読まれなかった小説のレビュー・感想・評価
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Good and bad memories should merge and dim and melt away.楽ありゃ苦もあるさ
人は、10歳前後、つまり小学4年生頃より自我が目覚め、第二成長期前の大切な時期とされる。簡単に言えば、好き嫌いを言えるようになる。そんな人間の”個”の始まりから十数年経ち、忌み嫌う人が、実は、自分の一番の理解者だとしたら?
ダーダネルス海峡と黒海に面するトルコの行政都市であり、トロイの木馬遺跡のアクセスが便利な観光都市でもあるチャナッカレを舞台にした人間ドラマとされる本作。
映画は主人公のシナンが、大学を卒業し、故郷であり、両親と祖父母が暮らすチャナッカレに久しぶりに戻ってくるところから幕が開く。バスを降りて早々に洗礼を浴びせるような言葉が待っていた。”親っさんに金を貸したが戻ってきていない”と...見ている方とすると”あ~っあ”暗くて長い時間が永遠に続くような映画が待っていると気持ちが萎えてしまいそうになる。これは、作者があらかじめ見ている者に話の筋を刷り込もうとして、父親とその息子シナンの関係をしめす比喩的表現の仕方か?
しばらく見ても競馬ホリックな父親だけれども見た目は笑顔を絶やさず、愛想がよく、家の修理なんかも何も言わずにしている父親で、かえってブラブラと小説家志望なんて夢物語を地で行くような主人公に対して不快感の様な変な反感を抱いてしまう。
映画が進むにつれて、エピソードごとを一つの章や小説のように表現していることに気付かせてくれる場面に出会う。特に、周りの木立が紅葉していて、しかも切り開かれた場所に美しい瞳を持っていることが、遠くからでもわかる幼馴染のハティージェが、こちらを見て立っているシーン。あまりにも美しすぎる丁寧な撮影がされていたので、これは、作者の思い入れのあるものかと最初、とらえていたが、その不思議なクリアな映像と描き方が反って幻想的で禁忌なものを感じてしまう。
全編を通じて、”音楽の父”バッハのC-minorのパイプオルガンでいつもなら登場するところを弦楽調にアレンジをした曲をサウンドスケープとして、作者はいい感じで流しているつもりかもしれないが、あくまでも個人的な意見として、バッハではこのむさ苦しく、モッサモッサ歩く男では、とてもではないが違和感の何物でもなく、しかもそれをパンしたり引きで撮ったりもしているもんだから、滑稽というチンケな言葉が、お似合いなものとなっている。
誰かが言っていたが、ジェイラン監督の映画に対する思いれは、”物語を語るだけでなく、人間の状態を探求することにある。”つまり、個人的勝手な解釈では、登場する人たちの自己主張とまでは言えない”ず~ッ”と続く’とりとめのない’会話と小説のようなエピソードを寄せ集めて構築しているので蒙昧な者にとっては、とにかく会話も物語も両方ともダラダラと長く、邪魔なものとしか感じられない。そんな長い話の中には、Q&AサイトのQuora(クオーラ)での指摘でもあるようにトルコの御国事情なんかも会話の中にされげなく...
Like most teachers. I started out in the” desolate village” of the East.
なんてね。知らんけど。
そんな中でも約15分間のシナンとたまたま本屋で成功した作家スレイマンの会話のシーンが個人的には、この映画の息抜き的なものとなり、何十年か前のことをふと思い出させてくれる場面として....この二人の会話の場となる本屋の雰囲気が抜群にいい。どこがいいかと聞かれても稚拙すぎて表現ができないが、日本だけでなく東洋人の持つセカンドハンドの本に対して、何を売っているかだけを示す古本屋と言ってしまうところと横文字の”Rare Book Shop”と店に看板をかけた落ち着いたカフェ調の違いと言えば分かってもらえるのか?
What is it? So the book's out?
”For dearest Mum. It's all thanks to you and for you alone.”
Sinan
いつも母親は、いい立ち位置にいる。
自分の父親をMr. Loser と呼び、
自分自身の事をPeasant と呼ぶ。実の妹までもThe shepherd's living in
his father's storeroom.なんて揶揄しているが?
”The shepherd”なんて言われ、今や家族と別居してボロボロの家に住む父親。シナンはその家で、あるものを見つける。彼の写真だけで中身が空っぽの財布。つまり一銭のコインもない財布のその奥に大切に折られている新聞記事の紙切れの端を見つける。
Literature in Çanakkale - Sinan karasu
そして二人の会話へと続く......
The young should criticize the old.
That's how progress works.
You know, sometimes things I see in you, me and even Grandad
remind me of a wild pear tree.
I don't know. We 're all misfits, solitary,
"misshapen".
Everyone has their own temperament.
