機動戦士ガンダムNTのレビュー・感想・評価
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ユニコーンがただただ良作だったんだと深く嚙み締めた
最近ガンダムにハマり、1st~逆シャアまで履修、UCを観終わった辺りで宇宙世紀年表を参考に次に見る作品を探していたら、NTがUC直接の続編と知り、早速U-NEXTで視聴。
UCはUCで綺麗に完結していたので、ここから話をどう作るか期待していたが、やってることはラプラス事変の後始末と言っていいだろう。
調べたらUCの設定資料集の掲載された書下ろしが原作で、UC最終決戦とほぼ同時に行われていた戦いを後日談として再構築したようで。そりゃ後始末っぽくもなりますわな。
基本的には描写不足が目立ち、これは終盤になるにつれて改善されていく…というより、序盤で描写されなかった主人公たちの過去が終盤で一気にやってくるので、見終わった後はそれなりに納得できるのだが、序盤は心捕まえられることなく淡々と話が進んでいくように感じた。
基本寡黙な主人公や、メインの会話パートは過去編でやるのであまりこれといった印象も沸かない。なぜだろう、ほとんどキャラクターの名前を忘れてしまった。見終わってから1時間しか経ってない筈なのに…
モビルスーツ面でいえば主人公機がユニコーンのように赤いサイコフレームを身に纏った姿は鳥肌モノだが、あまり目立った活躍や戦果に乏しいのは残念。
結局乗り換えた3号機フェネクスに活躍を奪われ、最後の最後に出てきたバナージも相まって、全部ユニコーンが持っていった感は正直否めない。
UCのというのもあってどうしても比較してしまうが、あっちはOVA6作で濃く描かれているので、90分の本作の比べるのは少し酷であろう
しかし単品で見ても展開の早すぎるスピード、年代ごとコロコロ変わる場面、不足すぎる心理描写など、いざ振り返るとどうしても良作とは判断出来なかった。このレビューのタイトルをもって、オチとします。
戦闘する意味とは?
ガンダムは戦争の話だが、この映画では戦う意味が感じられない。大勢の人が住むコロニー内で戦闘を行うのが、1人の暴走する軍人によって始まり、最後は彼の暴走を止めるために皆で戦う。鍛えられた軍人があんなめちゃくちゃな戦いしたらあかんやろ。罪のない大勢の人が死んでるのに、その描写も少ない。私が思うにこの物語では、失敗作である彼が1番の悲劇の人物だ。もっと彼の戦う意味をわからせて欲しかった。
内容も姿勢も問題山積
OVAで全7巻、それを再編した地上波アニメで全22話あった「機動戦士ガンダムUC」、その1年後の世界を90分の映像で描く。
UCの頃には影も形もなかった「ユニコーンガンダム第三号機 フェネクス(フェニックス)」の捕獲を巡る物語。連動して、3人の幼なじみの物語のようでもあり、UCに続いて「ニュータイプ(以下NT)とは何だったのか」に対する物語でもある。
主題や物語を描くための手段としてNTが登場するのではなく、「ガンダム世界におけるNTとは、どういうものなのか」を定義・解説することが目的となっている作品のため、独立した活劇として観ることが困難な作品。なので、「ガンダムというシリーズ作品としては」という見方しかできず、感想もその中でしか生まれない。
その上で感想を述べるとしたら、自分としては終始うんざりが続く90分となった。
その理由は
①旧作の主観的、比喩的な表現を「客観的事実」として1つ1つ解説することにセンスを感じない
②その「客観的事実」をフル活用して描かれるかつてない大スケールの戦闘(?)が、宇宙世紀作品として受け入れがたく、シリーズが積み上げてきた数々の風味を台無しにしていると感じる
③上の二つについて、非シリーズ原作者が公式の宇宙世紀正史作品でやるべきことでないと感じる
④主要人物たちに魅力がない
⑤人物の作画も、2018年の映画としては非常に弱い
という5点から成る。
それぞれについて、具体的に言及する。
【①旧作の主観的、比喩的な表現を「客観的事実」として1つ1つ解説することにセンスを感じない】
ガンダムUCの頃からそうだったが、福井氏の悪癖であると感じる。
例えば、1stガンダムでララァが「時が、見える……」と言って散れば、福井氏はララァの心象としてではなくて「ニュータイプは、過去や未来が見えたんだ」と、「(ララァ以外でも)NTならできること、できるという事実」として受け取ってしまうらしい。
このような解釈が
「1stホワイトベース隊の、NTが多すぎる事実」=NTは感染するから
