こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話のレビュー・感想・評価
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生きる
力強い作品だった。
誰しもがあんな風に考えられるわけでもないだろう。誰しもが、あんな風に潔くはなれないだろうと思う。
ただ、そこに踏み込みやってのけた人がいるって事が大事な事なんだと思う。
劇中には素敵な言葉が飛び交っていて、ハッとさせられる。
障害があるという境遇だからこその言葉ではあるものの、あまりにもソレらが当たり前だと傲慢に考えていた自分にも気づく。
助かったのは、ソレらが仰々しくもなく、感動的な演出をもされてなかった事だ。
おかげで、彼の目線や生活にすんなりと寄り添える。
お涙頂戴な作品なのかと思っていたのだが、なんのなんの、随分と豪胆な印象だった。
ふてぶてしい大泉氏がそうさせるのか、作品がもつ直向きさがそうさせるのか…どんな風に映るのかはお客様にお任せします的は開き直り感を感じた。
鹿野さんに負けないよう、必死なんだったのだろうと考える。
エンディングの「フラワー」がとても心地良かった。
自分を枠にはめない
筋ジストロフィーの鹿野と、それをとりまくボランティアのお話。
自分1人では買い物に行けない、寝返りも打てない、カップも持ち上げられない主人公。
夜中にバナナが食べたいとか、ハンバーガーを買ってきてほしいとか、ワガママを言いながら周りを振り回す。
自分では出来ないから、ボランティアに助けてもらわないと生きられない、
でもしてもらっていることに卑下するわけじゃなく、あくまで対等でありたいという気持ちが、口達者にぽんぽんとリズムよく出てきて爽快な気持ちになる。
しょうがいを持つ主人公だと、なかなかここまで主体性というかやりたいことが明確な人は珍しいかもしれない。
大泉洋がユーモアたっぷりに、ワガママだらけの嫌なやつ!ではない、ワガママだけどどこか憎めない、だって鹿野だもんなしょうがないよな、という役を演じてくれた。
しんみりするところも、笑えるところも、真剣なところも、メリハリをつけて見られた。
倒れたふりをしたりするのは、どうかと思うけど、体は不自由だけど心はのびのびした主人公を見ていると、大泉洋以外の役者じゃなくてよかったと思った。
高畑充希と三浦春馬は言わずもがな、振り回されるだけじゃなく、自分の意思を見せてくれたし、特にカップを投げる高畑充希が愛しくて、こころがぎゅっとなった。
出来ないことはたくさんあるけど、世界の範囲を決めるのは自分で、
嘘ついたならそれを本当にしてしまえばいいという言葉は、いろんな人を救うと思う。
公開終わりかけにどうするか迷ったけど、見てよかった。
生き様
「グッときた〜」という大泉洋の台詞に誘われ観に行った。
鹿野靖明。
筋ジストロフィーを患う実在した人物とのこと。
彼の生き様、ボラへの想い、家族への想いが伝わる作品だった。
これはひとえに大泉洋の演技の賜物だろう。
歯に衣着せぬ喋りに、呼吸器をつけた後の喋り方、彼の息遣い。
大泉さんの芝居が見事だったと思う。
美咲。
最初は鹿野を嫌っていたが鹿野と出会い、何かが変わったんだろう。
高畑さんが出ている場面は演じているというよりは良い意味で、こんな子いるよなという等身大の素の女性の日常を切り取った、そんな不思議な感覚を覚え、また魅力的に感じた。
おっぱいを触らせてあげた時は『洋ちゃん!なんだその役得は!!このシーンなくても成立するだろう!!(笑)』と心の中で叫んでいたが、そんな美咲の対応もまた彼女らしいとも思った。
プロポーズ。
鹿野も勇気がいったと思うが彼女も、かなり勇気が必要だったと思う。
美咲もまた魅力的なキャラクターだった。
実際に田中や美咲がいたのか、あんな出来事があったのかは、わからないが鹿野の想いや人となり、周りの人達の雰囲気は本物だと感じた。
美咲や田中の様に鹿野の影響を受けた人達が沢山いたのではないかと思う。
観終わってみると涙々というよりは楽しく面白く、鹿野の魅力溢れる場面が多かった。
そんな中で私が一番印象に残っているのは鹿野の家族への、、、特に母への想いだ。
彼の家族が登場するシーンは、そんなに多くはない。
だが、どれも印象深い場面だった。
初めて母親が登場した時、鹿野は母親を邪険にし、母親も慣れたように対応する。
最初は昔何かあって嫌らっているのかと思ったが、その真意を知った時、涙がこみ上げた。
特に印象深かったのは人工呼吸器を付け目覚めた時の彼の行動だ。
甘えたくないと言っていた彼が、母親を呼び止め手を握りしめてもらう。。。
彼が今出来る精一杯の甘えだ。
本当は母親の胸に飛び込み、縋り付き泣きじゃくりたかっただろう。
このシーンが一番心に残っている。
大泉さんの作品で泣いたのは『青天の霹靂』以来かな。
久しぶりに泣いたな。
こんな魅力的な人物に出会っていたら私もまた今とは違った人生を歩んでいたのかもしれない。
結局英検2級は?
