ある女優の不在のレビュー・感想・評価
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存在しないはずのルール
マルズィエの住む村には一本道のルールしかないという。しかしそのルールも毎日変わる。
では、ルールはないのか?というとそうではない。
若い女性が、明らかに良いことである道幅の拡張を試みようとする行為には、してはいけないという。
ルールはない。ないが、暗黙のルールはある。たくさんある。
良き変化をもたらそうとする行為や、自由を束縛するだけのルールを、村の「ルール」だと認識していないところが恐ろしいのだ。
日本の価値観で他国の文化的なものを駄目だと言うのは良くないが、当人たちが変えたいと考えているならばどうだ?変えるべきなのではないか。
村の外れに一人住む過去の女優に対して、なぜ一人なんだ?と村人は言うが、彼女が一人なのは彼女のせいではないだろう。村人たちが彼女を村八分にしているからだ。
彼女は村の存在しないはずのルールを守らなかったから村全体で彼女を外れに追いやった。無言の圧力によって。
村の多くの人間にとっては当たり前すぎてルールにもなっていない良くないルール。
まずは、彼らの「当たり前」を壊さなければならないが、聞く耳を持たない彼らに変化は訪れるのだろうか。
全てを男性が決める男性優位すぎる現状を、3人の女優を通して憂う作品で、同じイラン映画の「桜桃の味」のような雰囲気がある。
女優という、安定しない仕事を物語の中心すえているのもいい。
村人が言うように「芸人」では食べていけない。は、村の暗黙のルールとは別に一定の説得力があり、彼らの言が一方的に間違っていないところがミソだろう。
女優か結婚かの二択をマルズィエは迫られるわけだが、女優で結婚もするという、両方選べる当たり前の選択肢が登場するのはまだ先になりそうだ。
アッバス◯キア◯スタミは必ず落ちがあった。この作品には何がある?
イラン革命の成功による女性への差別?
イラン革命は王国から原理主義の共和国になった。
王国の時代がどんな時代であったかは忘れてはいけないと思うが。
それは兎も角、
何が言いたいのか?
皮の話。虚偽自殺の話。牛の話。
それは兎も角、
どこかで見た事ある内容。
それは兎も角、
鑑賞者は何を感じ、対処はどうしたら?
全部を譲歩しても一貫したテーマが感じられないので、共感に至らないし、明らかなリスペクト作品があると思われる。カメラワークから小道具や場景までそっくりである事は鈍感な人でも分かる。もっとも、そう言ったテーマの映画も有るようなので、盗用ではないのだが。もう少し、普通のお話を早く国を離れて作ったほうが無難だと感じた。
味のある映画だと思うが、ソイ・ラテに胡椒を沢山ふって飲んだような味。
非常に巧妙に仕組まれた映画
イランという国の社会、イラン革命というものが分かっていなければ本当にこの映画を理解できないのかも知れない。しかし、そういう背景を離れて一つの映画はとして観た場合、実にトリッキーなプロットを持った映画だと言う気がしてならない。そう思うのは中心的キャラクターである二人の女優又は三人の女優が会っているシーンは全て直接描写はなくパナヒの視点からしかカメラは捉えていない。彼女らが会っている時に実際どんな話が交わされているか、観客は全くわからないのだ。マルズィエが生きているのが分かってジャファリが狂ったように責めるシーンもパナヒが目撃した時は既にいさかいが始まっていた。つまり、この映画は初めから三人の女優(イラン革命前の有名女優シャルダード・イラン革命後の人気女優ジャファリ・新しい時代の女優になるだろうマルズィエ)が、マルズィエをあの因習深い村から連れ出す為にパナヒを立ち会い人にして大芝居を組んだ話、と見てとれないこともない。何せみんな女優(ないしは女優候補)なのだからお芝居は得意だし。状況証拠しかないが、ラストも対向車を待つ間に車を降りて歩き出したジャファリを追ってマルズィエが駈けて行き峠で追い付いた遠景で終わっている。ただ、もしそうだとしたら、何故こんな大芝居を打たねばならなかったかは、やはりイランという国と社会、イラン革命の知識と理解が必要なのであろう。
舞台を変えれば他の欧米諸国でも映画化できそうな題材なのが、かえって・・・
ある日、イランの人気女優ベーナズ・ジャファリ(本人)のもとに届いたショッキングな動画。
女優を目指して芸術大学に合格したものの、因習に縛られる家族によってその夢が断たれた娘マルズィエ(マルズィエ・レザエイ)は、村はずれの洞穴で首を吊った・・・その自撮り動画。
送られてきたのは監督のジャファル・パナヒ(本人)を通じてのこと。
ジャファリは、パナヒの運転する自動車で、マルズィエが暮らす辺境の村に向かうことにした・・・
といったところから始まる物語。
彼女が友人を通じて送って来た動画は本物かどうか、そして、彼女の本心はどこにあったのか・・・とある種のミステリー要素はあるが、ミステリー映画としては成立しない。
この序盤は、観客を映画に惹き込む役割は果たしているが、結果的には、ミステリー的カタルシスを求めている観客には拍子抜け。
2000年製作の『チャドルと生きる』の延長線上にある、イラン女性の現状を通してイランの現状を描いた作品で、古い因習をはじめ様々な制約・制限を受けているパナヒ監督の心中の吐露だろう。
1970年代後半のイラン革命で、イスラム国家としては女性の社会進出も後押しされるようになったが、この映画でみる限り、都市部以外ではそうはなっていないことが窺い知れる。
(劇中、「イラン革命」の言葉が何度か出ている)
また、地理的状況は詳しくはわからないが、舞台となる村はトルコに近いらしく、村内ではペルシャ語よりもトルコ語が用いられている。
ジャファリとマルズィエのほかに、革命以前から女優として活躍していた老女が登場し、それが原題「3 FACES」の由来となっているが、老女については多く語られず、残念な感じがする。
長廻しを中心に据えて、ラストの曲がりくねった道を捉えるなど、魅力的なな演出ではあるもの、舞台を変えれば他の欧米諸国でも映画化できそうな題材であるが故に、本来の力強さが陰に隠れた感じの映画になったような気がしました。
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