「1st最終話の、アムロとカツレツキッカの念話」=NTは能力を分け与えられるから
「ジ・Oのビームを弾き、動きまで止めたZガンダム」=NTはサイコフィールド・サイコシェード(シャード)を使えるから
「カミーユやジュドーに加勢した、死亡済みの面々の幻影」=思念体として別次元で次の生を得ているから」
「小惑星アクシズの落下を止めたνガンダムとアムロ」=サイコフーレムの共振で、意思を物理的なエネルギーに変換することができるから……
と、過去作の数々の超常的な決めシーンすべてに対して当てはめられ、解説される。
よく言えば、かつて主流だった独自解釈&独自解説主流の同人誌のノリ(妄念に入れ込んでいる作者以外はまず面白くないという点を含めて)なのだが、公式の正史の作品として語られるときつい。その「解釈・解説・事実定義」が面白くなる方向ならともかく、宇宙世紀やNTを巡る物語としては決して面白い方向に機能していないからだ。
執拗な癖ともいえるこの「定義癖」は、例えばある野球部員が甲子園決勝のマウンドで「昔亡くなった、エースピッチャーだった弟の声が聞こえた気がした」なら、「全てのエースピッチャーは、死者と交信できる能力を持つ。全てのエースピッチャーは死後に思念体として別次元で生きている」と解釈するようなものである。「個」の主観的体験として演出された事物を「法則」として解明するかのように物語るのは、本当に面白さに繋がっているだろうか。
【②その「客観的事実」をフル活用して描かれるかつてない大スケールの戦闘(?)が、宇宙世紀作品として受け入れがたく、シリーズが積み上げてきた数々の風味を台無しにしていると感じる】
①で挙げた内容はガンダムUC、ガンダムNTの作中ではすべて「やろうと思えばできること」として認定されるので、作中人物たちは敵も味方もそれらを「手段」として駆使した超常の戦いを行う。
ビームは強い意志を持ったサイコフィールドで弾けばいい。サイコシェード(シャード)で敵の装備を組み立て前まで時間を戻して無効化すればいい。念話で連携をとればいい。亡くなった者たちの思念体としての力や、人類の集合無意識を拾い上げる力を駆使して、物理エネルギーに変えて圧倒すればいい……など。特に本作では、(サイコフーレムで増幅されているとはいえ)、敵側がかめはめ波だけでなく何の捻りもないサイコキネシスで物理的破壊を行う。コックピットでふん、はっ、と念力的なポーズを取ると、超巨大なヘリウムタンクが見えない力にねじ切られ爆発するのだ。これは福井氏の「現実世界を賑わせたサイコキネシスも、サイコなんだからNTで説明できる」という解釈だろう。ただ、それを実弾やビームを超えるより便利な武器として描かれると、宇宙世紀ものとしては観たくなかったという感想が勝る。
【③上の二つについて、非シリーズ原作者が公式の宇宙世紀正史作品でやるべきことでないと感じる】
ガンダムUCの頃からそうだが、福井氏のこだわりは「ガンダムという世界観を自分が包括する」ことである。シリーズ原作者である富野氏よりも自分の方がこの世界を理解している、それを表現するというベクトルがつきまとう。ガンダムユニコーンと銘打ってUC(ユニバーサルセンチュリー、宇宙世紀)の0年と原罪を描き、ガンダムナラティブと銘打ってNT(ニュータイプ)の解説と帰結を描く。「後発の、ファンの一人」にすぎないにもかかわらず、枝葉を描くのではなくて、幹を自分という塗料で塗り尽くそうと試みるのだ。しかもその手段が「思念体としてのシャアの亡霊がそうさせた(比喩ではない)」など、上述の通り70年代~80年代スーパーロボット感であり、私としてはセンスを感じない。結果、不遜を尽くしていると感じる。
そもそも2002年の氏の出世作である『終戦のローレライ』の時点で、1996年の『ガンダムX』の言葉置き換え物語すぎて、「この人はガンダムが好きな人なんだなぁ」と苦笑いだったが…元より、「誰かになりたい人」でしかなかったクリエイターが、「その誰かを超えたと見えるように包括的な話を書いて、全力でそういうことにしたがる」という悪戦苦闘は、本作よりも物語として面白い。
【④単純に、主要人物たちに魅力がない】
観れば誰でもわかるので割愛。
【⑤人物の作画も、2018年の映画としては非常に弱い】
自分は作画を重視しない人間だが、それにしてもアップが多いミシェルの顔などは、もう少し美人にしないと画面が持たない。「最低限クリアしないと、お粗末さに笑われてしまう」水準のまま出ていると感じるので、これは制作進行のミスだろう。
