あなたはまだ帰ってこないのレビュー・感想・評価
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重いとはわかっていいつつも、
たまたまではあるけど、見てみた。
当時の待つ女性の心情を描いた作品、つらく重い日々だけど、こういう人が当時はたくさんいたんだろうな、と。
こういうことは繰り返してはいけないし、あってはならないものだ。
と、そう言うのは簡単でも、やはり当時の人たちのその苦悩はなかなかに表現しきれないものがあると思う。
ナチス占領下のパリを知る映画
ストーリーは私小説的な部分が多いので、拘束されている夫を待つ不安な気持ちがよくわかった。
それ以上に第二次世界大戦中にパリをドイツに占領され、ナチスがフランス人を管理していた様子に驚く。
レジスタンスの活動はあったにせよ、それは一部の人たちで多くのフランス国民が、その占領された状況に我慢していたことに驚く。
【第二次世界大戦中、夫の帰りを只管に待つ妻の物語。だが、夫の生還後、妻の取った行動に”マルグリット・デュラスさん、如何に恋多き女性とは言え・・”と男性目線で思ってしまった作品。】
ーマルグリット・デュラス:20世紀フランスを代表する女性作家。恋多き女性として、自分の少女時代のフランス領インドネシアでの経験を綴った「愛人/ラマン」は、世界的なベストセラーとなり、映画化もされた。(劇場にて鑑賞したが、非常に面白かった・・。)
今作は、「愛人/ラマン」が刊行された1984年の翌年に「苦悩」というタイトルで刊行された、デュラスが”私の生涯で最も重要な作品の一つである”と語ったと言われる作品を映像化した作品である。-
■1945年4月
ナチスに対抗する活動家である夫ロベールは政治犯として、ナチスに勾留されていたが、無事に彼女の元へ帰ってきた・・と言う”幻想シーン”から物語は始まる。
■1944年6月
・ナチス・ドイツは徐々に劣勢になっていたが、未だマルグリットの夫は捕らわれたままであった。夫の情報を得るために、ナチス側の警官で夫を逮捕したラビエと密かに会い、情報を得ようとするマルグリット。活動家の仲間であるディオニス達からは”軽率だ・・”と批判されるが、何度もラビエと会うデュラス。
ーラビエは、デュラス作品の”ファン”であることが、劇中描かれる・・-
そして、夫ロベールの移送情報を貰い、通行手形までもらって夫に会いに行く。移送されるトラックからロベールが移送先を告げる叫び声が・・。
・ナチス兵が撤退し、”パリ解放”の歓喜の中でも、マルグリットの表情は暗い。夫が戻って来ないのだ・・。TVから流される、ナチスに捕虜になった人々が虐殺されているという情報。
ーマルグリットの心象を彼女を演じたメラニー・ティエリーの抑揚のない沈んだ声で表現したモノローグが延々と続く・・。歓喜に沸く人々を冷めた言葉で観察する言葉が印象的である。-
◆ここまでは、”戦争の勝敗に関係なく、妻は夫の無事な姿を待っているのだ・・、”というストーリーだと思って観ていた・・。
・その後も、マルグリットは”熱のためか”夫は死んだ・・と思いこんだような、暗いモノローグが続く・・。
・が、ある日、ディオニスが”ロベールの仲間が10日前に彼に会ったと言っている”と言う情報を齎すが、マルグリットの表情は沈んだまま・・。
・そして、”ロベールは生きているが赤痢にかかり、4日と持たない状態だ・・”と言う情報が入り、ディオニス達は決死の思い出ロベールを1945年5月7日に連れ帰る。 が・・、何故かマルグリットは夫に会いに行くわけではなく、相変わらず暗い表情を浮かべている・・・。
ー何故、ロベールに会いに行かないのか????、マルグリット!-
対照的なのは、ユダヤ人の娘を待ち続けていたマルグリットと同居していたセッツ婦人の姿。娘が5カ月前にガス室に送られていた事を知り、去る姿。
<夫の帰りを只管待つ間に、”愛は移ろい、瞬く間に終焉してしまう”様を描いた作品。
戦後、夫と海に出掛けた際の、”夫との離婚、そしてディオニスとの関係性が語られる場面。”
原作では、途中からディオニスとの関係が赤裸々につづられているが、映画ではそのシーンが”ディオニスがマルグリットを励ます”形で描かれていたため、劇中のマルグリットの終始苦悩する表情が少し理解しにくかったが、
【貴女の苦悩とは、夫が帰ってきて欲しいという思いと、ディオニスと結ばれたいという思いの狭間での苦悩であったのか・・。
それで、夫を逮捕したラビエとも、余り後ろめたさを感じずに会っていたのか・・!】
と納得してしまった作品。
怖ろしきかな・・、マルグリット・デュラスの業に塗れた愛の深さ・・。
これが、創作ではなくマルグリット・デュラス自身が選んだ事実であるという事にも、男としては戦慄した作品である。>
才能に優れた女性は、男を利用して、そうして捨てる…
…という事実。
この作品(原作)は、その事に対する言い訳だったりアリバイ工作だったりをしている様にも思える。
確かに戦争は、人の自由を奪い人生を滅茶苦茶にするけれども、それでも才能に溢れた私は、男を利用して生き残る。でも仕方無かったのよ、戦争が全て悪いんだから…とでも言いたげに見える。
昔、ラ・マンを劇場で観て、偉く感動して2度見して、原作も読んだりした事があった。同じ、マルグリット・デュラスの原作で期待していたのだけれども、何か起こりそうで散々期待だけさせておいて、結局何も起きないフランス映画のご多分に漏れずで…とても面白いとは言えなかったナ。
