「原題に集約される女性の苦しみ」あなたはまだ帰ってこない 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
原題に集約される女性の苦しみ
世界大戦はその名の通り世界中の人々を深く傷つけた。人々の犠牲のない戦争は存在しないが、中でも第二次大戦は開発された新兵器による大量虐殺が特に顕著になった戦争だ。当然ながら傷ついた人の数もそれまでの戦争とは桁違いに多かった。だから第二次大戦を題材にした映画の数も膨大である。
本作品は銃後の生活を扱っていて、レジスタンス活動で逮捕された夫を待ち続ける妻の話である。映画の前半と後半でテーマが異なっていて、前半では、古い歌で恐縮だが、かぐや姫が歌った「あの人の手紙」を思い出した。ご存知ない方のために2番の歌詞の一部を紹介する。
♪耐えきれない毎日はとても長く感じて~涙も枯れたある日突然帰ってきた人~ほんとにあなたなの、さあ早くお部屋の中へ~あなたの好きな白百合をかかさず窓辺に飾っていたわ♪ 要するに、理不尽に戦場へ送られた夫をひたすら待つ妻の話である。しかし3番の歌詞になると、♪昨日手紙がついたのあなたの死を告げた手紙が♪と、実は帰ってきたのは夫の幻影だったというオチになる。
本作品は妻の強かさという点で、かぐや姫の歌のヒロインと大きく異なる。ナチスに協力するフランスの戦時政権の官憲であるラビエを相手に、スパイ同士のような丁々発止のやり取りをする。
この映画を理解するための政治的な背景を簡単に書くと、ナチスに占領されたときのフランスは、抗戦派は追放され、あるいは亡命したので、政権はナチスに協力する政権であった。トランプ政権になんでも「100%一致している」と言って日本人の保険料もゆうちょの預金も差し出しているアベ政権と同じだ。そしてフランス国民の多くは傀儡政権であるペタン政権を支持した。第二次大戦時のフランス人は全員ナチスに反対するレジスタンスか、その協力者だったという印象が強いが、実はレジスタンスはほんの一握りで、多くの人はレジスタンスを逮捕したり、ユダヤ人を排斥する立場にいたのだ。
そんな背景があり、しかも主人公の職業が作家であるということを考えると、ナチス占領下のパリでの生活は、薄氷の上に立っているようなものであった。ナチス協力者が圧倒的多数を占めるパリ。東京都民の殆どがアベ応援団になっているようなものだ。しかし妻として夫の側につきたいという気持ちと、作家としての反骨精神の両方があって、ナチスの敗北と連合軍の勝利を堂々と主張する。前半はある意味爽快な感じさえする話だった。
しかし後半になると、妻や作家よりも女が前面に出てくる。夫を待つ妻の役割に疑問が浮かんでしまう。それに近くに自分を思ってくれる男がいる。遠くの親戚よりも近くの他人ということもある。待っているうちに夫のイメージが薄れていく。逆に近くの男の存在がどんどん大きくなる。もはや夫は失われた記憶に過ぎないものとなる。原題のフランス語「La douleur」は多義的な単語で、女性の苦しみのすべてを一言で表すような言葉だが、後半のイメージはまさにこの単語に集約される。
フランス映画は哲学的であるがゆえに冷徹だ。戦争中にナチスに協力したフランス人の富裕層の振る舞いを言い訳できないほどストレートに描く。また、夫を待つ妻が実は心の中は愛に飢える女であることを遠慮なく赤裸々に描く。人間は愚かで臆病で自分勝手な存在だ。それゆえにいつまでも戦争がなくならない。共同体との関わり、属する組織、属さない組織とのそれぞれの拘り、そして自分自身との関わりという3つのバランスを危うく保ちながら、綱渡りするように生きている。それは哀しいことでも嬉しいことでも、いいことでも悪いことでもない。人間はそういうものなのだ。本作品はそのように語りかけてくる。