたのかも?
いろんなことを考えられる映画でした
星4にしたいけど、いらないカメラワークや会話が多くて途中途中退屈してしまうことがあったので、3.5で。
でも、おもしろかったです。
ひとり相撲のブルース
とても丁寧で誠実、リアルな作品だったと思います。
登場人物たちのやりとりはあらゆる場面で濃度が高く、人間の関係性や内面に関心のある私にとってはどこを切っても旨味がありました。おそらくものすごく緻密に作られているのでしょう。セリフをメモる等、より詳細に鑑賞すれば、登場人物の行動がほぼ合理的に説明できると予想します。話題になるのも当然の出来だと思います。
内容は、もののみごとに自己愛の物語。自分の理想像を勝手に相手に投影し、そこから先には進まない。つまり相手の生の部分を無視した恋愛ばかりが描かれていました。基本、どいつもこいつも一人相撲です。
登場人物たちが未熟である、と断じることもできそうですが、正直似たような経験をしてきた、またはまさに真っ最中の人も多いのでは?かく言う私も黒歴史的に思い当たる節があり、チクチクと刺さるものがありました。
さて、5人の登場人物の中で、私が最も興味を惹かれたのはマモルです。主人公テルコに理想を押し付けられる一方、だらしない中年女スミレに自分の理想像を投影する中間的なキャラクター。友だちも少なく、どうも他者とイーブンな関係を築けない。
彼はある時、テルコに自己評価の低さを吐露します。こんな自分を好きになるのはおかしい、と。このシーンにはぐぬぅ…と思わず絶句。まるでかつての自分を見ているような気分!本当に痛いところを付いてくるイヤなガーエーであります(褒め言葉)。
憧れ的な恋愛も超あるあるで、あーイヤだイヤだ(笑)絶対上手くいかないし不毛なのである。やがてイーブンな恋愛ができるようになっても、今度は自分が人を愛する価値はあるのか・愛する事ができるのか問題が浮上しますよ!成長のチャンスをフイにするなど土壇場での弱さも見られるため、マモルは先が長そうです。きっと彼はこれからも苦しさをたっぷりと味わうことになるでしょう…フフフ…頑張れ…
女王さま気質の葉子に片想いを搾取されるオドオドしたカメラマン・ナカハラもかなり好きなキャラです。彼はほぼ唯一成長を見せ、この無意味な自己愛食物連鎖からイチ抜けします。しかも、単に無駄な時間を過ごしたとかではなく、愛する相手・葉子を想っての行動であり、それが独りよがりでなく現実的に説得力のある行動なのがすごい。
なので、このナカハラ✖️葉子の関係は、他のカップリングと違い、ちゃんと意味のある関係だったのではないか、と捉えています。単に愛のスキルがお互い乏しかっただけで。その後の葉子の行動も、成長を感じさせるものでグッときました!ナカハラという男が彼女の中に残っていることを示唆していましたし。
この2人の関係だけは、本作で『有』なんですよね。最終的には互いに生の相手を認識できたように感じました。自分の理想像を投影するだけの関係は空虚で『無』ですから。「幸せになりたいっすね〜」というナカハラのセリフがありますが、君ならば大丈夫だよ、と伝えたくなりました。
あと、地道に自分の仕事をしっかりこなしているのも良いですね。ナカハラは地に足がついている人だなと感じ、だから関係性から有を獲得し、成長できたのだと思いました。
自己愛食物連鎖の頂点に立つ薄汚い下品女スミレは恋をしないので一見無敵ですが、虚しさだだ漏れですね。心身ともに蝕まれている印象。10年後くらいに身体とメンタルがやられそうです。洞察力もあり、頭も良さそうなので、悲しい歴史があるのかな〜なんて想像し、ちょっと切なくなりました。また、クドカン似の不美人なのが説得力ありました。
しかし、主人公テルコは無理だった!あそこまでダークサイドに落ちると、ちょっとついていけないですね。人相がどんどん悪くなるのも異常にリアルです。覚醒後のナカハラとのやり取りは、そうなるとは解っていながらも引きました。
本作の序盤、後輩とのやり取りで「恋をすると相手以外どうでもよくなる」と述べており、後輩に「自分自身も?」と突っ込まれていましたが、ホントにその通りだから怖すぎです。