あと、女優さんだけは、雰囲気があって良かったです。この人、「天国でまた会おう」で、主人公の憧れの女性の役をやっていましたよネ。
叫びに満ちた沈黙が続く苦しみ
捕虜となったユダヤ人の夫の帰還を待つ女。夫との感動の再会ではなく、ただただ、待ち続ける女の耐え難い苦悩と、彼女の内に秘められた叫びに満ちた沈黙だけが描かれているのが良かった。
死んだはずだと何度も言い聞かせてきた夫が生きて帰ってくると、待ち望んでいたその時のはずなのに、会いたくないのだと泣きながら、彼女は夫から逃げてゆく。
死んでいるに決まっている、そう考えたほうが良いのだと思いながら、夫の死体が転がっている溝のイメージに付きまとわれながら、彼との再会を待ち望むのをやめられない。
相反する感情の狭間でまさに引き裂かれるような苦しみを味わう女の日々を、原作の自伝的テキスト『苦悩』でデュラスは書いたが、これが映画ならではの方法で描かれていたのが面白かった。(私たちはほんとうに2人のデュラスをみることができる)
待つのはデュラスだけでない。
同じく捕虜になった足の悪い娘を待つ母親。多くの妻たち。母たち。
女たちはずっと、待ち続けている。
戦時下の苦しみを描く映画ながら、美しいイメージがいくつか印象に残っている。
彼女の部屋の、レースカーテン越しの柔らかい光。
夫が帰ってきたら行こうと決めていた、イタリアの海の輝かしい光。
このラストの海のシーンは、原作を読んだ時からずっと映像で観てみたかった。
移りゆく愛の形と、穏やかな海。観れて良かった。
原題に集約される女性の苦しみ
世界大戦はその名の通り世界中の人々を深く傷つけた。人々の犠牲のない戦争は存在しないが、中でも第二次大戦は開発された新兵器による大量虐殺が特に顕著になった戦争だ。当然ながら傷ついた人の数もそれまでの戦争とは桁違いに多かった。だから第二次大戦を題材にした映画の数も膨大である。
本作品は銃後の生活を扱っていて、レジスタンス活動で逮捕された夫を待ち続ける妻の話である。映画の前半と後半でテーマが異なっていて、前半では、古い歌で恐縮だが、かぐや姫が歌った「あの人の手紙」を思い出した。ご存知ない方のために2番の歌詞の一部を紹介する。
♪耐えきれない毎日はとても長く感じて~涙も枯れたある日突然帰ってきた人~ほんとにあなたなの、さあ早くお部屋の中へ~あなたの好きな白百合をかかさず窓辺に飾っていたわ♪ 要するに、理不尽に戦場へ送られた夫をひたすら待つ妻の話である。しかし3番の歌詞になると、♪昨日手紙がついたのあなたの死を告げた手紙が♪と、実は帰ってきたのは夫の幻影だったというオチになる。
本作品は妻の強かさという点で、かぐや姫の歌のヒロインと大きく異なる。ナチスに協力するフランスの戦時政権の官憲であるラビエを相手に、スパイ同士のような丁々発止のやり取りをする。
この映画を理解するための政治的な背景を簡単に書くと、ナチスに占領されたときのフランスは、抗戦派は追放され、あるいは亡命したので、政権はナチスに協力する政権であった。トランプ政権になんでも「100%一致している」と言って日本人の保険料もゆうちょの預金も差し出しているアベ政権と同じだ。そしてフランス国民の多くは傀儡政権であるペタン政権を支持した。第二次大戦時のフランス人は全員ナチスに反対するレジスタンスか、その協力者だったという印象が強いが、実はレジスタンスはほんの一握りで、多くの人はレジスタンスを逮捕したり、ユダヤ人を排斥する立場にいたのだ。
そんな背景があり、しかも主人公の職業が作家であるということを考えると、ナチス占領下のパリでの生活は、薄氷の上に立っているようなものであった。ナチス協力者が圧倒的多数を占めるパリ。東京都民の殆どがアベ応援団になっているようなものだ。しかし妻として夫の側につきたいという気持ちと、作家としての反骨精神の両方があって、ナチスの敗北と連合軍の勝利を堂々と主張する。前半はある意味爽快な感じさえする話だった。
しかし後半になると、妻や作家よりも女が前面に出てくる。夫を待つ妻の役割に疑問が浮かんでしまう。それに近くに自分を思ってくれる男がいる。遠くの親戚よりも近くの他人ということもある。待っているうちに夫のイメージが薄れていく。逆に近くの男の存在がどんどん大きくなる。もはや夫は失われた記憶に過ぎないものとなる。原題のフランス語「La douleur」は多義的な単語で、女性の苦しみのすべてを一言で表すような言葉だが、後半のイメージはまさにこの単語に集約される。
フランス映画は哲学的であるがゆえに冷徹だ。戦争中にナチスに協力したフランス人の富裕層の振る舞いを言い訳できないほどストレートに描く。また、夫を待つ妻が実は心の中は愛に飢える女であることを遠慮なく赤裸々に描く。人間は愚かで臆病で自分勝手な存在だ。それゆえにいつまでも戦争がなくならない。共同体との関わり、属する組織、属さない組織とのそれぞれの拘り、そして自分自身との関わりという3つのバランスを危うく保ちながら、綱渡りするように生きている。それは哀しいことでも嬉しいことでも、いいことでも悪いことでもない。人間はそういうものなのだ。本作品はそのように語りかけてくる。
圧巻の演技
主人公の主観を文学的に表現しながら進んでいくので決して観やすくはない。若干の疑問が残るのと少々長く感じた点は残念だが、撮り方、サウンド、人物など文句なしの作品。女性の本質は女性の誕生から未来永劫不変なのかもしれない。
それにしても名女優!
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