劇場公開日 2018年11月9日

「(長文)映画と「ボヘミアン・ラプソディー」という曲と」ボヘミアン・ラプソディ しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0(長文)映画と「ボヘミアン・ラプソディー」という曲と

2018年11月23日
iPhoneアプリから投稿
ネタバレ! クリックして本文を読む
しろくま
しろくまさんのコメント
2018年11月23日

カミツレさん
ありがとうございます。
この映画では、フレディのマイノリティ性を描くにあたって、人種のほうに重きを置いた、ということなんだと思います。冒頭から家族を描き、名前を変えるエピソードを挟み、ラスト、ライヴ・エイドに向かう途中で実家を訪れて、ライヴ中継を家族が見る、と。
レビューにも書きましたが、この映画はあくまでもフィクションです。商業ベースの、音楽映画というフォーマットに入れるために、事実と異なるストーリーにしてあります。そして、やはりレビューに書いた通り、そのこと自体は良しとしています。
セクシャリティのことも含めて、最後には家族も認めた。そうして“浄化”されたように描いていること自体が、家族という価値観を上位に置いている描き方ですよね。
その上で思うのは、LGBTのことは描きにくかったんだろうなあ、ということ。彼の音楽性、デザインのセンス、さらに言えば男性4人のバンドにクイーンと名付けたことなどにも、彼のセクシャリティの影響はあったと思うのですが。

しろくま
カミツレさんのコメント
2018年11月23日

しろくまさん、はじめまして。
クイーンの曲の歌詞とフレディ・マーキュリーの人生の物語とを結びつけて論じるレビューがようやく出てきた!と興奮し、レビューの内容にも深く共感させていただきました。

私も、『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞の中で「フレディが殺したのは彼自身である」という解釈に、非常に説得力を感じます。
セクシャリティの問題もそうですが、付け加えて言うと、彼自身の出自や容姿についてのコンプレックスも関係があるのではないかと思います。
映画の中でも、フレディが「ファルーク・バルサラ」という本名を捨て(戸籍まで変えて!)「フレディ・マーキューリー」と新たに名乗るようになった場面が象徴的に描かれています。
この時に彼は、これまでの自分を“殺してしまった”という罪の意識を背負いながら、新たな自分に生まれ変わったのではないでしょうか。

カミツレ