あなたはまだ帰ってこないのレビュー・感想・評価
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苦しい…
とにかく息苦しい。夫をナチスに囚われ、帰りを待つ妻。ナチス占領下のパリでドイツ軍人に近づきつつ、夫の消息を探り続ける。やがてパリはドイツから解放され、捕虜も戻ってくるが、ここでもまだ夫は戻ってこない。同様に帰りを待つ者を励ましながらも、本当は死んでいるのではないか、仲間が嘘をついてるのではないか疑い始める。彼女自身の自問自答、なぜ夫だけ戻らないのかなどの嫉妬や心の葛藤を独白するシーンが息苦しくさせる。帰還した捕虜もあり得ないくらい痩せ細っており、戦争の酷さを際立たせる。しかし、ようやく夫が生きているという情報が入るも、生きているのがやっとで、仲間もわからないほど、顔も変わり果てていると言う。そんな状況を見るなら、死んでる方が幸せなのかもしれないとも思ってしまったが、どんな状況でも会ってほしいと、この息苦しさから解放されたいと思いながら見た。しかし、映画は感動的再会シーンをあえて描写せず、次第に回復した夫と海にいるシーンへ。夫と二人で会話してるシーンもなく、挙げ句、2年前から考えていた離婚を彼女から切り出し、理由は夫不在時に支えてくれた仲間ディオニスの子供を生みたいからだと言う。え〜え!!ディオニスとはちょいちょい怪しいと匂わせシーンはあったが、あれだけ戻ってきてほしいと願っていた夫にすることだろうか。。確かに愛しているとか、夫との幸せな回想シーンがそんなになく、戻ってきてほしいのはわかるけど、そんな描写があれば余計に悲壮感漂うのにとは思ったが。。引っ張るだけ引っ張って、ラストでがっかりと言うか、どっかり疲れてしまい、共感できなかった。色んな愛の形、妻という責任においてということなのだろうか。
字幕を読む=小説を読む感じ・・・
作家マルグリット・デュラスの自伝的小説を映像化した作品。前半はナチスの手先である男ラビエとのやりとりが中心で、自らもレジスタンス仲間と連絡を取り合う時期でもあったのでスリリングでした。夫を密告したのは誰だ?という疑問もあるけど、自らもラビエに「写真の男に見覚えはないか」と詰問され、いかにして仲間を裏切らないでいられるか・・・という心の揺れも見て取れる。写真の男が最後に登場するのもビックリだ。
女性一人で夫の帰りを待つなんてのは精神を保つだけでも大変なこと。釈放してやるから仲間の名前を言え!なんて言われちゃうと・・・という見どころ。そして、彼らのやり取りを見届けようとするディグリスや仲間たち。パリ解放が近づくにつれ、逆にナチスを処刑してやるんだという強い信念がマルグリットを支えるようになった。
しかし、パリ解放となっても夫は帰ってこない。もう死んでるんじゃないの?仲間は夫の死を知ってて隠してるんじゃないの?と、再び心が砕け散りそうになるマグルリット。といった感じで全編彼女のモノローグで繰り広げられる映画。わかりやすいけど、文学的な言葉遣いもあるため、映像表現がおろそかになっても気づかない・・・もっと工夫があればいいのに。
ラストの海岸のシーンは印象的でしたが、wikiを調べる限りではロベールとは離婚しているので、そのままの言葉として受け止めてもいいのだろう。まるで死を克服するまでの妻の務めを果たし、夫不在の間に彼女を支えていたディオニスの愛が勝ったのだと・・・
邦題はセンスがあると思う
「待つ女」というのが主題だと考えられる本作。しかし、少し違う。特に前半と後半で。
障害を持つ娘の帰りを待つ老婦人だが、最後に娘が死んだ、という報を受けても、「一方的に言われただけ、単なる噂かも」と言う。この時、老婦人は「待つ女」というよりも、もはや「待つことを選んだ女」といえよう。パリ解放後、「夫が帰って来れない(帰って来れる体でも、死んでいても)」という大前提が崩れ、夫が自由になり帰ってくる、or夫はもう死んで帰って来ない、という二者択一となり、待つ女はその選択を迫られているのだ。信じて待つか、諦めてしまうかを。
