「音楽がないと、日常性のリアリティが強まる」ジュリアン abukumさんの映画レビュー(感想・評価)
音楽がないと、日常性のリアリティが強まる
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最後のエンドロールに音楽が全くないので(今どき珍しい!)気が付きましたが、全編、パーティで歌うバンドのシーン以外には音楽がつけられていなかったと思います。
音楽なしにこれだけのサスペンスというのも珍しい映画ですが、それだけ日常の音にリアリティを感じることができます。
ジュリアンの父親の荒っぽい運転操作と乱暴に吹き上がるアクセル音やブレーキ音、路肩をタイヤが擦る音などに彼の苛立ちと妻に会えない焦燥感が現れてきて、怖がっているジュリアン自身の心理も表情以上に伝わってきます。
唯一の音であるバンドが演奏している音楽がCCRの「プラウド・メアリー」など古いアメリカ音楽というところも、現代フランス社会を描く映画として意味深です(このパーティの位置づけ自体はもう一つよくわからなかったですが……)
音楽にどんな意味があるかと思って調べたら、CCRにこだわっていたのではなくて、夫のDVに苦しんで乗り越えたティナ・ターナーへのオマージュという監督のインタビュー記事がありました。なるほど、そういえば昔、彼女は旦那のアイクとデュオ組んでたときこの曲をカバーして大ヒットしたんだ。舞台裏は地獄だったのかもしれない。
最後は、日常では起こりえないように思えて、実はDVの末路としての日常がサスペンスいっぱいに描かれる。重いけれど、正直な映画です。
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