命がけで生きている人の事だから楽しい場面も素直には笑えませんでした。「出来ないことは他人に頼る」ハンディキャップの有る無しに関わらずこんなに勇気のある生き方はなかなか出来ない事だと思います。素晴らしいですよね。ストーリーとは関係ないのですが、エンドロールで「英検二級合格も、アメリカ渡航もかなわず、、」(少し違うかもしれません)と出ます。私は英検二級に合格したけれどもアメリカには行けなかったと受け取りましたが、友人は英検二級も出来ずアメリカにも行けずと読み取りました。本当はどうなのでしょうか?教えてください。気になっています。
キャスティングが渋い
主役は大泉洋以外にないよね。大泉洋がいたから成立したような企画だったもん。そしてヒロインに高畑充希。この二人が無茶苦茶うまいからね。もうそれで大体大丈夫。
そこにもってきて渡辺真起子。そして宇野祥平。韓英恵をそこまで重要な役でない看護士に使える豪華布陣。
筋ジストロフィー患者を扱う題材だからね。ちょっと下手すると単純に泣かせる話になっちゃうから、これだけ役者を揃えたんだと思う。制作に気合が入ってる。
それで脚本もうまいよね。ここは感情高ぶらせていくだろってところも抑えめにできてる。
デートシーンで高畑充希が逆ギレするシーンがあるんだけど、ここで「あ、高畑充希も大泉洋と似た性格なんだ。だからぶつかるけど理解もしあえるんだ」って解るの。この見せ方がうまい。
お母さん役の綾戸智恵も良かった。手を握るシーンは号泣必至。
あと古川琴音いいね。バイト先の友人役で出てくるんだけど、パーティーシーンで高畑充希と並ぶとね、高畑充希を食っちゃう。演技はそこまでうまくないと思うけど、存在感あるのね。
そんなこんなで安心して観ていられて、笑いも感動もあるから、いい映画だよ。
涙腺が緩む。
筋ジストロフィーの鹿野とそれを支えたボランティアの話。
病院の天井の穴を数えたまま死ぬのはゴメンだ。鹿野はそんな病院が家で自宅での療養を望む。
死にそうになっても人口呼吸器はつけないし、とにかく鹿野はわがまま。ただ障碍者だからってなにも出来ないという考えを捨てさせてくれる。
人に支えて、助けてもらう勇気も必要なのだ。
鹿野は筋ジストロフィーになりながらも英検やアメリカ行きを夢見て努力する。なにかをやるのに遅いことはないのだ。
最後の方のお涙頂戴の演出はいらなかったなと。
好きな人を落とすための嘘ならいくらだってついていい。それでも後ろめたかったら、それを現実にすればいい。(鹿野)
もう夜更けに近くて。
レイトショーにて。
ポップコーンセットでコーラとビールと。
平日だったので、一人かと思いきや、ちょこちょこちょこと。
探偵はバーにいるとか、北海道が舞台っぽくて。
まあ、日本映画としては、悪くなかったと思います。
笑いあり、感動あり、社会への訴えもあり!
大泉洋さんの演じる鹿野さんのキャラが笑えるんだけど、色々なことを乗り越えてきて、複雑な思いを抱えながら前向きに生きていく姿が素敵でした。人は平等ではないかもしれないけど、どんな人でも幸せを追い求める権利はあるなと、それを社会がどうサポートしていくか考えさせられた作品でした。
鹿野さんを支える皆さんも完璧な人たちではなく、それぞれが悩みを抱えながら共生していくのがとてもよかったです!
自分の人生の主人公になる難しさと格好良さ
「こんな夜更けにバナナかよ」という題名はプロローグに過ぎなかった。理不尽な要求に、初めから振り回される美咲ちゃんの心の中のセリフが眼で叫ばれる。
途中、佐藤浩市(友情出演)の登場で、私の中の本気スイッチが押された。「ただのコメディーじゃないな、この映画」
主人公と彼を24時間365日見守る在宅ボランティアの関係を軸に、男女の関係、母子の関係、父子の関係、友人の関係、師弟の関係…と様々な関係にフォーカスがなされ、結局「『人間関係』にとって何が大切なのか」という問いを観客に提示し続ける。
自分を犠牲にして他人を活かすことが大切か?他人を犠牲にして自分を活かすことが大切か?