【総評】
自分はガンダムUCの時点で氏の傾向を嗅ぎ取って「なんだかな」と思っていた人間なのでこの程度の落胆で済んでいるが、UCの大ファンで「4年後のUCの新作」として待ち遠しく思っていたファンには、より顕在化した氏の個人的嗜好傾向や格段に落ちた人物作画で、非常に苦しい思いをした人も多いのではないだろうか。
「正史として、宇宙世紀やニュータイプの包括」に執着する原作者であり、その目的のために作られた作品だが、とはいえ本作で描かれた「進化人類」たちのサイエンス・ファンタジーは、U.C105年の正史「閃光のハサウェイ」や、それ以降とはまったく繋がっていない。そういう意味で雑で半端な作りであり、ガンダムシリーズファンとしても、UC後半や本作の設定・定義を肯定する方が全体世界観の調和を損なうので、観ないでいい作品だったと思う。
こうして次の100年は始まる…
これまで、ガンダムの2作目以降は「ジオンが何の悪い事をしたのか」というのは、台詞でしか説明されてこなかった。だが、近作は冒頭でコロニー落としの地獄絵図が描かれ、それによって宇宙世紀ガンダムの予備知識が無い人でも理解できる内容となっている。例えば、Zガンダムの劇場版1作目は「あのアムロとシャアが再開!」と描かれるが、宇宙世紀ガンダムを知らない人は「何のアムロで、何のシャア?」となり、一般観客に対しての映画としては、不親切だ。対し、近作の主要3キャラはオリジナルの為、以前の作品の知識は関係ない。
コロニー落としの描写も戦慄だ。あの地獄絵図は、過去に感性が鋭い年齢時に、大きな震災2回を経験した若い世代だからこそ出来た描写である。これに対し、安彦良和のジ・オリジンのコロニー落とし描写は、今だに太平洋戦争時代の戦場写真をアニメ絵に写し変えた物にしかなっていない。
人物描写も光る。昨今のアニメによくある、子供→純粋→善、大人→汚い→悪、といった、安易な構図で若者に迎合せず、大人の役割を、きっちり描いている。
物語中盤に「ニュータイプは生と死を超えた存在になる」と語られる。だか、ここで大人は「こうも思います。うげっ!こんな事を後10年も続けて生きなきゃいけないのかよ!?」「だな…永遠の命なんか人類が手にしたって、持て余すだけだ」と語る。
宇宙世紀の世界が、今の時代から300年後位、先の時代かどうかは不明だが、21世紀現在、人類は核の力・原子力エネルギーを完全にコントロール出来ていない。その為に、大変な悲劇の大惨事を起こしてしまった。現代で人間は核のエネルギーを完全にコントロール出来ていないのに、300年後に生死を超えた力など、自分の物に出来る訳がない。そんなメッセージを込められている。
過去のガンダム作品は、少年が主人公の場合、必ず最後に帰る場所というのを描いてきた。だが、近作の主人公は成人した大人。既に自分の意思で軍人を続け、飯を食ってる。ラストに主人公の帰る場所を明白にしなかったのは「もう大人なんだから、帰る場所は自分で見つけろ」という着地点を描いたのだろう。
ただ、終盤に観念的な描写が多い嫌いはあるが、それも★をマイナスにする要因にはならない。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
なぜかすごくつまらない
つまらないとは聞いていたけど本当につまらない。MS戦は多いし作画もそこまで酷くはなかったけど…①流行りの若者っぽい髪型の主人公に感情移入できない。親を失ってNT研はそれなりに悲惨感あるんだけど、なんか薄い。②ピエロみたいな敵役が薄い。フロンタルの失敗作みたいなことを言われてるけど、その背景がよくわからない。敵側にも信念と正義があって、お互いに譲れないから戦う…的なのが欲しかった。③サイコ野郎が乗ったとんでも巨大兵器を人の心を集めた奇跡の力で撃破するのは最早ガンダムではない…いや、結構あるか?④回想と行き来するのがダルい。最初にきっちり子供時代やってから現代に進めた方が見やすかったのでは?当分MS出てこなくなるけど(笑)
と言う所感。なんだかなぁ…。
頑固な宇宙世紀ファン(自分含め)が観るものではない
ロボットアニメとしてはよくできていると思います。
ただ、昔ながらのガンダムファンにとっては、見苦しいものがありますね。
それおかしくない?てこところが多すぎる。
以下、私がつまづいた点です。
1,フェネクスが1年以上サイコフレームの力だけで動いてる。サイコフレーム凄すぎ。光速に近い速度で動ける。
2,コロニー落としを予知して、どうやって住民を守ったんですかね?