本来、恋は異界からの侵犯であり、そのパワーに抗えずにアッチの世界に行ってしまう人も多いです。しかし、テルコほどきれいにさらっていかれる人は珍しいと思います。やはり、恋に溺れて仕事を辞めるのはヤバすぎ。インナーチャイルドを無視したあたりから、この人はこの世にいながらあの世に逝っちまったなぁ、と遠い目になりました。いつの日か現世に戻ってきてほしいと願います。
本作はこのようにヘヴィな物語ですが、本質はブラックなコメディだと思います。とにかく、気まずいギャグがかなり多く、かなり笑えました。中目黒のクラブとか、バーベキューとか、無神経女スミレが登場してから妙なメンツで遊ぶ場面が増えて、居心地の悪いシーンも多くなりめちゃくちゃ面白かったです。さすがにゲラゲラという雰囲気ではないですが、グフフと密かに笑ってました。終盤はサイコホラーなギャグ満載です。
演者について。テルコ役の岸井ゆきのは達者ですね!特に顔芸が最高です。フリースタイルのdisは面白かった。葉子役の方は品のある美女で今後も見たいと思いました。
そしてナカハラ役の若葉竜也ね。あの大傑作地獄ガーエー『葛城事件』の無差別殺人犯を演じていたので、葛城事件思い出したらイヤだなぁと思ってましたが、杞憂でしたね。かなり凄腕、説得力ある俳優という印象です。
隙間のある、鋭い映画。
映像に夢中になっているにもかかわらず、自分のことを考えて、照らし合わせている時間がたくさんあった。
テルコ→マモちゃん→すみれ→テルコ
このサークルが繊細で、不気味で、リアルだった。すみれはテルコに、昔の自分を重ねていたんだと思う。寂しい気持ちは、実はすみれがずば抜けて感じていたような気もする。
相手のためを思ってする行動は、本当はすべて自分ためになってしまう。そして、そのことに気づかない人が、この世の中には大勢いる。観ていて自分もその大勢の中の1人だと思い知った。
ナカハラはそのことに気づいた唯一の登場人物かもしれない。(葉子の母と銭湯のテルコの上司は除く。) 気づいてからの彼はかっこよかった。なによりナカハラ役の彼は、素晴らしかった。
描かれてはいなかったけど、葉子だって、雑誌の編集長や、仕事で関わる人に自己愛を振りまいていたはず。ナカハラが思うほど強い人間ではなくて。もしかしたら、テルコやマモちゃん、ナカハラよりも寂しさを感じる人なんだろうな。
唯一わからなかったのは、好きすぎてもはやあなたになりたい、という感覚。自分がまだ未熟者なのだろうが、それは恋や愛を超えた感情なのだろうか。
でも、もしそうなのだとしたら、やはりテルコはいつまでたっても自分しか幸せにならない選択をして生きていくんだろうな。良いか悪いかは別として。
おっさんが観る映画ではなかった。
役者さん達は良かった。
内容が…
ありそうな…
そんな人
居てそうな…
リアルな恋愛の映画なん?
ラストカット…
テルコは象ではなく飼育員て…
…そうな終わり方…
なんなん?
動物園の象は鎖を外しても逃げない。
そんな事 思った。
まともに見えたのが
銭湯のパートのバツイチお母さんやなんて…。
もう一度観たい映画ではないな。
(おっさんが観る映画ではなかった)
むしろサブキャラクターに感情移入
スミレという女性は私にとても似ていた。
大雑把で適当で、まあまあ楽しい仲間と一緒にいるけど、本当はわかり合える人なんていなくて一人ぼっち。
テルの重たい恋愛観や執着のようなものは私は共感できないし、仲原の思い出してくれるような存在でいたい、なんて考え方もまっぴらだ。それでも、こんな風にしか人を愛せない不器用な人もいるということはよく分かるし、そんな人が周りにいるから第三者的に見たら幸せになれない体質だけど、自分で道を決める力はあるから実は一番強くてしぶとい。
そんな色んな登場人物がいる中で、唯一本当に無理!と思ったのが田中。
実際、田中をもっとダメにしたようなやつが寄ってきて辟易している自分にはうざったく心底嫌悪感があった。スミレが劇中で田中を「自分系」と言っているのがまさにそのとおり、自分のこと以外何も考えていない自己中で無限の自己愛に満ちているやつ。上っ面で人に気配りしたり優しくしたりするけど根っから自分以外に興味がないやつ。
こんなにも登場人物にくたばれと思ったのは本当に久しぶりだ。テルは好きを通り越して執着で生きていく決意をしたようだが、もし仮に自分のとこにこんなやつ来たら相手にもしたくない。