そしてこの一連の「苦悩」こそが、ディオニスに問われた、「ロベールを待つことと君の苦悩、どっちが肝要なんだ」という種の意味の質問に集約される。ここでマルグリッドはロベールを諦め(たと私は考える)、ディオニスと結ばれる。そしてロベール生存の報が届くのだ。そう考えると恐ろしくよくできてるな。
マルグリッドが時々分裂するのも、信じて待つマルグリッドと諦めたマルグリッドの分裂だと考える、ロベールが帰ってきて階段を駆け下りるマルグリッド、窓から外を見るマルグリッド。
屋内と屋外の使い方が光る今作。「車道を歩いたり、歩道を歩いたり」を繰り返すマルグリッドは、ドイツ車(戦車、捕虜車も)走る車道に出て、ゲシュタポに挑むか、仲間のいうように慎重に行動するか、心揺れている。しかし、少なくともパリ市内を歩けていた。特にラビエに勝利した後の自転車のシーンは彼女のゲシュタポへの勝利だろう。
しかし一転、パリ解放後、街中のお祭り騒ぎにはマルグリッドはブラインドを通して、淡い光や人影を見つめることしかできない。ロベールの安否わからぬままでは歓喜に酔う外界とは相容れないのだ。
「あなたはまだ帰ってこない」は「苦悩」をよく表した言葉だ。すぐに帰ってきてくれれば、問題ないのだ。しかし、「あなたはまだ帰ってこない」を繰り返し、ロベールの生存を諦めてしまったマルグリッドには彼に会う資格はない(と彼女は思っている筈だ)。彼女は会いたくない、と繰り返す。しかし、ここからどう向き合っていくのか?というのが、ワクワク。少なくとも2年は一緒にいるし。不勉強なので原作は読んでないが、挑戦してみたい。
前半が割とつまらなく、後半との対比の意味では面白いなー、と思った程度。あと隣の席のご老体が肝心の後半で寝こけてて、もったいないと思った。でも、2時間はたしかに長いな。前半あんなにいるか?
デュラス作品を読んでいるかのように感覚になる
原作はマルグリット・デュラスの『苦悩(LA DOULEUR)』。
デュラスの実体験、それも第二次世界大戦中に書かれた日記がまるのまま挿入されているという作品です。
第二次世界大戦終戦から相当の年月を経たある日、わたしマルグリット(メラニー・ティエリー)は2冊の日記を見つける。
戦中に書いたものだが、たしかにそこに書かれていることは生々しく記憶しているが、そんな日記を書いたことはまるで憶えがなかった・・・
時代は1944年6月、ナチスドイツ占領下のパリ。
わたしの夫ロベールはナチスに逮捕され、刑務所に収監されている・・・
というところからはじまる物語で、戦時下のハナシだけならば、戦下のメロドラマっぽい雰囲気。
だけれど、『二十四時間の情事(ヒロシマ・モン・アムール)』『かくも長き不在』のマルグリット・デュラスなので、一筋縄ではいかない。
記憶・認識・・・というのが、デュラス作品の主題のひとつなので、この映画も映画にするときにそこいらあたりに十分配慮している。
わたしマルグリットの一人称を強調するように、単焦点レンズで撮って、そのとき撮るべき対象以外はぼやけている。
そして、その対象はマルグリットばかりでない。
記憶の奥底から何かを引き出そうとしたような映像。
そこに、ときにはモノローグが被さる・・・
なかなかチャレンジングな映像表現である。
夫ロベールの行方を探すうちに、ゲシュタポの手先である刑事ラビエ(ブノワ・マジメル)と懇意になり、情報を引き出すためのやり取りが描かれる前半は、物語の起伏もあり、かなりスリリング。
つまり、ストーリー映画として愉しむこともできる。
が、後半、帰還者が増えるなか、戻って来ない夫を待つ段になると、ストーリー性は喪われ、少々、観続けるのがつらくなってくる。
そんな中、終盤は急転直下の展開。
衰弱に衰弱を重ねたような姿で夫ロベールが帰還するのだけれど、マルグリットのこころは、自分を支えて助け続けてくれたレジスタンスのサブリーダー・ディオニス(バンジャマン・ビオレ)に、いつしか惹かれていた・・・
