「民族歌謡「ふたつの心」に祖国への想いを託した映画」COLD WAR あの歌、2つの心 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
民族歌謡「ふたつの心」に祖国への想いを託した映画
1949年、第二次世界大戦後、共産主義政権下のポーランド。
ピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)は、仲間とともに各地の民族歌謡を収集していた。
ほどなくして、民族音楽舞踊団を共同主催することにした彼は、舞踊団のオーデションに応募してきた歌手志望の娘ズーラ(ヨアンナ・クーリク)に興味を持つようになる。
「父親殺し」と陰口をつかれるほどの激しい気性のズーラは舞踊団で頭角を現し、当然のようにヴィクトルと恋に落ちる。
しかし、当局からの厳しい監視を受け、舞踊団にも共産主義色が濃くなってきたなか、ヴィクトルは東ベルリンへの巡業の際、西側への亡命を決意。
ズーラも連れていくことを決意するが、ズーラは故郷を捨てきれず、結局ふたりは離ればなれになってしまう。
数年後、パリで幾分の名声を得てたヴィクトルは、花形スターとなったズーラと再会を果たすが・・・
といった物語で、ここまで書いたあらすじでは冷戦下のメロドラマにすぎない。
が、映画はまるで違う。
構造はメロドラマなのだが、ふたりの心情をそれほど掘り下げない。
代わりに用いられるのが、ポーランドの民族歌謡「ふたつの心」。
ヴィクトルたちが採取し、舞踊団のメイン歌曲となり、それをズーラが歌うわけだが、第二次世界大戦後のポーランドが翻弄されたように、この歌も翻弄される。
まずは、純然たる民族歌謡だったものが、共産主義政権の影響下で、スターリンを称える歌の添え物のようになってしまう。
しかしながら、ここでは、まだ、原曲は原曲のまま。
ただ影が薄くなる、といった程度。
パリ時代になると「ふたつの心」は変貌を遂げる。
自由主義社会の下、強烈なジャズが渦巻くパリのクラブ・レクリプスでピアニストとして活躍するヴィクトルは、同棲していた女流詩人にフランス語の訳詞を付けてもらうことにし、売り出そうとする。
原曲の歌詞を拡大解釈したような歌詞も、ブルーでジャジーなシャンソンの編曲もズーラは受け容れることはできず、出来上がったレコードを打ち棄ててしまう。
「ふたつの心」という民族の歌が、社会主義と自由主義とによって踏みにじられてしまう。
ポーランドにとっては、社会主義と自由主義のどちらも同じようなもので、ポーランドという国に経緯などなく、蔑ろにしていたといわんばかり。
ドイツとロシアに挟まれ、常に両大国から蹂躙されてきた第二次世界大戦以前と変わらないポーランドの姿が描かれている。
映画はその後、祖国へ戻るにあたって、故郷を棄てた同士を売れとヴィクトルに迫る祖国があり、ヴィクトルは愛する女性のためにその屈辱を受け容れ、政治犯として収監される彼を描き、恩赦によりその後、当初よりも早く出所したヴィクトルとズーラがふたりだけの結婚式を挙げるところで終わる。
その結婚式の舞台は、第二次世界大戦で破壊しつくされた教会。
大戦後、冷戦下となったポーランドの地ではなく、大戦以前の象徴としての教会。
もとのポーランドに戻ることはできないが、心は以前のポーランドにあるまま・・・
あるまま、であったならばよかったのに、と神に祈り、誓うラストのような気がしました。