The fruit of wild pears is misshapen like you say.
But I have it for breakfast some days and it's so good.
My point is, yes, human nature is as full of oddities as animal nature.
唖然とさせられてしまうこの会話が、一瞬の幻覚を見せる場面に繋がる。
その幻覚は、”自分を毛嫌っている息子なんて消えろ”と思っているのか?それともシナンの今後を不安に思っているのか? 当然.....
とにかく両親だけは本格的な役者さんとわかる台詞でもシナンを含めておじいちゃんもおばちゃんも友人も全ての人が、自然なおしゃべりをされているのでモキュメンタリーか?と錯覚してしまいました。嘘です。すみませんでした。謝るぐらいなら、書くなってか?
一つの部門ですらなかなか簡単にはノミネートされることすらできないピューリッツァー賞 。多くの部門で受賞をし、ノミネートなんて腐るほどしていて、自らを気おくれすることはなく堂々と"World's Greatest Newspaper"とのたまわっているアメリカの新聞紙Chicago Tribuneが、短い言葉でこの映画を絶賛をしている
「待ちきれないほど、もう一度見たい。」と.....?
短編を集めた長編映画だと思う。
この映画を見始めた時、すぐ、これは私の好きなタイプの映画だと感じた。この映画は主人公シナンが大学を卒業して故郷の田舎に帰ってくるところから始まる。バスから降りた途端、宝石屋の店主が、『お父さんが金を借りているので返してほしい』とシナンに声を掛ける。父親ドリスは地方の教員だが、シナンの母親に言わせると言葉のいいまわしに優れていて、それが魅力で惚れたと。賭け事で身上を潰してしまい、電気も止められてしまっているが、ドリスがいかに文才があるか息子シナンに証明する。
シナンは父親に似て、文才があるからきっと『Ahlat Ağacı』という私小説のような文学作品が書けたにちがいないが。。シナンのまわりのなかで、彼の父親だけが、シナンの作品を読んだなんて、父親を尊敬していないシナンが兵役を終わって戻ってきて再会した時初めてわかった。このシーンでこの二人の気持ちが通じ合っているのがよくわかる。文才のある二人の会話は文学的で、母親が言うようにドリスの言葉の使い方が粋だ(字幕で見ているのが残念)。長い間いがみ合って親子関係に摩擦があった二人が初めて落ち着いて自分たちをさらけ出していく。
シナンはカミュやガルシア・マルケスの肖像画のある本屋で地元の作家に偶然に会って、話しかけ心に秘めていた質問をし自分の作品『Ahlat Ağacı』読んで欲しいというが断られる。私にとって、この会話が深く高尚すぎて理解できないところがあったので、もう一度見てみたい。この二人の会話はかなり深く詳細で会話の質が高いのでここだけでも短編小説になれるようだ。
全体的に、シナンと母親との会話や、シナンと父親との会話、シナンと作家の会話、シナンと友達同士の会話(アラーの有無)それぞれの会話が気高く考え抜いた内容の物語になっているから、それぞれを独立させてもいいようにも思うが、このようにバラエテーがあり熟思された会話を聴くと、これらのシナンの取り巻きの人々がシナンを文学青年に育てた環境だと思う。この映画の脚本家と話してみたい。
最後にこの題の『Ahlat Ağacı』The Wild Pear Tree の意味を考えてみると、父親の言葉で、朝ごはんに食べてみたら美味しかったといっている。ゴツゴツした見かけに良くない野生の梨の木だがなる実はおいしいという意味は父親ドリスと息子シナンの関係のように、お互いにわかりあえないことも多い関係だが、二人の関係にはきっと実を結んだ時、味がある関係になる(なった)ということだとおもう。
それに、トルコの教職員免許取得の受験地獄、モスリムの国であるがこれからの宗教、純文学、私小説の軽視で商戦やコマーシャルになれる流行文学重視。これらの問題点も監督のヌーリ ジェイラン監督は投げかけていると思う。深くて思案に思案を重ねた作品だと思う。
私にとっては鑑賞後も気になっている映画なんです。昨夜も頭のなかで、シナンが父親ドリスの家の前に一緒に座ってはなしていることを考えてみました。ジェイラン監督の作品を何作かみたことがあるんですが、全ての作品は私好みなんです。彼が主役になっている映画もあったかと思います。人間関係を深く密接に描く映画は自分自身の人間関係と照らし合わして考えられるので、文化背景が異なっても普遍性があるので好きです。
私の経験からなんですが、中東映画の良さは詩歌、宗教など私にとってまだ未知で歴史の深さを感じさせるだけでなく、人の心を読んだり雰囲気で感じるより、文章や会話が長く、言いたいことを明確にして主張するという点が素晴らしいです。
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