幸福なラザロのレビュー・感想・評価
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とても面白かった
こういうのをマジックリアリズム的というのか。特定の強烈なシーンがあったようにも思わないが、1日経っても見た感触がずっと頭に残っている。
主人公の身体のズングリして骨太なフォルムが、今どきの若い人にはいない感じで、イソップ童話かなにかから抜け出てきた様な佇まい。彼が色々な場所をただ黙々と歩き進んで行くシーンがやたらに多い。
前半の小作人貧乏暮らしや、後半も含めて、彼らの生活のディテールが迫真的に描写されるが、羨ましくなる要素など皆無なのに、何かとても豊かな感じがする。
賃下げオークションのシーン、こんな露骨なやり口が現実でも本当にあるのだろうか。考えると辛すぎる。
長かった
他の方のレビューをある程度読んでから見に行くべきでした。
宗教的な物だったんですね。
確かにラザロは常に笑顔で幸福そうでしたが、今の時代のことがわからないずれてる人にしか感じられず、かわいそうになってしまいました。 ラストもいたたまれないです。
寓話的でありながらもリアル
前半は、一体いつの時代だか混乱させられるも(「侯爵夫人」が出てくるのに手には携帯がある...)、それなりのリアリティがある。侯爵夫人に搾取される村人、そして村人たちに搾取されるラザロ。いつでもどこでも何度でも呼ばれるラザロ。軽い扱いのラザロ。閉塞した村。無知な村人。その中でも...無知と呼ぼうか無垢と呼ぼうか、ラザロには負がない。言われたことには素直に従い、そこに計算がない。
そこを侯爵夫人の息子タンクレディにある意味「利用」され、しかし彼らは束の間の友情を結ぶ。そしてそれがきっかけで村の実態が分かり(侯爵夫人に携帯の謎もここで解ける)、ラザロを残して村人は去る。
さて後半...これは極めて寓話性が強い。そもそも名が「ラザロ」なのが意味深なわけである。イエスの友人でイエスにより蘇ったラザロ。彼はその投影である事は疑いないだろう。狼(がイエスなのか...?)によって蘇ったラザロは、奇跡のように全く変わらぬまま、寒空を半袖で歩く。無垢なまま、無知なまま。
そして彼は大きく変わった世界、現実の暮らし、それを変えたりはしない。聖人はこの社会では異端であるという事を見せつけられる。鏡のようだ。彼は苛立ちや嘲りをぶつけられる。全てを疑わず立ち回った結果。ラスト直前の涙の意味は何だったのだろう。殆ど表情を変えることないラザロが流す涙は、現代社会への警鐘なのか、はたまた彼のような愚直で無垢な聖人としては生きられないという諦めのようなものなのか。分からない。難しい。しかし観入ってしまった。
辛かった。
ラザロが善人すぎて…
観終わった後、自分も周りもすべて汚く見えて
生きるのが嫌になるくらい
ラザロがピカピカしてた。
2019.5現在で
今年一番観た後に暗くなった映画で、
色んな人がどう感じたか気になる映画でした。
まだ消化が追いつかない…
☆☆☆★★ 狼のキスによりラザロは、現代社会に昔の姿そのままに蘇る...
☆☆☆★★
狼のキスによりラザロは、現代社会に昔の姿そのままに蘇る。
映画そのものとしては、タンクレディが愛犬のを呼び。その声に呼応し、喜びで満面の笑顔を見せるラザロの顔のアップで終わるのが、言わば普通と言える。
…だが。
昔の仲間達の、現在の生き方には共感は出来ないが。映画はまるで、現代社会に於ける貧富の格差を憤る様な展開を見せる。
教会へとやって来る人々には、それぞれに何らかの理由が有る筈。しかし、【聖なる心を持つ】ラザロらを無下に帰してしまった事で。神の怒りを買ってしまったのか?教会から賛美歌が消える。
先日、観直す機会を得た『パフューム ある人殺しの物語』には。或る意味での《神の復活》を願う宗教映画としての側面が(此方の勝手な思い込みもあるが)在ると思ってはいる。
『パフューム…』の主人公は、ラストに。生まれ故郷のパリへと戻り。人々に食べられた事によって、肉体は消えて滅びるものの。魂は人々の心の中へと生き続けるのを(勿論、勝手な解釈ですが)示唆していた。
一方、この作品。銀行にてラザロの肉体はやはり滅びた様に思える。しかし、ラザロの魂は…。
(おそらく)ラザロの魂は、生まれ故郷へと帰って行ったのだろう。
ハリウッド映画だと、宗教的な作品は直接的に表現するが。ヨーロッパ系の作品だと、時々この様な描かれ方で、《神の復活》を願う作品が産まれる気がする。
2019年4月30日 Bunkamura ル・シネマ1
もっと、多くの劇場で!
