劇場公開日 2019年9月20日

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葬式の名人 : インタビュー

2019年9月20日更新

前田敦子&樋口尚文監督の熱い思い シネフィル&あつヲタ、奇跡の邂逅

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女優の前田敦子が初めて母親役に挑戦したのが「葬式の名人」だ。日本人初のノーベル文学賞作家・川端康成の作品群をモチーフに、前田と高良健吾が主演を務めた青春群像ファンタジー。メガホンをとったのは、映画評論家で、本作が2作目の監督作となった樋口尚文氏。シネフィルとして知られる前田と、ファンの間では「あつヲタ」で通っている樋口氏は息ぴったり。本作への熱い思いを語った。(取材・文・撮影/平辻哲也)

前田と樋口氏の出会いは7、8年前の銀座シネパトス(2013年閉館)だった。樋口氏と樋口真嗣監督が岡本喜八監督特集上映で対談したイベントに、大の映画ファンとして知られる前田が観客としてフラリと現れたのだ。その後、前田は、樋口氏が同館を舞台に映画への思いをたっぷりと描いた監督デビュー作「インターミッション」(2013)の試写に姿を見せるなど交流が始まった。

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「もうひとりの樋口真嗣監督が私のAKB卒業記念シングルのPVを撮ってくれたので、映画館にうかがったのですが、この出会いがなかったら、今回の映画はなかったと思います」(前田)。「その後、一緒に主演映画を作ろうって話もしていたんですが、なかなかうまくいかなくてここに来たって感じでしたね」(樋口氏)。前田の起用は脚本を読んで、即決した。樋口氏は「主人公はいろんな過去を背負っているんだけど、言い訳がなく、潔い。あっちゃんにやっていただきたいなと思いましたが、なかなかユニークな内容なので、ちょっと無理かなとも思ったのですが、意外に即答でいただいて嬉しかったです」と振り返る。

「葬式の名人」は、小学生の息子と2人で暮らすシングルマザーの雪子と母校の野球部で顧問を務める大輔(高良健吾)が、高校時代の同級生・創(白洲迅)の訃報を機に再会し、亡き友を送り出すために奇想天外なお通夜を仕立てるというストーリー。川端の作品群をモチーフに、川端が幼児期から旧制茨木中学校(現・府立茨木高等学校)を卒業するまで暮らした大阪府茨木市が、市制70周年記念事業として全面協力した。

全編にわたり関西弁で、初の母親役、しかもシングルマザーだ。「でも、年齢的にはおかしくないと思いましたし、その時、自分はまだ母親にはなってなかったですけど、雪子の子供との接し方が人として対話しているというか、子ども扱いしてないんですよね。1人の人として、ちゃんと子どものことを見て切磋琢磨している感じ、人間味があって、このお母さん像がすごい素敵だなと思いました」と話す。

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役作りでは子役の阿比留照太くんに助けられた。「現場に行ったら、照太くんが現場に遊びに来ていて、高良さんとめっちゃ仲良くなっているんです。最初はちょっと焦ったんですけど、そういう子だったんですよ。私にもすごく懐いてくれました。楽しくお芝居をしてくれるし、夜、疲れたっていう時はとことん疲れたっていう顔をしている。ありのままでいてくれたので、自分もそのまま、ずっと一緒にいられました」と感謝する。「こういう才能のある子役たちはすごいなと思いますね。彼は初めてのお芝居だったのにも関わらず、台本1冊丸々覚えているんじゃないかというぐらい覚えていたし、私のセリフまで覚えていて、私が『何だっけ?』というと教えてくれるんですよ(笑)。本当に役柄のまんまで、しっかりしている子。だから、母親っぽくいることができましたね」。