3,ビームマグナム撃つたびにMSの腕をぶち壊すバナージ笑
4,ガンダムらしからぬキャラデザ。オッドアイはカラコンかな?
5,敵の強化人間が狂いすぎ。この時代の強化人間でしょ?マシュマー様よりやばいよ。Vガンやクロスボーンの時代では廃れているかもだけど、この時代はNT研究の最盛期では?
6,サイコフレームに意識をうつして不老不死になろうとか、ガンダムでやることじゃないよ
7,最後はサイコフレームによるオカルトパワーで解決するんですが、90分アニメだからか、それまでの積み重ねがあまりみられず、コロッと死んだ人間の魂を物理エネルギーに変換してなんとかしました、て感じがします。エマ中尉の「私の命をすって!」とかと比べちゃうと、かなりチープに感じる。
一回ぼけーと観ただけでも、これぐらい目に付きます
ただ、これらは「宇宙世紀ガンダムはこうあるべきっ!」という古いガノタ(ぼくも含めて)だから思うことであって、そうでない人がみればおもしろいんだろうと思います。
またそのような人が増えれば今後ガンダムというコンテンツも活性化していくのでしょう。
新しい時代を創るのは老人ではないっすからね。
UCを観た後だとなおさら構成が雑に感じる
オカルト満載なのはいつものことなので別に気にしてません。
しかし90分程度の物語としては少々不要な登場人物が多すぎませんかね?特にルオ商会の面々、ブリックやエリク中尉とかそこまで物語に必要な人物だったのか。
UCではキャラ同士の会話や葛藤など心理描写が細かく表現された後に死亡するため物凄く悲しんだりバナージへの感情移入が凄く感動したものですが
過去の回想がある主要の3人はともかく、ブリックやゾルタンみたいな掘り下げられてないキャラがさくっと死ぬだけで正直何も感情移入できないまま終わりました笑
あとバナージの扱いも酷い。
バナージが人に戻れたのはオードリーとリディ、それまで彼を支えてくれた人達の想いが実ったという視聴者に納得できる部分があったこそオカルトパワーが名シーンに変わったのですが、いくら覚醒後とはいえ本編ではヨナとの絡みも一切なかったのに美味しいとろ取りだけしてさすがにポカーン( ゚д゚)と放心状態。
ただのファンサービスで出すならUCのカイのように関節的にサポートさせるか、活躍させるならZのアムロのようにもっと主人公と絡ませる必要があったと思います。
正直劣化UCと思われてもしょうがない出来で、尺の都合でいろいろ中途半端になってしまった感は否めません。素直に分作で良かったのでは?
ガンダムとか以前に物語が駄作過ぎて悲惨
もはやガンダムだからだとかそんなレベルの話ではなく、物語が映画として駄作。
キャラクターも魅力も無く、最後まで名前覚えられず、見るのが苦痛なレベル。
よくまぁ、こんな駄作の映画を世に出せたなと思います。
が、唯一救いは最後のバナージが出てきたシーン!