「そうじゃないでしょ」と主人公の鹿野さんは生き方でその問いに応えていく。
一見傲慢に思える自己主張。「でも、そうしないと1秒も生きられないんだから」
鹿野さんが呼ばれた講演会で、車椅子の少年が「鹿野さんが大切にしていることは何ですか?」と問うと、「自分が困っている時に、人に頼む勇気です!」と答える鹿野さん。
その少年は、その後、入院している病室で車椅子から落ちて困っている時、偶然通りかかった医者になる夢を諦めかけた田中君に助けを求め、田中君にとって大事なことを思い出させる。
そして、7年後のエンディング。
気管支切開をして人工呼吸器を付けざるを得なくても、常識を覆しアングラな方法で再び声を取り戻したものの、英検2級に合格し、アメリカに行って、自分を鼓舞してくれた自立生活運動家のエディ(…さんだっけ)に会う夢は叶わなかった。
しかし、夢多く生きた鹿野さんは、『美咲ちゃんと田中君に仲直りしてもらいたい』という夢を成就し、「カラオケに行きたい!」という夢も叶っていた!!
という事が分かる最高のエンディング。
鹿野さんはわがままで、勝手で、ストレートだった。でも、その結果の全てに自分で責任を取っていた。
自分の意志を大切に、覚悟して一瞬一秒を生きていた鹿野さんは、その点において偉くカッコいい。
鹿野さんの母親役の綾戸智恵がとてもいい。
歌い手も演者も、同じアーティストということか。
兎に角、死してなお、生きる意味と勇気を示してくれた鹿野さんの『愛しき実話』は、想像を越える良作だ。
もう少し、、、押しが欲しかった
CMや番組宣伝が良すぎ、期待感(泣ける)が高まっての鑑賞だったのですが、、、
何がどうと言えないですが「残念」というのが第一印象です。
最初の展開は面白い。そこからが、、、そこからが、、、
何か押しが足りず物足りない感じで終わりました。
とはいえ、劇中に出て来る言葉はグッと胸に来るものも多く「元気」を貰えました。
わがままに生きた鹿野さんの生きる努力、鹿野ボランティアの団結力は凄いですが(自分には)胸打つほどの「何か」を感じれなかったのが凄く残念でした。
勇気もらえたーーーー!好きな映画。邦画らしくないかも。
この予告編を何度も見てても興味わかずノーチェックだったのに、レヴューがやたらいいから観てきたら。。。。
え、すごくよかった。。。
なんなの、これ?
超わがままな、難病・筋ジストロフィー患者の鹿野さん。実在の障害者の方。
12才で発症し、20歳までしか生きられないと宣告されながら、30代で一人暮らしを始め、42才まで生きた。
首から上と、片方の手首しか動かせず、1人では何もできない彼は、自らボランティアを集い、のべ500人を超えるボランティアが彼を助けたと言います。
鹿野さんの武器は口だけ。いつも正直。
しかも、言いたい放題の毒舌。
でも、なんだろう。ファンが多い。
鹿野ファミリーと呼ばれるボランティアグループ。
『鹿野さんにとっては、どれもが、命がけのわがままなんだ』
三浦春馬くんが、鹿野さんにブチ切れる恋人の高畑充希ちゃんに言うセリフが印象に残ります。
少しずつ衰えていく体。命の期限は近づいている。
だから遠慮しない。したいことをやる!
できないことは、手伝ってもらう!
