リチャード・リンクレイター 職業:映画監督のレビュー・感想・評価
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「才能」とは、行動力と実現力である。
このドキュメンタリーを見ながら、数年前のアカデミー賞で「6才のボクが、大人になるまで。」が作品賞を逃し、監督賞も別の監督の名前が呼ばれた時のショックと、その後数日に亘って(私自身とは直接の関係もないというのに)しばらく落ち込んでいたことを思い出した。それほどにリチャード・リンクレイター監督は、私のお気に入りの監督の一人だ。この映画は、リンクレイター監督が、映画監督として誕生し、「エブリバディ・ウォンツ・サム」を製作するに至るまでの軌跡を辿るドキュメンタリー。リンクレイター監督の素顔を覗くというよりも、映画監督としてのリンクレイター監督の実に正直な等身大を見るような映画だった。
私のような凡人からすると、映画監督でも芸術家でも小説家でも音楽家でも、作品を創造する方々には私などとは違った才能が有り、余程クリエイティビティに長けた人たちなのだろう、と安易に思ってしまう。すべてを才能のせいにする方が、凡人の言い訳としては簡単だからだ。しかし私は、今回リチャード・リンクレイター監督のドキュメンタリーを見ながら、そうか、何かを創造する人たちが持つ「才能」というのは、クリエイティビティではないしセンスでもなく、行動力と実現力なのだということをひしひしと感じた。クリエイティビティやセンスは、後から磨くこともできる。経験から身に着けることもできるし、有能なスタッフを揃えることや優れた機材を使うことで補うこともできる。ただ、行動力と実行力は違う。実現したい目標が生まれた時、そこにたどり着くために自分がすべきことを逆算していく計算力。これを作りたいと思った時に、よしやろう!と一歩踏み出す力。それだけは、だれの力を借りるでも経験に頼るでもなく、自己の中から生み出さなければならない。きっとこの世に数多いる有能なクリエイターたちには、その行動力と実行力があり、そしてその力を持たない私のような人間が言い訳のように「あの人には才能があるから」と語るのだということを、まざまざと見せつけられた気がした。
テキサス・オースティンで映画製作を開始し、ハリウッドからは常に一定の距離を保ちつつ映画を撮り続けたリンクレイター監督。そうだからこそ、ハリウッドの祭典であるアカデミー賞では冷遇されてしまったという側面もあったのかもしれない。映画界で最も権威のある賞と言われつつも、所詮は人が人を選ぶ賞である。人には思い入れや情があるし、過去にも思い入れや情でオスカーを受賞した(あるいは逃した)例は数えきれないほどある。
私はこのドキュメンタリーを見て、あの年、リンクレイター監督と「6才のボク」がオスカーを受賞出来なかったことは必然であり、寧ろオスカーを逃して正解だったと思えるに至った。リンクレイター監督にふさわしいのはオスカー像ではなく、彼が彼らしく撮った作品そのものなのだと、熱心なファンとして今素直にそう思う。
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