UC見てたらミネバと共に歩めていると思えて安心しました(笑)
ガンダムには悲しいドラマがよく似合う
いろいろ、ありえないとかの低評価も多いようですが、私は好きですね。いやユニコーンよりもよかったかも。
まあニュータイプがいよいよ神的とか、モビルスーツどこまで強くなるん?とかはまらなかった人が引いてしまう気持ちも分かりますが、見どころはそこじゃないんですよね。それも人によるのは分かりますが。
今回はとにかく「悲劇」に重点を置いたんじゃないかな。あとのことは後付けに過ぎず。ガンダム流の戦争の悲劇。今までは主人公以外やスピンオフ作品でよくあった基本一般人が戦争に振り回されて悲しい結末のお話、それが今回は堂々正当続編で主人公にその役割を与えました。正統派ガンダムでさすがにほんとにただの一般人じゃ映画化はさせてもらえないから、まあお友達がNTであったという設定にして。今までの正統派主人公はとにかく人を振り回す立場だったけど今回は最後まで振り回された主人公だった。そこがいいよね。悲劇にするには。
泣けましたよ、最後は、ほんとに。
戦争は人を、人生を狂わせるという普遍的な真理をうまく描けたんじゃないかなと思います。伝わりましたよ。
こりゃだめだ。。。。
正直、ガンダムUCとクオリティと登場人物を置き換えただけの
劣化版です、見る必要のないストーリーになってます。
コロニー落としは許せるとして、ほかのガンダムの過去作を
作画を作り替えずに挿入するとか作画バラバラじゃないかと。。
失望するばかりです。
ガンダムNT+フェニクスvsネオジオング。。。どこかで見たような構図。。いくら何でもオリジナリティがない。
焼き直しただけの同人系ガンダムと言われても仕方がない。
評価できるのはガンダムシリーズがまだ続けられているということ
ぐらいです。
この分だと閃光のハサウェはCG多用の低予算作品として
恐ろしい結果が見えそうです。
3部作製予定が1部で終わりそう、あーこわ。
とにかく演出が神がかっている
今までのガンダム作品の中でトップ5には入るんじゃ無いかと言うほど面白かった。
ストーリーはオカルト要素の過剰さや中だるみが鼻に付き回想の繰り返しも目立ったが、
それらを補って余りあるほどのキャラクターの魅力と演出の上手さ!
音楽や演出面での見せ方は本当に神がかっていて序盤のコロニー落としやナラティブC装備からコアファイターが飛び出すシーン、フェネクスとセカンド·ネオジオングとの決戦など音楽と映像美のマッチが素晴らしい!
MSも過去最高クラスのデザインで中でもセカンド·ネオジオングの灰色の巨体を越えるデザインはあと10年は現れないんじゃないかと言うレベルの出来。
敵役のゾルタンもよくあるサイコキャラかと思いきや失敗作と呼ばれ信じた存在にも裏切られた悲しみや恨みを抱えた執念の存在だったことに気がつき脱帽。
とにかく全てが高次元で纏まった傑作なので尻込みしている人はまずはYouTubeで公式配信されている冒頭23分を見てみて欲しい。
【独断】ガンダム史上、五指に入る一作
一つ席を空けた、隣の席の人が度々泣くから貰い泣きを2回もしちゃいました。
つまり、こうです。
・死ぬの怖いよねー、何でなんだっけ?
・過ちは赦される?
・中傷されれば誰だって傷つくでしょ?
・戦争は何のためにするの?
・永遠の命ってあるのかな?
とかとか…個人的な主観も入ってますが
UCのフェネクスから、よくここまでストーリーを拡げられたな〜と感心と感動しました。
評価は色々あって良いと思います。
自分は少なくとも評論家ではないので、あるがままに感じた気持ちを言葉にするしかありません。
フェネクスを中心にしながら、その周りを蠢く人達の感情や世界を描写をする表現が良かった。
畏怖や無力、犠牲と贖罪。自分って何を大切に思い、何に向かって生きているんだっけ?
何となく質してくれる。そんなガンダムNTでした。千穐楽まで、あと僅かですがもう一回鑑賞したい。それだけです。
ひどかった・・・
製作者サイドの自己満足に終始してた作品、というのが率直な感想。
まず、ニュータイプを大袈裟にしすぎて逆にしらけた。
死んだ人間の魂が憑りついて動くMSとか、なんのオカルトかと。
戦闘も、サイコフレームの波動とかの不思議パワーばっかりで、グダグダな感じ。
ガスを臨界状態にしたりり、時間が巻き戻ったりとかって、なんなの?