同化ということ
冒頭、テルコの横顔ドアップが素晴らしい。水晶のような見開いた眸が前方を見やっている所から始まる。男女間の不可思議な関係を新鮮な角度から微細に表現しているのに驚き、最後まで引き込まれました。最後、テルコのナレーションで、どうして私はマモルになれないのでしょう?の台詞が入りゾウの飼育員になったテルコで終わります。マモルと同化したいテルコの願望は、これからも続くということでしょうか。
「幸せになりたい」が刺さる人へ【ネタバレ有】
しんどかった。刺さりすぎて。
後半延々と号泣し、終わってからトイレでもう一度泣いた。
幸せになりたくて、泣いた。
私は、テルコや仲原のような愛し方をする女で、だからこそ刺さる。きっと、恋人には全くと言っていいほど刺さらない。
「5週くらい先回りをして気を使うところ、無理」というような田中守の言葉が。
「大事にしない奴なんて、最低だよ」というようなスミレの言葉が。
何より、「幸せになりたいっすね」と言う仲原の言葉が。
もう、しんどくてしんどくて仕方が無かった。本当幸せになりたい。
人を甘やかし、気を使い、愛が返ってこなくていいとすら思い、「寂しいと思った時電話をかけてくれる人」でありたい。物凄く分かる。
でも、仲原は真理を突いている。残酷で見つめたくなかった事を見つめだしていた。
「寂しいって思うのは俺らみたいな人間で、葉さんは思わないんですよ」
「だから、俺らみたいな人はそういう人に惹かれるんです」
本当に、そうなんだよね。寂しくないと言われた事があり、寂しいって感情無い人もいるんだなぁと勉強になった事だってある。
そういう人に、寂しいと思った時電話をかけてくれる人でありたいと思ってしまうのは、こちらのエゴなのである。
でも仕方なくないですか…愛がなんだ…どうせそんなエゴしかないよこっちは…(思い出し泣き)
全くまとまらない。何もかもが刺さって、しんどくて、理解して、泣いた。
私は田中守になれない。スミレになれない。葉ちゃんにだってなれやしない。
でも、幸せになりたい。
仲原でも、テルコでも、幸せになりたい。
それだけは確かだと、兎にも角にも、それだけだ。
PS.少し田中守の口調とかが重なって余計しんどかった。もう頼むから勘弁してくれ、という気持ちになった。
原作との比較で、この映画の素晴らしさがより深まります。
今年の日本映画の中で珠玉の作品を選べと言われたら、真っ先に挙げるであろう、なんだか抱きしめたくなるような愛おしさを覚える良作でした。
脚本と構成に隙がないので、どんな原作をどのように脚色したのだろう、と興味が湧き、テアトル新宿の帰りに紀伊国屋書店で角川文庫版を買って帰りました。
どちらも素晴らしい‼️の一言です。
冒頭、マモちゃんの呼び出し電話のとき、原作では会社で残業のフリをして居残ってるのですが、映画では、帰宅したばかりの設定にすることで、テルコが嘘をつきながらもそれがバレないように何気なさを装っているのが、瞬間的に伝わってくる。
動物園のシーン。
原作では、「33歳以降の未来には、私も含まれているのだと、なぜかその日は強く思った。何もかもが完璧すぎて、泣き出しそうなのをこらえなければならなかった。」とあるが、映画では岸井ゆきのさんに本当に泣かせてます。ナレーションでもカバーできるところなので、もしかしたら、演技に感情が入って想定外の落涙だったのかもしれないですね。
大晦日のテルコと葉子母とナカハラさんの食卓。
原作の葉子母は、「垂れたしょう油じみのあたりを見つめてふとつぶやく」のだが、映画ではこびりついて落ちないのが分かっているのに同じ場所を何回も布巾でこすっている。
葉子と葉子母との長い年月とその間のすれ違いが印象的に伝わってきました。
次のセリフはほぼ原作通りでした。
「いい仕事が見つかって男運が反比例で減ったら困るもん。」
「言いたかないけど、テルちゃんて、ときどきぞっとするほど頭悪いこと言うね。」
「おれさあ、山田さんのそういうとこ、ちょっと苦手」
「五周くらい先回りしてへんに気、つかうとこっていうか。逆自意識過剰っていうか」
映画の理解がより深まるであろう箇所を原作の中から引用します。