僕困っています、助けてください、と言える勇気が鹿野さんにはあり、屈託のない笑顔で相手を巻き込んでしまう魅力も。
観客は皆、最初は充希ちゃんと同じように鹿野さんに腹が立ち『障害者だからって調子に乗んな』と思わずキレたくもなる。
でも、喧嘩して、ぶつかって、本音で話して、お互いを理解することにより、身障者が本当に思っていること、そして、健常者だって色んなことで苦しみ、悩みながら生きていることを知る。
そこに、ようやく、うわべだけでない本当の意味の思いやりが生まれる。
20歳そこそこの三浦春馬くんも、高畑充希ちゃんも、もがきながらも自分の人生を切り開き、前へたくましく進むことができたのは、鹿野さんの丸裸な生き方と、そして心根の優しさに触れて、多大な影響を受けたのは間違い無いわけで。
これ実話です。
大泉洋さんが、もう鹿野さん役にドンピシャで、彼だからこその[憎めないキャラ]が説得力あったし、首から上しか動かせないから、ちょっとした表情とか目の動きで、彼の抜群の演技力が証明されたと思う。
三浦春馬くんと高畑充希ちゃんも、自然で、とてもいい。
特に充希ちゃん。なんて仕草が可愛いのか。声も好き。可能性を秘めまくった、きっとすごい女優さんです。
とにかくこの映画、観てよかった。。
ブラックユーモアもあり、お涙頂戴なベタ邦画らしくないところが好き。
「思いっきりやってみろよ」
「ぶつかってみろよ」
「お前は何が一番大切なの?」
命に限りがあるのは、みーんな同じ。
どう生きるか、何が大事なのか。
自分らしく生きる勇気やヒントをもらえますよ。
可もなく不可もなく
チョコポップコーン片手に一人鑑賞しましたが、どうにもお連れの方がいる人にとっては気恥ずかしくなる場面が少々見られました。
思っていたよりか恋愛色が強かったのが印象です。
また、実話である以上これはどうしようもないですが、登場人物の鹿野が頻繁に倒れたので、張り合いがなく、いまいち盛り上がりにかけました。どうせまた助かるんだろ、と。
ただ、映画としてはやはり流石の大泉といったところで、まるで本人が憑依しているかのようでした。
最後に余談ですが、途中のカップル間の関係がよじれるシーンでは、空気感がリアルすぎて端からカップルを指加えて眺めているぼくは手ぇたたいて喜びました
図々しい人生
筋ジストロフィー患者がボランティアと共に人生を全うする話。
他人のお世話になりながら図々しく生きる。そんなことがあっていいのかと思い見に行ってしまった。
鹿野はなぜわがままに生きれたのか?彼の、周りの人に愛されるわがままは、僕たち健常者がよく想像する煩わしいわがままとなにが違うのか?
彼はわがままさによって、不自由な体のまま自由に生きることを獲得した。なぜなのか。
・ユーモア
彼と一緒にいることは、時にボランティアの労力を上回るほど、楽しいのだ。
・情熱
彼の心は「やりたいこと」で満ち溢れており、ゆるぎない目標を持っている。普段、そこまで強い情熱を抱いて生きることができない僕らは、より強い情熱を持つ人に際し、その他人の持つ情熱の実現のために動くことで、自分のために動くよりも、むしろ充実感ややりがいを感じられるものである。
・本音でぶつかり合える
鹿野は言いたいことをなんでも言う。それどころかボランティアに対してはあくまでも対等なスタンスを取り続けている。常に介助される状態にいながら、貸し借りの一切ない関係を貫くことで、遠慮なく自分の心が望む通りに生きることができる。
他人にわがままを言えるようになることは、確かに自分らしく生きるためのヒントな気がする。でも、現実には僕らがそのように生きるのは、やはりとても難しい。なぜなのか。
・本音と気遣いの両立
鹿野とボランティアの関係は、ボランティア自身が心から支えたいと思わねば成り立たない。そのためには、遠慮のない関係を築くため本音でぶつかると同時に、相手に好かれなければならない。本音をさらけ出すと同時に、周りの人間が自分のもとから離れていかないような言葉遣いや態度を持ち続けないといけないのだ。
・気持ちを曝け出すことの難しさ
僕らはついつい感情を押し殺してしまう。田中はデートの約束があったのに、わがままを言う鹿野に対しなにも言えないまましぶしぶ夜まで付き合った。鹿野に向かって、あなたの介助よりデートに行きたい、と本音はやっぱり言えないものだ。
・情熱的に生きることの難しさ
鹿野の病状は深刻である。きっと彼も怖くてたまらないに違いない。それでも、絶望的な気持ちを外に出してしまうと、忽ち対等な関係は崩れてしまうし、人を引き付ける強い情熱に影が差してしまう。これは僕たち健常者でも同じ。かつては常に高い目標を掲げ毎日情熱的に生きていた人でも、挫折を何度か味わったり、身の回りの出来事に対する感動がだんだんと薄まったり、目の前の仕事に追われて自分が本当にやりたいと思っていたことに意識を向けられなくなったりする。自分は情熱を持っていると堂々と言える人生を送ることの、いかに難しいことか。
