「少年少女の頃の気持ちは不死鳥のように不滅である」機動戦士ガンダムNT eigazukiさんの映画レビュー(感想・評価)
少年少女の頃の気持ちは不死鳥のように不滅である
人類が宇宙に住めるようになった未来の時代が舞台のSFロボット戦争映画。
地球連邦軍の試作実験機ユニコーンガンダム3号機フェネクス(=不死鳥の意味)が無人で動きだし行方不明になってしまったので回収作戦を行っていた主人公ヨナたちが偶然遭遇したネオジオン残党軍と戦う話。モビルスーツ(巨大人型ロボット兵器)どうしの熱い戦闘シーンが多くてあっというまに時間がすぎる。登場モビルスーツの種類が豊富で飽きない。モビルスーツどうしの緊張感あふれる命がけのバトルが格好いい。この作品には超能力をもつ人間「ニュータイプ」という用語が登場しますがこの作品のニュータイプであるリタは大人になることはできなかったのでニュータイプは少年少女の頃に抱く幻想のようなものだと思う。少年少女はテレビ番組やアニメや漫画を見てよく幻想を抱きます。たとえばマンガみたいに空を飛べる、自分は強い、頭がいいなど。もはや大人になれないリタはニュータイプのままであり大人になっているヨナやミシェルはニュータイプではないことがニュータイプを表現しているのだと思う。
この作品は私が少年向けアニメや少年漫画を本気になって見ていた頃(小学生から中学2年生ごろまで)の気持ちを思い出させてくれた。とくにラストの展開に私は大満足であった。幼馴染3人が力を合わせて強敵に立ち向かうラストの展開は小学生どうしの友情を思い出す。そしてその後の幼馴染3人の悲しい展開は小学校の仲良かった友人が大人になって疎遠になる寂しさにも似ていると思った。
結論:少年少女の頃の気持ちは大人になっても不死鳥のように不滅である。
追記:
強化人間(強化人間とは外科手術や薬物投与などによって人工的に超能力をもつニュータイプにさせられた人間であり精神が不安定になるなどの後遺症が発生する。劇中の悪役のゾルタン・アッカネンは強化人間。)にさせられた後遺症により不安定で暴虐的な精神をもつ悪役ゾルタン・アッカネンは少年少女の頃の不安定さや無邪気な残虐性を表現したキャラクターだと思う。強化人間という人工的なニュータイプは精神が大人になることができないゆえに子供の精神の不安定さや残虐性を残した大人としてこの作品では描かれていると思う。私もアリの巣を破壊したり残虐な一面をもつ少年でした。「子供はみんなニュータイプ」と他のガンダム作品のセリフで言っていましたが「子供はみんな幻想と残虐性をもっているが大人になると消える」と言い換えることができると私は思う。残虐的なゾルタン・アッカネンのキャラクターは少年少女時代のつらい経験などにより精神が不安定になった大人の比喩なのかとも思う。ゾルタン・アッカネンの少年時代はこの作品では描かれていない。しかし少年少女時代につらい経験をしたヨナ、ヨシュア、リタの三人が不滅の友情パワーの力で現在も安定した精神を保っているのとは対照的に終始孤立して不安定な精神な人物としてゾルタン・アッカネンのキャラクターは描かれていると思う。劇中のラストでゾルタン・アッカネンというキャラクターにこそ救いを与えてもよかったのかとも私は思う。
追記その2:
ナラティブガンダムの有線式フィンファンネルの活躍シーンがじつに格好良かった。1年戦争から第二次ネオジオン戦争までの時代の最強のガンダムパイロットであるアムロ・レイが操るν(ニュー)ガンダムのサイコミュ波で動く攻防一体の強力装備であるフィンファンネルにケーブル線がついているのがナラティブガンダムの有線式フィンファンネルだが、フィンファンネルにケーブル線が付くことによってリアリティ表現がすごく増すと思った。ケーブル線が外れるシーンも最高でこの作品で一番見どころのシーンだと思う。調べたがこの装備は遠隔攻撃端末というらしい(インコム兵器の一種らしい)です。