「この問題を放置することはアメリカの死そのものなのだと訴えているのだ」ブラック・クランズマン あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
この問題を放置することはアメリカの死そのものなのだと訴えているのだ
時代はおそらく1974年から1975頃頃
冒頭の映画ラストショーや中盤での黒いジャガー(シャフト)、スーパーフライの話題がでるので1972年位かと思わせるが、その後コフィーの話になるので年代はそれ以降となる
そして素晴らしい時代考証の衣装、ヘアスタイル、車、などなどから1974年から1975年位までの事であるとわかる
スパイク・リー監督のかってブラックプロイテーションと呼ばれた黒人向けアクション娯楽映画へのリスペクトと深い愛を感じる
特に前半のクラブでのダンスシーンは秀逸
恍惚を覚えた
1974年に巨匠テレンス・ヤング監督がクランスマンという現代のKKK団との戦いを描く映画を撮っている
主人公は白人の老保安官、舞台はアラバマ州、時代は1960年代
つまり本作のタイトルはその映画にブラックを冠したものになる
本作はそのほとんどリメイクに近い
基本的な物語の構造は同じで、黒人が白人と組んでKKK団に潜入捜査するところが独創でありそれを中心に組み立てられているのでリメイクとまでは言えないが、スパイク・リー監督はその映画を下敷きにしているのは間違いない
舞台は南部から中西部のコロラド州に変わり、時代は約10年後だ
スパイク・リー監督は決して白人による抑圧社会への暴力革命を説いているのではない
人種間の対立を煽っているのではない
それではブラックパンサーと同じだ
それは鏡に写ったKKK団のやり方だ
テレンス・ヤング監督のその作品にもブラックパンサーの走りのような青年がアラバマ州の黒人大学生の集会で暴力での白人への対抗を訴える
本作でも黒人大学生達がブラックパンサーの元幹部を招いた演説会を行い、その人物は白人警官への武力対抗を扇動する
果たしてそれが本当にスパイク・リー監督が望んでいる事なのか
最後の10分間でこの物語はいまも変わらず続いており、時が解決するどころか先鋭化して来ていると訴えている
暴力に暴力で対抗して良いのか?
クランスマンでは白人の老保安官自らが暴力に暴力を持って鎮圧した
それはアメリカの理想とかアメリカの憲法とかの綺麗ごとではなく、単に自分の町の治安維持の為にしたことに過ぎない
しかし、スパイク・リー監督は最後の最後にアメリカ国旗をスクリーン一杯に大写しにする
しかし逆さまである
これは今のアメリカに対しての批判であるのか
現大統領に対しての批判なのか
もちろんそうではあるだろう
しかし違うと思う
スパイク・リー監督の真意は、それでもアメリカを愛し忠誠を誓うとの心情の宣言だ
アメリカの理想、アメリカ憲法の目指すもの
それに立ちふさがる者達を暴力には暴力をもって叩き潰すのではない
違うやり方があるはずだ
そのやり方を探したいとの心の叫びだ
残念ながら今はその理想とは真逆の国である
その意味で米国国旗は逆さまにされ、そして色彩を失ってしまうのだ
つまり、この問題を放置することはアメリカの死そのものなのだと訴えているのだ