漫画原作で子供向けの正視に堪えない日本映画が跋扈する中、この映画は大人の鑑賞に堪えうるなかなかの作品となっています。ワーグナーの楽劇「パルジファル」やブレッソンの「バルタザールどこへ行く」にも通じる作品です。☆を半分、減らしたのは、一見したところでは、目覚めた後のラザロの体を流れる時間経過が判然としなかったからです。大人になったかつての子供が同一人物であるとは即時には見抜けないでしょう。もう一工夫あれば、☆五つであったのですが・・・。なんだか、惜しいですね。
この監督はベルトルッチ、オルミの亡き後、イタリア映画界を牽引していく監督になるでしょう。この作品にも、家族や宗教を大切にするイタリア映画の伝統が脈々と流れています。
ひとつ不満があります。この映画が現在、札幌、東京、横浜、名古屋、大阪の大都市圏の小さな劇場でしか鑑賞できないということです。この映画は間違いなく今年公開される映画の中で象徴的な一本となる筈です。配給会社に強く要求します。公開する映画館を全国的に増やしてください。
一人でも多くの人に観てもらいたい映画です。
【無私の姿勢を自覚なく貫く主人公の時空を超えた生き様を尊く描く秀作】
主人公、ラザロの透き通るような、端正で無垢な顔が忘れられない。
小作農を違法に搾取していた伯爵夫人の放蕩息子にも、貧しい村人達にも軽んじられながらも、優しい表情を浮かべながら懸命に働くラザロ。
ある出来事が起こり、目覚めたラザロが目にした風景は・・。
狼が象徴するものは何か?貧しい田舎暮らしと現代の暮らしと何が違うのか?
様々な事を私たちに問いかけてくる。滋味深いイタリア映画である。
堪能した。
ラザロ
ラザロはあなたの側にいる。
あなたがそれ以上の欲を欲しなければ。
今ある幸せに、今ある刹那に感謝すべきなのだ。
それ以上を求めるから、不幸になる。
人を騙し、人を見下し、人を嫌悪する。
ラストのシーン。
ラザロは闘う。世俗の欲に立ち向かう。
狼は何を思う。狼はラザロ?
私は呼びかける。自身の心に。
「ラザロ」と。
寓話ですね
画面の隅にフィルム映写機の丸い枠があって、まったく古い時代の話かと思うとそんなこともなく、金髪兄ちゃんと携帯が出てきておやっとなる。そしてこの人々が騙され囚われていたということがわかるあたりでラザロがいなくなり…
目覚めてみるとみんな村からいなくなっていて、、というんだけどラザロがそのまんまなので村人や公爵家の人々が突然歳をとってるので、こちらがキョトンとなる。新しい発想の展開案を見た気がします。
宗教画の歴史に刻まれる映画
宗教映画です。モチーフにしたと言うより、完全に聖書の内容そのものを扱っていると感じました。
教会の確立以来、印象派が現れるまで宗教画は常に絵画の中心でありました。(今も重要なテーマです)その宗教画の歴史に連なる内容だと感じます。
礼拝に来た信者に畏敬の念を抱かせ、聖書の内容を啓蒙し、警告する。それが私の把握している宗教画の役割です。この映画はまさにその役割を果たしていると感じました。
重要なのは その役割 宗教画としての性質を、隠さずに堂々と描いていることだと思います。
聖書の言うところのさいわいで、神の天国を約束されたものであるラザロ。彼を神の愛する子、心にかなうものと捉えてこの映画は作られていると思います。その様々な演出で、聖書の内容を計り知ることができます。
映像も独特で演技も素晴らしかったです。
人とは
人は無欲無私な聖人ラザロのように
与えることだけでは生きていかれないので
搾取したりされたりになる。
知りながら搾取することもあれば
知らないところで搾取していることもあり得る。
真面目に悪いこともせずに
生きてきたつもりでも、
社会の歯車の中、大勢で
知らずに人を傷つけていることもある。
聖人であるラザロが訪れた教会では
教会関係者や富める者だけが
神の側にいる特権を主張する。
強盗や詐欺をはたらき
社会にとって極悪非道な生き方をしている人たちだけが
行き場のないラザロを助ける。
そして、ラザロの純粋さに触れて
悪事を恥じたり真面目に働いたりしようとする心が芽生える。
人は美しい心も持つが
誰でも罪深い存在なのだということを忘れず
人にも与え
人も許し
謙虚に生きていかなければならないと思った。
時代錯誤も甚だしい下らない
未だに小作制度という封建的な社会が現イタリアであった間抜けな話です。
そんな所に住むに人に質素や純朴、純真無垢などと言う言葉は当てはまらない。
それに輪をかけて復活まで盛ってしまうのだから始末が悪いダメな映画だった。
ラザロさんって誰?
ラザロは、イエスキリストの友人であると知り、この映画も宗教映画なのかと知り、映画自体難解なのだなぁと、作品の選択に自分を悔いた。ラザロ役の青年は、ど素人であり、スカウトされた人と知り、作品中判らないところもないではなかったが、彼の純真無垢な演技に引きこまれた。子供から大人まで何かあれば、「ラザロ、ラザロ」と呼ばれ、何一つ文句を言わずに、彼らの希望を叶える青年。素人のアドリアーノのキャスティングは、素晴らしい。この作品の監督は、性差別するわけではないが、女性。しかし、ラザロ青年を丁寧に描いている。2時間以上の作品ではあるが、ラザロの演技は飽きさせなかった。私は、ラザロという成人に会ったことも、話したこともない。しかし、今世紀にラザロが生きているのであれば、彼が最もさわしい人物なのかもしれない。最初は、隔絶された村の風景で、後半工業化された町の風景。この対比された描写は、監督自身の描く力が顕わになっている。最後は悲しい結果なのだが、これまでの成し得た業により復活するのか?それとも、あのオオカミは、元居た村に帰っていったのか。
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