プライベートでは2018年7月30日に俳優の勝地涼と結婚。昨夏の猛暑の中の撮影時は妊娠中だった。「『あんまり言うな』って言われているんですけど、時期がかぶっていて、自分がもうすぐ母親になるなっていう時ではあったので、何年か後ってこんな感じなのかなって、すごく考えていましたね。結婚もしていましたし、早くこうなりたいなという夢がどんどん膨らみました。同時に、『私ってこんな不安症だったっけ』となるぐらい不安症になっていました。繊細な時期だったんですよね」と素直な気持ちを明かす。

撮影直前の6月18日には最大震度6弱を記録する大阪北部地震も発生し、樋口氏は一時、撮影を危ぶんだ。「前日にロケハンして、すぐ東京に帰ればよかったんですけど、何かうまいものを食べて帰ろうと思っていたら、地震に遭遇してしまいました。もう死ぬかと思いましたね。この映画も流れると思いました。ところが茨木の人からは『いや、逆にこういうときだから作ってください』と本当に素晴らしい意気込みをいただき、頑張ることができました」と明かす。

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前田もロケ中に、市民が映画にかける思いを肌で実感した。「すごく応援していただきましたね。休憩場所も『使っていいよ』とウェルカムでしたし、商店街のシーンの時は、撮影に関係なしに普通にお買い物する方たちもいるんですよ。なのに、『あー! 撮影してる! 頑張ってね!』って普通に通り過ぎていくんです(笑)。みんな混じって普通に映ることを嫌がらないですし、『あ~、来てくれたのね!』という感じでいてくれるので、ありがたかったんです」。

そんな温かい協力はあったが、スケジュールはタイトだった。樋口氏は「今だから言えますけど、100本くらい撮った監督がこなせる日数だと思いましたね。ただ、演出的なことは心配ないんですよ。これは、あっちゃんのおかげです」と感謝する。撮影は約12日間で、前田の出番は9日程度だったと聞かされると、「すごいですね! そんなもので映画って作れるんですね! スタッフの皆さんがすごかったですもんね」とビックリ。樋口氏は「いや、普通は撮れないです」と苦笑交じりに答えていた。

18年の前田は公私ともに多忙を極めた。舞台「そして僕は途方に暮れる」(演出・三浦大輔)、ウズベキスタンロケした主演映画「旅のおわり世界のはじまり」(黒沢清監督)、「町田くんの世界」(石井裕也監督)の出演。「ずっと流れるようにいろんな作品に参加させてもらっていたので、なんか乗りやすかったんですよね。特に1カ月間、海外に行っていたので、勢いがあったんです。とりあえず飛び込んでいける感じがしました。その間で結婚しましたからね。不思議な半年間があって、最後に過ごしたのがこの作品。だから、日数は少なくても思い出もすごいありました」と話す。

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自身のフィルモグラフィーにも、大きな1本になった。「1テイク、2テイクでOKもらっていたので、不安はもちろん大きかったんですけど、何回も撮ればいいってもんじゃないなと思いました。苦しんだ映画って、出来上がったときに見ると、大体やってよかったって思うんですよ。今回もまさに。すごい好きなタイプの映画でした。だから、マネージャーさんに『やばい!めっちゃ面白かったんですけど。葬式の名人って』とメールしたんです。そしたら、『あー、よかった。でも本当映画が好きな人たちが作ったオタク映画だよね』って。『私もオタクってことか』って聞いたら、『そうだと思うよ』って返ってきました」と笑う。

観客に向けては「すごく自慢できる映画ができました。何も考えずに見てほしい。映画の世界ってこういう感じだよねっていうのを味わって欲しい。最後は前向きに描かれているのが素敵だなって思ったんです。本当に綺麗な作品でもありますし、映画に興味を持っている若い人たちに見てほしい」。樋口氏も「ホームドラマのようであり、ラブロマンスで、青春映画でもある。ファンタジーの器のなかで越境していく映画。もちろんシニアの方にはもう当然見ていただけると思うんですけども、若い人に見てほしいですね。僕としては、プログレな映画っていうのを力説したい感じです」とアピールしていた。

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