何もかも「サイコフレームの未知の力」で終わらせるのは手抜き過ぎなのではないかと思いました。
ガンダムというよりダンバイン、いや、イデオンを見てる気分でした。
キャラクターも、性格がおかしくてまるで感情移入できなかった。
特にヒロイン(?)のリタは、回想シーンとかでも人間味を感じなくて気持ち悪かった。
作中で「良い子過ぎる」と言ってたけど、そういうのを通り越して悟りを開いてるとしか思えないほど達観してる。
ニュータイプって悟りを開いた者の事なんでしょうか
ストーリーも矛盾だらけで、納得できないことばかり。
リタは、ネオジオングの暴走を予見して止めるためにフェネクスに憑りついたってストーリーみたいだけど、
そもそも、フェネクスがいたからネオジオンがあの宙域にきたんだよね?
全然違う宙域にフェネクスがいれば、ネオジオンもそっちに行ってたわけで、ネオジオングが暴走しても被害は大きくないだろうし、サイド6だってあんな被害は受けなかった。
もっと言えば、リタがフェネクスに憑りついてなかったら、ナラティブの物語自体が発生していないはず。
皆を助けるために犠牲になった、みたいな描き方だったけど、そもそも事件の発端を作ったのはリタじゃないか。
あと、ついでに、ペンダントがフェネクスのコックピットの中にあったのも意味不明。
誰が何のために置いたの?
魂ならともかく、ペンダントは物質である以上、誰かが置かないと存在しえないのに、何年も前に殺された少女の遺品をわざわざフェネクスのコックピットに置くことなんてあるのかな?
UCの続編的な位置づけなんだろうけど、完全な蛇足作品。
最初の23分の無料動画を公開してたけど、それだけ見れば十分。
金を出して時間をかけて見るに値する作品じゃない。
詰め込みすぎたのかなと
UCの続編ということで期待して観に行きました。
新鮮な気持ちで観たかったので特に事前に情報は仕入れませんでした。
結果としてユニコーンの続編ではなく単体のガンダム映画と考えれば楽しめるかなと思います。
新しいキャラクターがAGEやGBFに近く何処か子供っぽく、NT同士の意志疎通表現がユニコーンとは異なり少し違和感を感じました。
調べたら監督さんやスタッフさん達が異なるようですね。てっきり続編と謳っているので、ユニコーンスタッフ継続かと思っていました。
短い時間で話を詰めなければいけないのは分かりますが、今回ぐっとくる戦闘シーンがなかったのでハサウェイではどきどきする演出を楽しみにしています。
ガンダムのくせに有線なんか使いやがって!(うろ覚え)
が好きなセリフです。
エゴと贖罪とメカ
ユニコーンからの地続きの物語で、一部のキャラクターが続投されてます。
確かに戦闘の場面は凄かったのですが、キャラクターの心理描写が弱かったです。
袖付きの残党の行動もそうですが主人公たちの行動も今一納得が出来ない事が有ったので、共感出来なかったです。
個人的には敵役のゾルタンの内面をもう少し描いて欲しかったです。
本編の中でもフル・フロンタルの出来損ないと言われていたので本人もかなり屈折した思いが有ったのだろうけどその辺が結構あっさりしていたのが残念でした。
解釈
永きに渡るとっちらかったニュータイプ論に1つの結論を出したような物語か。
ファーストから連なる人の邂逅のなんたるかが、サイコフレームによる魂の保存と定義付けられ、それらに感応できる人々をニュータイプと呼ぶみたいな。
なんていうか…ガンダムシリーズ、特にニュータイプ編の総括みたいで、ZやZZ、逆襲のシャアとかまで含まれてて構成としては面白い。
ただ、まあなんというか当初提唱されたニュータイプ論がオカルト的な帰結を遂げるとは、ダイクンは夢にも思っていなかったであろう。
作風が、とくに人の顔の傾向が結構バラバラに見え、時にアメコミに見え、時に中国圏のソレにも見える。
統一感があまりなく見にくい、のである。
MS戦は総じてカッコ良く◎
フェネクスが宇宙を彷徨う幽霊船のような立ち位置で、野良状態なのがいい感じ。
特殊というか孤高というか、そんな存在感が満載だった。
3号機に操縦者は搭乗しておらず、光速が出せるらしい。ほぼ反則級のスペックだ!