えええええ、な展開。
それも、先に述べたチャレンジングな映像表現が災いしたのか、マルグリットの転心ぶりがあまり伝わってこない。
もしかしたら、終盤現れる「ふたりのマルグリット」のショットが、それを表しているのかもしれないが・・・
と、観ている側としては少々わかりづらいところが無きにしも非ずなのですが、まるでデュラスの作品を読んでいるかのように感覚になるあたりは評価したい作品です。
ほぼ出ずっぱりのメラニー・ティエリーは好演。
内省的な独白形式をとりながら、自分という「ある女」の内面に迫る
苦悩している自分を見るもう一人のマグリット。 帰って欲しいのか。帰って欲しくないのか。思いは千々に乱れる。
電話を受け取りドアを開け、夫の元に駆け寄る。それが夫を待つ妻である自分の取るべき行動のはずなのだが、もう一人の自分はそれを冷ややかに見ている。
疲弊。緊張。怠惰。諦観。
ラスト。緊張感と息苦しさからようやっと解放されるのかと思いきや、安易な喜びに浸らせてはくれない。
マグリットと愛人の関係は夫も公認の仲だが、夫を一番に愛しているのだと思い込んでいた私にとって、この仕打ちたるやどうしてくれよう、という思い。
死産の夢は、過去に起きたことだったのか、それとも夫がまとう収容所の死のイメージからか。愛は去った、ただそれだけが理由なのか。
彼女は愛人の口から「夫が死んだことにしてくれ」と決着をつけてもらいたがった。しかし彼はそれを許さない。マグリットの心を見透かしていたのか。
「夫は収容所で死ななかった」という一文は非常に客観的でマグリットの気持ちは隠されており、狡猾。
待つことで夫への愛は成就したとでもいうのか。勿論彼女は夫を愛していたのだろう。死んで欲しかったわけではない。こうなったのはただの結果であり誰も悪くはない。ただ、夫が「死ななかった」原動力はマグリットへの愛であることを考えると、やはりやりきれない。
情報の少ない戦時下で、生死の分からない家族を待つという普遍的な苦しみを体現しているのは、ユダヤ人の娘を持つ母親のほうであろう。
彼女の姿からは、拉致被害者の家族を嫌でも思い浮かべる。前にも進めず諦めもできず、人生という時が停滞した苦しみを味わい続け、頭の片隅ではもう生きていないかもと思いつつ、「もし生きていたら」「生きていることを信じなければ」という思いが、頭の片隅に存在し続ける。長い人生で心の底から晴れ晴れとした気持ちを味わうことも無く。
マルグリットへの感情移入はつゆとも起きなかったが、ある個人の目を通して、戦争のある日常の重苦しさを体験することは有意義だった。演じるメラニー・ティエリーの匂い立つような色気と知性、演技力は素晴らしい。
引き込まれた
作品としては決して観やすいものではなかったのですが、マグリットの感情の描写と演技が非常に上手くて、スクリーンに引き込まれました。また、台詞が文学的なので、上質な本を一冊読み切った感覚になります。
戦場にいる夫の帰りを待つ妻というのは、もしかするとただの幻想なのかもしれません。見えない未来を待ち続ける事や全体主義の中で反体制として女性がひとり生きる事は並大抵の事ではないと思います。マグリッドを身勝手だととらえる事は簡単ですが、ナチスに協力した大概のフランス人も自分勝手なのです。
マグリッドを救ったのは、物事を俯瞰的に見て深く考察する彼女の哲学的精神だと感じました。ラベルからの情報を必要としたのも自分が置かれた状況を確認する為、マグリットという自己と待つ妻という悲劇のヒロインを分離する為、だったのではないでしょうか。苦悩というとネガティブなイメージがありますが、苦悩が彼女を奮い立たせた。マグリッドは苦悩する事によって、あの時代のあの場所で生きる事ができたのではないでしょうか。
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