「寓話的でありながらもリアル」幸福なラザロ andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)
寓話的でありながらもリアル
前半は、一体いつの時代だか混乱させられるも(「侯爵夫人」が出てくるのに手には携帯がある...)、それなりのリアリティがある。侯爵夫人に搾取される村人、そして村人たちに搾取されるラザロ。いつでもどこでも何度でも呼ばれるラザロ。軽い扱いのラザロ。閉塞した村。無知な村人。その中でも...無知と呼ぼうか無垢と呼ぼうか、ラザロには負がない。言われたことには素直に従い、そこに計算がない。
そこを侯爵夫人の息子タンクレディにある意味「利用」され、しかし彼らは束の間の友情を結ぶ。そしてそれがきっかけで村の実態が分かり(侯爵夫人に携帯の謎もここで解ける)、ラザロを残して村人は去る。
さて後半...これは極めて寓話性が強い。そもそも名が「ラザロ」なのが意味深なわけである。イエスの友人でイエスにより蘇ったラザロ。彼はその投影である事は疑いないだろう。狼(がイエスなのか...?)によって蘇ったラザロは、奇跡のように全く変わらぬまま、寒空を半袖で歩く。無垢なまま、無知なまま。
そして彼は大きく変わった世界、現実の暮らし、それを変えたりはしない。聖人はこの社会では異端であるという事を見せつけられる。鏡のようだ。彼は苛立ちや嘲りをぶつけられる。全てを疑わず立ち回った結果。ラスト直前の涙の意味は何だったのだろう。殆ど表情を変えることないラザロが流す涙は、現代社会への警鐘なのか、はたまた彼のような愚直で無垢な聖人としては生きられないという諦めのようなものなのか。分からない。難しい。しかし観入ってしまった。
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