劇中のパイロットが呟いてた。
「な、何が起こってるんだ…?」
激しく同感である。
ユニコーンやバナージも登場し続編への期待もあるがNTとしては、おそらく終わりなのであろう。
ただ、そんな事もあって、明確な結末はなかったような印象だった。
「あの世」と「この世」の間に「サイコフレーム世」みたいなのがあって、三途の河で遊泳してるような感じだろうか…平たく言えば。
…なんかズレてんなw
■追記
Netflixにて鑑賞。
全く記憶になかった…俺は劇場で寝てたのだろうか?それらしいレビューは書いてあって、ちゃんと観てもいそうなのだけど、かなり衝撃的だった。
「苦しむだけの生命」そんな台詞が耳に残る。
肉体から解放された魂は1つに溶け合うのだとか…その場所が涅槃だとして、涅槃とは別の場所がサイコフレームという事みたいだ。
まぁ…確かに歴代のガンダムを見ても、時の制約を受けてはいないように見える。死者とも会話しとるしね。…というか、アレらを精神的な人格の補填やイメージと捉えず、実際に話せる存在であるとするのは驚愕の設定だよなあ…。抽象的な問答ではなくて「ララァ、明日晴れるかな?」「前線が伸びてくるから明日は雨よ、アムロ」なんて話が出来てしまうって事だよ。極端な事言うと。肉体がないだけで居るわけだから。
……ありがたみも神格化もせんな。
随分と大胆な設定をぶち込んだもんだなと改めて思う。そうするとだよ、劇中で言う生まれ変わりなんかもせんのじゃないか?鳥にはならんのだよ、残念ながら。
あなたはあなたのまま未来永劫の時に存在し続けるのさ…ララァがいつまでたっても出てくるように。
やっちまったなあ、ナラティブめ。
回想なんかでZZも入ってたけど時系列は合ってんだろうか…合ってんだろうなぁたぶん。
ともあれスピリチュアルまっしぐらな内容に蒼ざめる。そして、オカルトっぽく「不可解だ」とか「ありえない」とか「説明がつかない」とか。
もう万能なパワーワードみたいで、そう言っときゃ逃げれるみたいに聞こえてもくる。
スピリチュアルな脚本に負けじと、戦闘パートが頑張りすぎて戦闘力の天井が上がりまくり、ガンダムシリーズなのにスーパーサイヤ人4くらいが降臨したのかと思うようなラストだった。
…やっぱ寝てたのかなぁ。
人類の可能性に翻弄される。
「機動戦士ガンダム "UC NexT 0100"」第1弾。
「機動戦士ガンダムUC」番外編的続編。
アニメ好きの友人と観に行きました。
「機動戦士ガンダムUC」は第4話までしか観たことが無く、それ以前の宇宙世紀作品は全く観ていなかったので、一緒に観ようと誘われてからウィキペディアなどで勉強しました。ガンダムシリーズ自体は「SEED」と「SEED DESTINY」しか観たことありません。両作は今でも大好きです。
それはさておき、にわかもにわかの大にわかな私でしたが、それでもめちゃくちゃ楽しむことが出来ました。面白かったと云うか、とても悲しい物語だなと思いました。
ヨナ、ミシェル、リタ―。戦争のエゴの犠牲になった彼らの織り成す物語が心に迫って来ました。固い絆で結ばれた3人でしたが、お互いを守るために吐いた嘘が彼らを絡め取り、過酷な運命へと導いていくドラマが秀逸でした。
心に様々な事情を抱えた人々が紡ぎ出す人間ドラマが、ガンダムシリーズの魅力のひとつかもしれないなと思いました。
ニュータイプやサイコフレーム、サイコミュなど理解出来ない部分もありましたが、それらを深く掘り下げていくことで深淵なテーマが浮き彫りにされていく様がダイナミックでした。
生物が抗えない死さえ克服し、新たな次元へ人類を導く可能性を秘めた"ユニコーンガンダム3号機・フェネクス"―。
その争奪戦を通して、オカルトじみて異質だったニュータイプの設定が、人間の存在と魂の繋がりにまで波及して、進化とは何か、人類の行く末に待つものとは何か、と云ったことを考えさせる思索が展開され、非常に観応えがありました。
戦闘シーンが大迫力! テレビとは訳が違いました。興奮に手に汗握り、これは映画館で観るべきものだと思いました。
想いが爆発し、奇跡を起こしていく様を描いた映像に息を呑みました。これは心と心の戦いだったのか、と感じました。