わがままによって我が道を生きた鹿野に憧れる。でも現実に立ち返ってみると、やはり鹿野のように生きるのはとても難しい感じがしてしまう。それじゃあ僕らはどう生きるべきなのか。
・自立とは、「他人に迷惑をかけないこと」ではなく「自分が思うように生きること」である
僕たちはよく「人に迷惑をかけてはいけません」と教わって大人になってきた。でも、自分が幸せに生きることができる「自立」は、そうではなかった。
・与えられる人間になる
自分が思うように生きるためには、人から与えられることを厭う必要はないのだ。でも、人から与えられる人間になるには、人に与えられる人間になる必要があるのだ。鹿野にとってそれが、ユーモアであり情熱であり人生観であった。そして人に与えることは、自分にとっても幸せなことなのだ。
・自分の思いを大切にする
社会のしがらみの中で生きる僕たちは、自分が本当にやりたいと思っていたことがなんだったかを自覚することこそが、実は一番難しい。でも難しく考える必要はないのかもしれない。バナナ食べたい、アメリカに行きたい、デートしたい、みたいな普段ふっと思い浮かんでは消える色々なことに対して、物怖じせず口にでき、それに向けた行動を取れるかどうかではないだろうか。
おわりに
何事もとかく難しく考えてしまうけれども、今回も映画館の中では楽しく見れたのでよかった。
全くの健康体で大学院まで行って一部上場企業に勤める僕より筋ジストロフィー患者の方が幸せな生涯を送っている気がしたのはいかがなものか。
でも、それはちっとも不思議なことではないのだ。「キスしてほしい」で盛り上がれて、周りに与え与えられる人がいれば、人は例外なく幸せになれるのだ。きっと
こういう人に出会ったことある
大泉さんベストなキャスティングな気がします。
一見すると本当にわがままで、端からみると腹が立つ感じ。
でもなんか、この人のパワーに巻き込まれていっちゃう感じ。
そしてどんどん惹かれていく感じ。
弱っていくなんてとんでもない。
最期の直前まで命が燃え盛っていたんだろうなと。
原作があり、且つ実話に基づいてるなんていったら、二時間で描ききることは本当にもう至難の技なんだろうなと思う。
ここ半年で原作ありのヒューマンドラマ系を他に2本観たけど、一番良くできていると感じた。
ただ、回想シーンはまったく好みではなかった。
最後の両親のシーンもあんまり響かなかった。
その前に描ききれているから、観る側が読め切れるかわからなくても、大泉さんに読ませず手紙だけ何秒か写せばいいのにと思った。
主題歌目当てでいきました
タイトルの通りです。
ただキャストも良かったので、それもあって観たのもあるんですけど、微妙。
ここの場面はもう少し後半でもよかったのでは?と思うシーンが序盤で来るので、後半がグダグダしてるというか、緊張感もなくなんの面白みもない感じ。
大泉洋さんが役のために減量した点は天晴れですが、最後のシーンもあっけないというか、病と闘いながらも心は自由だった人の生涯を描いてる割にはテーマの重みが感じられず残念でした。
バナナ1本
我が身に置き換えたら
想像もつかない
私なら
母親と一緒に死んでたのだろうか?
鹿野さんは
とても強い人だ...
出来ない事を
人に頼むのって
結構な壁なんだなと思いました。
病室でかあちゃんと呼び
母親の手を握るシーン
泣けました。
大切な人になればなるほど
迷惑かけたく無いですもんね
竜雷太が現れた時に
意外にもデカいなと思いました。
綾戸智絵がちっさ過ぎなのかな⁇
健常者が不自由無く暮らせる世の中に感謝し
障害者が不自由無く暮らせる世の中になれるように
出来ないって自分で制御かけてただけで
もう一度違う角度から見れば出来ないことなんてない
勇気が出る映画だった
弱いけど、前向き
顔と手しか動かせないけど、全部がポジティブだから、みんながついてくるのでしょうね。鹿野さんが最後に田中君に話した「人間誰しもできる事の方が少ない。」は納得でした。
宝物のような映画です
大泉洋さんが10kg減量して臨んだ映画…ということで、
どんなものかと思って観たのですが
鹿野さんという人が、不自由な身体でも、
皆と沢山交流した記録を見させて頂いて
ボランティアの皆様の暖かさ
(実際、戦いだったと思います。私にはできないかも)、
母親に甘えたいけど我慢してでも、
母親には自分の人生を生きて欲しいっていう暖かさ、
自分は失恋しても、他人を結びつける暖かさ…
とにかく、暖かさに触れた宝物のような映画でした。
こういう風に生きたい(人に我儘言えない)けど
生きられない人に
「我儘な人生でも、楽しく人と交流すればいいんだよ」と言ってくれているような映画でした。
お勧めします。
大泉洋すばらしい
鹿野はわがままばっかり言うが、結局何も言わなかったら病院に閉じこもっていたわけだし、あの二人も夢を叶えることはなかったので、人生って不思議なものだと思う。いい映画でした。
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