『幼稚園の先生になりたいという作文を書いていた十歳の私に「十八年後のあんたは無職で、しかも、仕事ではなく、男に費やす時間が得られやすいアルバイトを捜しているんだよ」と教えてあげたら、彼女はどんな顔をするんだろう。そうして男に費やす時間を作っても、彼が連絡をよこさなくなれば、私のしているいっさいに意味もなくなる。
そんなことを考えて、自分の中に、自尊心らしきものが未だにきちんと存在することに驚いた。そして、その自尊心すら不必要だと思おうとしていることに、さらに驚いた。』
『そうして、私とマモちゃんの関係は言葉にならない。私はただ、マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたいのだ。だったら、どこにもサンプルのない関係を私がつくっていくしかない。』
というわけで、マモちゃんの友達とお付き合いすることにしたのです。
原作も、一般の人が感じるもどかしさや愛おしさやさまざまな複雑な感情が、さり気なく的確に表現されていて、この映画と同様、若い世代には共感を、年配の方には懐かしさを、味わわせてくれますので、おススメです。
面白いけど共感はしたくない。
「サッドティー」や「知らない、ふたり」でおなじみの今泉力哉監督の作品、かつ好きな女優さんである岸井ゆきのが主演なため観に行きました。
マモちゃんに尽くし過ぎるテルちゃん、そんなテルちゃんに引いてしまい自由なスミレさんに恋をするマモちゃん、誰にも熱を入れずふわふわと生きるスミレさん、芯が強いけどナカハラくんを振り回しているヨウコ、ヨウコが自分に振り向いてくれないとわかっていながら離れられないナカハラくん。
恋愛における温度差を相手に合わせて上げたり下げたりして調節するということの難しさを感じた。
幸せになりたいっすねえ。愛がなんだってんだ。
2回見に行きました。
1回目は1人で、2回目は友人と見に行きました。
初めてこの映画を視聴した時は、個性の強い登場人物それぞれの恋愛観について考え、自分と照らし合わせ共感したり、首を傾げたりしながらも映画のストーリーそのものを楽しみました。
2回目は1回目の視聴後に感じたテルコへの違和感?(マモルになろうとしてる?)を考えながら、ワンシーン、ワンシーンを丁寧に見ました。
丁寧に映画を見ていくと、初回では気付けなかった至る所にに散りばめられている伏線を見つけることができました。
中でも印象深かったのはテルコが中原くんのことで葉子に怒るシーンでした。
それまではテルコ自身と近しい存在だと認識していたはずのヨウコが、実は孤独を感じない自分とは違う感性を持った人間なのではないのかと疑いながら話しているシーン。
ヨウコはテルコより物理的にも精神的にも高い場所から会話を行い、とても綺麗に見えました。
まるで本当にヨウコが別人になったかのように。
このシーンからこの映画は山田テル子という人物の変化について、テルコを中心に描かれた映画なのかなと感じました。
そして、好きという感情を越えて、マモルになろう(マモルと同じ景色をみたい)とテルコは考えるようになったのかなと思いました。
だから、映画の最後でテルコの前からマモルのことが好きな幼少期のテルコは、マモルが好きだという感情と同時に消えたのだと感じました。
愛がなんだのタイトルに納得
先ず最初に私は今泉監督の作品を観るのは
この作品が始めて。なので観に行こうと思った理由は
「愛がなんだ」のタイトルに惹かれての鑑賞です。
岸井ゆきの演じるテルちゃん成田凌演じるマモちゃん。
この二人の恋愛を主に話が展開される。だいたい私は恋愛映画にドロドロな濡れ場は期待しない。かと言ってこの手の作品は女優さんの登竜門でもあると考え観るので音楽と撮影さんカメラには注目度があがる。その点ではこの作品私好みな音私好みな撮影で非常に満足感は高い。原作の角田光代さんからの脚本。実際には私原作読んでないので脚色がどれくらい入ってるかはわからないですが脚本は間違いなく良いとヒシヒシ胸打たれながらの鑑賞。テアトル梅田ほぼ女性。男性比率5パーセントぐらいの中で「愛がなんだ」をひたすら観る。
