「大泉だからこそ、軽い口当たりのバナナに仕上がったと感心したよ!」こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
大泉だからこそ、軽い口当たりのバナナに仕上がったと感心したよ!
本作を観ると、現在のような日本の福祉制度が整うまでには、本作の主人公である鹿野氏のような苦労をされていた人々がもの凄く大勢いた事を改めて知る事が出来た。
私は1960年代生まれなので、多分本作のモデルである鹿野氏とほぼ同年代だろうと思う。
私の記憶が間違っていなければ、私が子供の頃は何かの障害を持っている子供たちは中々家から外には出ないで、家に籠って生活する事も少なくなかったと記憶している。
鹿野氏と同年代位の生まれの障害児の方々は義務教育を受ける年頃になっても、学校へも行かない子供もたぶんいたと思う。
先天性であれ、後天性であり、何かの理由で身体や精神に障害を持っている子供は普通特別な施設に入所するか、或いは施設には入所しないで家族と暮らす場合には、今のような福祉制度が整っていなかった為に、親が子供の面倒を看るのが一般的で、その為に非常に家族も含めて孤立した環境で障害者本人も、その家族も生活をしなければならなかったのが当時の現実だろうと思う。
私も1990年代後半に実際に身体障害児の特別施設でボランティアをしていた経験があるので本作が描き出すこの状況が良く理解出来て納得も出来る作品だった。
本作の鹿野氏の様に年老いていく実の親の世話にはならずに、自立した生活を障害者自身の責任で自己の生き方を選んで生活していくと言う決断をした鹿野氏の生き方は、当時の日本に於いては、いかに進歩的な考え方であり、前向きな生き方をした勇気の有る人だったか本作を観て、只々驚くばかりだった。まさに革命的と言える行為だと思う。
ちょっと考えてみれば、健常者で有る私も何時、怪我や病気で障害者になってしまうとも限らないわけで、本作は決して他人事ではないわけだ。
しかし今は健常で有る私が、もしも鹿野氏のように障害を負ってしまったら彼のような前向きな生き方の選択出来るのかは、正直不安だし、自分にあれ程の勇気が有るのだろうか?と考えさせられた。
人間は、俗に言う「ゆりかごから墓場まで」誰一人として、人様に迷惑をかけずに生きていく事など絶対に出来ないのだ。生まれて来る時は裸で生まれ、死んだら誰かに後片付けをして貰わなければならない。人間は極めて社会的な生者なのだから。だが一般的には、習慣的に人様に迷惑はかけてはいけないと言われて教育される。ひょっとするとそう言う風潮が障害者の人々や、高齢者の生き方を制限してしまうのかも知れない。
ちょっと考えれば、誰にも迷惑をかけずに生きる事は不可能だと言う事は簡単に分かる事なのだ。
本作で鹿野氏が言う、人様の助けを借りる事、迷惑をかける事、何かを手伝って貰いながら生きる事に対して、勇気を持つと言う生き方、改めて深く考えさせられた。
そして生きるからには、QOLの充実を図る事の重要さや必要性を考えさせられました。
恋も、結婚も恋愛も100%の力で、本気で生きて生きたいと行動した鹿野氏の生き様が分かるような気がした。
そんな鹿野氏の生き様を活き活きと大泉が演じたからこそ説得力が有ったと思う。美咲を演じた高畑も光輝いていたと思う。
きりんさん
コメントありがとうございます!日本人は気真面目なので社会派ドラマで、しかも障害者とか闘病がテーマの作品はどうしても重くなったり、暗さが前面に出るので映画を楽しめない雰囲気が有るけれど、そこの感じを大泉が絶妙の間合い、表情で巧く湿っぽくならないように演じてくれているので、観て欲しいです!お正月映画として本作の公開を知った時は思わず、何で「こんな年末にバナナかよ?」と思いましたが、正月でも気分を壊さずに大勢の方々が観られたので安心しました。きりんさんは映画はレンタルが多いそうなので、今はレンタルでは「ワンダー君は太陽」が出ています。こちらも観て損はないお勧めの作品です。是非チャンスが有ったらご覧下さい。そして今年も映画を楽しんで良い年になさって下さいね。
リュウとぴあんさん
お久しぶりです。
同い年で、身障者ボランティア経験も同じなのだとわかって嬉しくなりました。
僕は大勢のチームの一員として5年間、脳性マヒの友人の24時間全介助をやりました。
オススメのこの映画、見てみようと思います!