でも、最終的にナラティブガンダムよりフェネクスが目立っていたのは解せませんでした。タイトルロールなのに…。
【余談】
最後の最後でサプライズがありました。ファンの方なら胸熱だったかもしれませんねぇ…。消息不明とウィキペディアには書いてあったので、とても驚きました。
※修正:2021/07/01
※鑑賞記録
2021/06/26:Netflix
「鳥になりたいな」
ガンダムUCの続編に位置づけられている作品で、原作小説ベースの映像化である。自分のようなファーストガンダム世代には、全くといっていい程、ちんぷんかんな内容になっていて、そのファーストとZガンダムの穴を埋めるようなプロットである。確かに、その後のガンダムシリーズは卒業してしてしまっているし、関心も湧かなかった。なので、一応、UCも鑑賞したのだが、なかなか後付け解釈に戸惑うことも多い。何故に、そんなに“ニュータイプ”の発展系を押してくるのかが理解に苦しむ。
と、鑑賞前は思ったのだが、今作、なかなか面白い内容だった。多分、政治的な話と言うより、浦沢直樹『MONSTER』や、ノイタミナ『残響のテロル』のような、子供を実験道具に使うプロットに惹かれたのだろうと思う。それに、断片的には、ニュータイプの特徴を巧く捉えられている点も感心する。特に、死人と話ができる=時間を超越できる的トンデモ話は、ガンダムの掘り下げ方としては斜め上を言っていて斬新な解釈すら感じて面白い。ファーストの角が立っているオカルト的要素を真面目に科学するというテーマは娯楽として寄ってたかって理論武装していく様は、或る意味知的教養として日本ならではかも知れない。こうしてガンダムを使ってアニメ界が遊ぶことはいいことだと強く感じる。
サイコフレーム便利に使いすぎ
レビューに酷評が多かったので見るのを迷っていたが、ポイントが貯まったのでそれで見ることにした。結果として出来はそう悪くなかったんじゃないかな、ニュータイプがサイコフレームに取り込まれるというのは、サイコフレームがブラックボックスのままなのにちょっと便利に使いすぎだと思うが、サイコフレームの謎をこれから解き明かしてくれるなら許容しよう。しかしサイコエネルギーが物質に変換されるのはいかがなものだろう、SF的にもうひと考察してもらいたいところだ。
悪くはない…が
まずガンダムUCの続編という固定観念みたいなのを持たずに別物の単体作品として観ればそれなりに楽しめると思う。
ただキャラクターの絵柄がどう見ても宇宙世紀シリーズの絵柄とはかけ離れ過ぎていて素直に受け入れられないところもあり、仮にそれを考えなかったとしてもお世辞にもキャラの絵が上手いとは言えない。
まるで人体構造を理解していない素人が描いたかのような動き。。
宇宙世紀シリーズ以外のガンダム作品だったならこれで満足したかもしれないけど。。
背景やメカの動きなどは要所要所ではかなりよく動いていたり綺麗に描き込まれていたけど、手抜きする部分はハッキリ手抜きしていた感じで、全体的には映画としてもすげぇ!って思うクオリティの場面と、まるでTVアニメ以下のクオリティだなぁ。。という場面が混在していた感じ。
あと、LiSAはFateZeroの頃から好きだったが、ちょっと作曲にLiSAらしさが感じられないという面もあり、曲が酷いという事でもないんだけど記憶に残らない感じで、申し訳ないけどLiSAの無駄遣い感が半端ない。
まあ。。LiSAを起用するならもっとLiSAらしい曲を、この曲を起用するなら他のアーティストを起用した方が良かったと思う。
ともかく泣けるストーリーは嫌いではなく、フェネクスを映像化してくれた事自体は感謝。
フェネクス自体はかなり良い感じで描かれていたと思うので、フェネクスさえカッコよければ後はどうでもいいぜ的な人はかなり満足できる作品なんじゃないかな。。と。
キャラもデザイン自体は悪くなかったし、これやるならガンダムUCのスタッフでやって欲しかったなぁ。。
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