「「観念」vs「ゴジラ」の決戦、「憎しみ」vs「想い」の終章」GODZILLA 星を喰う者 平田 一さんの映画レビュー(感想・評価)
「観念」vs「ゴジラ」の決戦、「憎しみ」vs「想い」の終章
覚悟の上での結末だと、ボクは映画を受け止めました。
ハルオ・サカキが戦い抜いて、気付いてしまった「己」のことや、胸中の「心残り」、2章のガルグの「とある台詞」…特撮でこそ輝くゴジラをアニメーションという無謀(?)で置き換えた作品は、個人的な見解ですが、ちゃんと立派なゴジラですよ。まあファンってわけじゃないので、異論が来ちゃうとアレなんですが(笑)
というかこの作品は一度で咀嚼ができない映画。キャラクターの旅路の果てには、きっと意見が割れるだろうし、“あのシーンはどういう意味!?”と掴み切れないところもある。ただそういう「相容れなさ」を共有できる物語って、今は少なくなっているから、スゴく貴重なことだと思う。まあアダムの退場パートは、さすがに雑だと思いましたが(自分なりに解釈したけど、それでもやっぱり、ねえ)w
なので咀嚼の手掛かりを見つけることがオススメです。自分は『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』(2004)と「翠星のガルガンティア」(2013)。この二つを想起しました。一応理由もちゃんとあります。
前者はゴジラがギドラから、人がX星人から、星と命を守るためにリンクしていく最終決戦。ファンの間じゃ相当評価が低いとどこかで聞きましたが、ボクは嫌いじゃないですよ。ラストも悪くなかったです(あそこでゴジラと人類は“通ずるもの”を見た気がするし)。本作においてもそれはゴジラvsギドラ戦や、ハルオvsメトフィエスにしっかりと感じられて、滅ぶことでの解放か、未来の為に生きる道か?非常に難しいテーマを、逃げずに模索してました。
一方の後者においては、コインの「表」と「裏」でした。少年レドが地球に迷って、人類を知る展開と、地球の過去を忘れられずに地球へ戻って来たハルオ。一見異なるように見えて、少し似ているところもある。でも根本はまるで違って、二人の未来も真逆の道。それこそボクが序文で述べた、ハルオが気付いてしまった“己”、ガルグの“台詞”が露わにさせた、“ある結論”に繋がっていて、何というかやるせなくて、スゴく哀しくなりました。レドはエイミーがいたからこそ、過去をこれから未来へ紡げる。ハルオもマイナと歩くことで、フツアの側とも人の側とも異なる、別の未来というか、第三の道というのを、一緒に探していけたはず(それだと流石にハッピーエンド過ぎるかなあ?どうだろ)…それゆえのもどかしさが、あの最後に宿っていました。
悲劇とも取れるラストをどう見るかは人それぞれ。ですが一番大嫌いな“特攻賛美エンド”ではなく、間接的に“負け”を認めたラストシーンは…ボクは好きです。ハルオのあの決断を、マイナはどう思ったのかな?それもいつか小説とかで、触れてみたいので、楽しみです。
追記:ネタバレしちゃいましたが、メインヒロインはマイナです。読んだ方々、この作品でマイナにハートを盗られてください(笑)とにかくメチャクチャ可愛いです!これはユウコ、完敗ですわ(泣)
初めまして。コメントありがとうございます。
確かに、いろいろと考察の余地があって、観れば観るほど、考えれば考えるほど、味が出て来る三部作になっているような気がします。
シリーズの他の作品も、ぜひぜひご覧下さい! 特に第1作とこの三部作とでは、ゴジラに対する解釈が丸っきり正反対なので、比較してみるのも面白いですよ!