劇場公開日 2018年11月9日

「圧巻のパフォーマンス」ボヘミアン・ラプソディ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0圧巻のパフォーマンス

2018年11月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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字幕版を鑑賞。英国の伝説的ロックバンド,クイーンの結成からライブエイドでの圧巻のパフォーマンスに到るまでの流れを,主にリード・ヴォーカルのフレディ・マーキュリーの生き様にスポットを当てて描いている。ビートルズが活動を停止した 1970 年より遅れること3年,1973 年に結成されたクイーンは,1991 年にフレディが死去した後も活動を続けており,15 枚のスタジオ・アルバムと,それから派生した数多くのシングル・カットによって,トータルセールスは2億枚を超えており,「世界で最も売れたアーティスト」に名を連ねている。

1973 年当時高校2年生,1991 年には博士号を取得した私は,クイーンの全盛期をリアルタイムで知っている世代であるが,それほど熱心なリスナーではなかった。それでも,彼らの主要なナンバーは,自分の若かった時代の忘れがたい記憶として残っている。

クイーンの結成や,フレディの独立騒ぎなどについては当時小耳に挟んだ程度で,今回の映画化でその詳細を知ることになった。また,フレディの死因がエイズに起因する免疫不全によるニューモシスチス肺炎であることを聞き,彼がバイセクシャルであったことや,多くの男女と関係を持つという異常な暮らしぶりであったことなどを噂に聞いたが,その様子もこの映画で知ることができて非常に興味深かった。

脚本は丹念にエピソードを拾っており,製作と音楽監修に主要メンバーの二人,ブライアン・メイとロジャー・テイラーが加わっていることから,ストーリーのリアリティは非常に高いものになっていた。また,最後の 20 分をほぼライブエイドのステージの再現に当てており,その出来の良さと相まって本作の非常に大きな見どころとなっていて,観客はあたかもライブエイドの7万人を超える観客の一部と化したかのような臨場感が体験できるという作りになっていた。リピーターが多いというのも納得である。

フレディは,人類史上稀有な才能を持つミュージシャンであったが,両親との価値観の乖離,マイノリティ民族出身というコンプレックス,バイセクシャルという特異性などを渾然とさせたような人格の持ち主であったらしく,特に破滅的で刹那的な日常を送っていたことが描かれている。彼の名声や収入は,自身の才能に応じた真っ当なものであったが,その使い道は自虐的で,仲間とも軋轢を生じさせていた。音楽以外の部分での冷静さがやや欠落していたのが命を縮めた原因であるような気がしてならない。

俳優は,よくもまあこれだけ似た人を集めたものだと感心させられた。楽器の経験はそれぞれほとんどないとのことだったが,役になり切るために徹底的に練習を積んだらしい。特に,本人がまだ現役で活躍中のブライアンとテイラーの演技指導は直々に行われたそうで,非常に見事な演奏シーンに仕上がっており,アップで寄った場面でも,リアリティを失うことはなかった。

タイトルになっている「ボヘミアン・ラプソディ」は一部のみがライブエイドのステージ上で演じられているが,その歌詞の字幕の見事さには惚れ惚れした。フレディの人生が歌詞に反映されているような気がしてならないような絶妙な訳詞となっていたのである。これらの曲を書いた時点では,フレディはエイズとは無縁であり,死からも遠い存在だったはずなのに,あたかもサッカーで超ロングのスルーパスを自分で蹴って自分で受けたような不思議な感覚に陥った。

惜しかったのは,フレディが7歳の頃からピアノを習っていて,ラジオで聴いた曲をピアノで直ちに再現してみせたという才能を感じさせるエピソードも入れて欲しかったことである。これがないと,突然フレディがピアノの名手になっているのが不自然に感じられてしまうのではないかと思った。また,「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の冒頭部の「ズン・ズン・パッ!」というリズムのアイデアをブライアンが説明するシーンで,「3拍目に拍手」という字幕は,「2拍目」の誤りだろうと思った。

音楽はクイーンの音源がそのまま使われていて,出演者は口パクだったはずなのだが,全くそれを感じさせない見事な熱演には感服させられた。特に,ライブエイドの 20 分のステージは,残されている動画の完コピを意図したようで,ステージ上の移動から,腕を上げる角度やそのタイミングまで,実によく研究されていた。まさに生き写しで,非常に感銘を受けた。クイーンの曲を1つでも知っている人にはお薦めしたい作品である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点

アラ古希