テルちゃんはマモちゃんが好き。でも私にはテルちゃんはマモちゃんを好きな自分が一番好きと言った感覚で見てしまう。マモちゃんを好きなことで自分の生き方をその方向で合わせる。実際には仕事などしたくない、やりたくない、でもそれでは生きていけない、もしマモちゃんを好きになることをやめてしまったら単純に道が見えなくなってしまうのがコワイのかなぁ〜と思ってしまう。こんな思いも一欠片でしかなく一言一言の単純な台詞にさまざまなな思いを感じ取れてしまうから最高に楽しく最高にツラく最高に泣きたくなる。愛は必要で愛がなければ人は悲しく荒んだ気持ちで生きて行かなければいけないと思う。だがこの作品を観ることで「愛がなんだ」その響きに逆に愛を感じさらには愛の上にあぐらをかけそうな気にもなることで愛と上手く付き合っていける気がした。間違いなく必見映画。
区切り区切り
前作の「パンとバスと二度目のハツコイ」がとても好きだったのでまた今泉監督の作品をもう一度観たいなと思い、観にいきました。
成田凌君と深川麻衣さんのファンなのでその時点でワクワクしてました。
物語が区切り区切り繋がれていて分かりやすかったのですが、裏を返せば短編を観ているような感じでした。一本の映画としては少し物足りないなと思いました。
勿論、いいシーンもありました。
キスシーンは岸さんと成田君の演技力が醸し出す雰囲気に圧倒されました。あれは興奮ものです。
ドカン!と来るものがないけれど、決して悪くはない。そんな作品です。
観る人の想像力が深ければ深いほど楽しめる映画と私は思います。
愛がなんだ
この映画は万人ウケの王道型ではないが、刺さる人にはここぞとばかりに深く刺さり沁みるのではないかと思う。
普段淡々としたとんとん拍子の映画が多いこともあり、テンポが悪い、ダラダラしている、と捉える人もいるだろう。同じく彼らの恋愛の様を見て私のように痛いほど心に刺さる人もいれば、そんな人いるわけないと思う人もいるだろう。本当に観る人によって賛否両論様々だと思う。
私はすごく好きな作品でした。
出てくる登場人物一人一人に生き方や恋愛観がちゃんとあって、感情移入がしやすい上にいい意味でとても人間臭い。こんなにもリアルな仕上がりはストーリーや演技は勿論、間の取り方やカメラワークの演出が活きているのもあるからだろう。
笑える、と言っている感想もあるがここに関しては本当に個人の経験や価値観によって違ってくると思う。
私は誇張されてはいると思うがどちらかというとテルコやナカハラ側の人間に分類されるだろう。
だからこそ、途中のナカハラの綴る言葉には深く刺さるものがあり、あまりに生々しく伝わってくる苦しさに耳を覆いたくなってしまった。
賛否両論賛否両論と言ってしまったが、予告を見て世界観や雰囲気に惹かれた人には是非一度観てみてほしい。
穂志もえかさん
気のせいかもしれませんが、横顔のシーンが多いですよね。
また、正面から表情を撮ったシーンが有っても、視線があまり前を向いていない気がしました。
それで思ったんですが、恋愛ってそんなものなのかもしれません。
よく、恋をすると夢中でその人以外見えなくなるって言うけれど、実際にはしっかり前を向けてなかったり、自分でもどこを見ているのかわからない状態だったりするんじゃないかな、恋愛下手な人は特に。
それでも終盤になると、登場人物達は関係性にそれ程進展が無くても、視線が前を向いてる場面が増えていた気がします。気のせいかもしれませんが。
恋愛経験少ない私がこれ以上レビューを書くとボロが出そうなので、ここからは本筋に関係のない話を。
テルコの同僚役の穂志もえかさん。
私、彼女の出演作を一つしか見た事が無いのですが、それが映画でもドラマでもなくて、JUJUさんの『東京』のMVなんです。
父と気持ちがすれ違う娘の役だったんだけど、これが結構泣けるんですよ。
それでですね、その父の残した手帳の中に子供の頃の写真が挟んであるんです。
そして、その裏に「今日も笑っていられますように」って書いてあるんです。
それを見ちゃったら、彼女の笑顔が見たくなるじゃないですか。
そのMVの最後に、彼女の笑顔が少し見れるのですが、物足りないんですよね。
それで、この映画に期待したんですが、もうすぐ結婚するのに、あまり幸せそうな笑顔じゃない・・・。
この映画の世界観だと、あれ以上の笑顔は求められないんだろうけど。
彼女の飛びっきりの笑顔は、他の作品までお預けですね。
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